6:50に陽子さんの声が飛び込んできた。7:15と約束していたのに随分と早いお出ましだった。 ちょうど朝食を済ませたところだった。母と話をしている間に出かける用意を済ませた。 栃木インターを出たのが7:10過ぎ。カーナビは五反野駅にセットしておいた。 途中まで流れは順調だったが8:00に首都高に入って直ぐに混みだした。それでも8:30着は無理だったが8:45にやっと五反野に着いた。そこで待ち受けていたさとみさんと正五さんを拾い一路中央道をまっしぐら。岐阜県の中津川ICに向かう。本日の第一の目的地は岐阜県中津市の馬篭宿だ。途中雨が降りっぱなしだったが、それでも然程強い降りではなかった。残念ながら高速道路からの視界はきわめて悪く、唯一八ヶ岳の裾野がぼんやり見える位だった。岡谷ジャンクションから先はもっと悪くなってきた。中津川インタ−を降りた時既に12:00を回っていたが、馬篭まで行って昼食を取ることに決定。馬篭に着くと不思議と雨は上がっていた。馬篭館に駐車し、洒落たお食事処まごめやで4人揃ってぽっきり1000円のそば定食。 その間にまだ予約してなかった宿の手配を携帯電話でしようとしたら、人気の奈良井宿の宿は全部満杯。妻籠の旅館・藤乙も満室で断られた。結局妻籠の観光協会に連絡すると泊まれる宿はいくつかあると言ってきた。ならばPM5時までに必ず伺うといって電話を切った。
馬篭の宿に来たのは2度目だが、初回の印象がやけに強い所だった。石畳の急な坂道に配置良く旅籠宿がちりばめられ、まるで日本版おとぎの国にタイムスリップしたような好印象! とりあえず途中にある藤村記念館に入った。前回来たときは全く眼中になかったところだ。 でもここに入っていろいろな発見が出来た。まず一番の驚きは、馬篭も妻籠も重伝建に入っているものと思っていたのに、馬篭は国の重伝建には認定されていなかったのだ。 記念館の研究員の方にお聞きすると、馬篭の古民家は焼けてしまったものが多く、現在藤村記念館に残されている建物以外歴史的価値のあるものは殆んど残っていないそうな。 この馬篭の宿の急坂に塩梅よく配置されている民家はすべて観光用に再建されたもので、建物の文化的価値はないそうです。でもその古からの家並みの配列は実にバランスよく目を見張はらせた。 次に驚いたのは先月末、栃木県のボランティアの集いでご一緒した塩原の文学散歩の観光ボランティアの話をすると、その人たちは3週間位前にこの記念館に訪ねて来られて、藤村が塩原で3泊した史実が残っている文献を閲覧していったそうで、通常は拝見出来ない資料ながら、事前に問い合わせがあった為に一緒に閲覧したそうです。 三つ目は島崎春樹がなぜ藤村と名を選んだのかという疑問も、淡い藤の花が好きだったようで、もの静かな藤村好みだったからのようです。 ちょっぴり雨に降られたけれど、馬篭の宿にお暇し妻籠宿に向かった。 妻籠宿は馬篭よりはだいぶ落ち着いた雰囲気だった。宿場の中ほどにある観光協会は一方通行で進行方向の逆だった為、途中に車を置いて一人で歩いて乗込み、事前にネットで調べておいた11の宿を順次聞こうとしたが、先方に部屋でギターを弾きたいという条件を1つだけ提示すると「こおしんづか」という民宿はご主人も民謡が好きだから大丈夫かも・・・と言われて、他を聞かずに即決してしまった。車に戻って他の三人に妻籠宿のぶらり歩きを問い質すと、疲れてるし歩くのはもういいとの返事。とりあえずPM4時から車の通行止めが解除され、車に乗ったままで町中を一回りして宿に向かった。 |