雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/02/11 20:53:00|癌との共存
お腹が痛くてブログが投稿できず
昨今の行動を毎日ブログに乗せなかったことを後悔している。
ここの処、地域勉強会と登山道作りが何方も中途半端だ。
それと云うのも どちらも時間的に余裕がないし、書く気分になれなかった。

11日にTMC緊急センターに激痛で飛込んだら、診察もほどほどに、獨協医大緊急センターを紹介され、たったそれだけでTMC緊急センターで1,080円の初診料を支払わされた。
獨協の緊急センター駐車場はカード無しで駐車できるが、慌ててたので 駐車場の境界ラインを跨いで駐車し、しかも警備員との会話で窓を開けたままにしていたのに気付かず。で一晩中放置。翌日注意される。
翌日、息子が来てくれたし、2人の友が我が愛車の引き取り聞き手貰って大助かり。

ここまで自分の体調については何も語らなかったが、実はTMC緊急センターに飛び込んが時は既に吐く寸前だった。何とか病院内では吐かずに済んだが、独協に向う田圃道で黄色い水を吐き出していた。でも然程気分は悪くならなかった。独協医大では緊急担当医と相談の結果、入院することを決断。ここから長い1週間が続くことになる。







2018/02/10 17:23:44|登山
久し振りの富士浅間登頂
今年になってまだ一度も太平山(富士浅間)山頂345mに登っていなかった事に気付く。
9:45、アクアを下りて遊覧道路の富士浅間の鳥居の処から山頂に向けて歩き出す。途中5,6本の倒木を無視し一先ず山頂を目指した。
今日は13:30から国府町公民館で、国府地区まちづくり協議会主催の下野国府跡発見の意義と題した表題で歴史講和の会が催されることになっていた。だから早く登って早く降りて、講話を聴けばかなりすっきりしたことになるのかも。。。

それでもまだすっきりしない事がつづく・・・
如何も胃の周りが変だ、可笑しい、、、







2018/02/10 15:54:00|観光ボランティア協会
時間が無いのは理由にならない
昨日は栃木市国府公民館で下野国府跡発見の意義という題材で橋本澄朗講師の素晴らしい勉強会に参加できた。地元の人しか知らない地元の歴史を生の声を挟みながら実践できた。
関東では此処の国府程、明確に残されたものは少なく、大事に生かせば歴史遺産として興味は尽きない。
漠然と知った積りの道州制も、平安期の五機7道(特に東山道)と江戸時代の5街道の結び付から考えていくと、一層興味が募る。
今後も大学と一緒に歴史の紐を紐解いてもらえば未来は明るいだろう。







2018/02/09 20:53:48|観光ボランティア協会
登山道と第4回歴史勉強会       2月9日
午前中10:45に、12:00迄の短時間で富士浅間の登山道整備に、遊覧道路の鳥居
に向かう。昨日整備したところより300m位登ったが、直径30pくらいの倒木が
立ちはだかっていた。何本かは除去出来たが2本だけは鋸の切断が必要で、今
回はておつけなかった。  どうしても遣り出すと止まらないのが小生の欠点。
明日も行くことになるだろう・・・???ね


先日のボランティア定例会で、本日13:30から第4回歴史勉強会を紹介され大町
公民館に行ってみた。観光ボランティア仲間のIIJ、MUR、OON、SEKの4氏に
OSI女史の顔が会場で目に付いた。それと岡田記念館の大奥様もみえていた。
講師の石崎常蔵氏の話は栃木市街地北部の歴史を探ると題し、大宮村、家中村
吹上村、栃木町{嘉右衛門町、大杉新田村(大町、泉町)平柳村}の新田開拓や、
東武日光線が葛生を通る案、佐野から鹿沼に抜ける案、家中駅に日光、宇都宮
線の分岐案、新栃木駅が昭和4年に東武鉄道新栃木駅地区内に設置された経緯、
昭和恐慌の失業者対策として長谷川町長の太平山遊覧道路の着工や、大胆な
区画整理で約6千坪の道路敷地を県に提供し、北関門道路を開通させたことなど、
北部地区の知らなかった歴史や人物像を垣間見る事が出来た。







2018/02/08 18:32:04|癌との共存
えっ! 手術出来ないの?  ちょっとショック?!
ここのところ6日火曜日からPET検査、7日は抗がん剤治療と3日連続で独協医大通い。
獨協医大第二外科の診察が11:00予約10:25に病院到着。今日この時間の駐車場はだいぶ
混雑していた。しかも予約時間より30分も早く病院に行くのは小生にとって珍しい事だ。
今日の問診は青木医師の大いなる決断の時、肝臓の手術が出
来るか如何かの期待と不安を胸に、診察を待つ身となった。
期待するのは肝臓の腫瘍の全摘出、不安は昨日の第一外科の
志田医師が指摘した、腫瘍の増殖で手術が遣り難く成る事。

しかし以外にも選択肢は2枝ではなかった。
医師から最初に放たれた言葉は「残念ながら肝臓の手術は出来なくなった。今回は
2回の手術を重ねなければならないが、大小2つの肝臓に分け、腫瘍の沢山ある肝臓
の動脈をカットし縮小させ、小の肝臓に動脈を繋げて、肝臓を増殖し、小の肝臓を
増殖させ、縮小した肝臓と腫瘍をそっくり取る方法が可能だった。
でも PET検査の報告書には 両側肺門リンパ節、縦隔リンパ節にSUVmax4.2 
集積亢進をみる。前回は見られず、移転の可能性が高い、とある。」どうやら肺と
心臓近辺のリンパ節に転移が見られ、肝臓のガンを全摘しても他の転移部分は残る
という事らしい。
悔しいけれど、手術して前回復は望めなくなったという事なのがろう、、、か?

いいさ! 残りの生を悔いなく生きればどうってことはない。
手術が無ければ痛い思いをしなくて済むし、急激な悪化が無ければそれでよし!

病気になってこれだけ医療費を補助して貰え、生活の起点、衣食住に不満はない。
今月の独協医大4日間の医療費の明細が手元にある。高額医療補助の恩典だ。
     2月3日   3,306点  6,610円    CT検査と問診
     2月6日   8,070点  7,390円    PET検査
     2月7日   6,280点     0円    抗がん剤治療と問診
     2月8日      73点     0円    手術の問診
※抗がん剤治療は通常は30,000点を超えるが、今回は副作用と手術の制約で減点。
真面な医療費の請求があれば、我が年金の1ヶ月分は軽く吹っ飛ぶのだから助かる。