雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/03/01 12:08:00|月参り
弱音を吐く前にやらなきゃならぬこと 
いつもは朝一番で太平山神社に幣束を授かりに行く月参り。
今朝は雨の降る中、次男に頼んでいってもらった。
SEO君の世話になり、9:30に独協医大第一外科に痛み止めの薬を取りに行く。

昨日はショックが大きかったが、10時過ぎに病院に迎えに来てくれた長男を利用して、
来月法事の母の実家と、去年の暮にお亡くなりになられた小山のTAN邸のおばの処に
お焼香に行き、帰りがけに栃木市役所に寄り年末調整の書類を受け取り、今迄頭の中
に有ったもやもや(10日以来続いている)がだいぶ消し飛んだ気分。
ほんとうに此処、半月は変な事ばかりしていた。ブログもめちゃくちゃ!







2018/02/28 17:42:04|癌との共存
不安を抱えて 外来検診   2月28日
独協医大第1外科 外来の抗がん剤治療の筈が・・・???
手術は現状では不可能という事は2月8日の大2外科の青木先生告げられて解っていたが、抗がん剤治療についてはまだ一途の望みを託していた。
そして今日は今後のその治療法についての話を聞けるものと思っていたのだが?
結果は、大別して2つの抗がん剤治療法の適用の結果、1つはアレルギー反応を起こして、俺の体には会わず、もう一つは十数回も重ねて薬の効用が薄れ、その他2つの治療法も既に薬が効かなくなってきて、もしこのまま続ければ、体の負担と痛みはもっと増して、腫瘍の変化は殆ど望み薄と言われた。
抗がん治療を我慢して続けるか、治療を断念し自然に任せるかの選択肢しかないともね。
我が人生、、、完全燃焼は出来なかったが、もうすぐ燃え尽きるのか・・・  
それも仕方ないことだよね。     燃え尽きるまでは頑張らないと!?ね


3月14日に9:30〜15:00迄一日かけたボラんティア観光案内がある。
3月23,24日には大学時代の法学部の友6人による鬼怒川温泉でのの懇親会。
25日の母の実家の法事。
以上の事は無理しても自分の張合いの為にも遣り抜かねば・・・







2018/02/26 17:26:00|癌との共存
それから
2月19日
SEO君の助けを借りて、9日振りの退院。
皆に手を煩わせてしまった。

19日の月曜日から23日の金曜まで
体が怠く、余り食欲もなく炬燵に寝転んでの平昌冬季オリンピック
観戦で時間潰しにはもってこい。ブログを書く気分には慣れず仕舞い。

2月24日
13:10〜13:40まで神奈川県座間から来た鬼怒川温泉泊りの10名の
グループのボランティア観光案内。
案内しているうちは何ともなかったが、家に帰るとぐったりしていた。
栃木稲門会総会と新年会は欠席の通知を出して大正解。

午前中は弟が、夜は妹が来てくれて大助かり。

2月25日  月命日
朝、ぐっすり眠れて気分が良かったが、朝食後は怠くなってきた。
妹が家の中を綺麗にしてくれて、母も安心して炬燵に籠っていた。
午前中長男家族が遣って来て、午後は長女が上の孫と2人で遣って来た。
午前中意識していたのに、月命日のお墓参りを忘れていた。3時過ぎに来た
長女と孫の3人でのんびりとお墓参り。妻は8人の孫には合えなかったのか?
孫が我が家に来ると、真っ先に仏壇にお線香をあげに直進するが、今日も、
仏壇に飾ってあった妻の写真を見て、「お母さんによく似た人だね?!」
大事に見守ってあげてね、と、お墓の前で3人して合掌。

2月26日
サロンあゆみ には1昨日メールで欠席の通知。
今日も体の調子は良くないが、確定申告を約束していた税理事務所に駆け込む。
夕方、億劫ながらも、食べ物が無くなって来たので買い物に出かけた。

俺に調子を合わせたみたいに母もだいぶ耳が悪くなってきたようで心配だ。


 







2018/02/22 10:04:04|癌との共存
一週間があっという間に流された。
11日に緊急センターに吸い込まれ10日間がアッという間に流された。15日には弟が母の付添いに手を貸してくれ、医師からは19日に退院できると告げられた。







2018/02/15 14:18:00|癌との共存
入院中    でも本来なら・・・
15日は独協医大 眼科 母の付添い だったのに、、、

胃の痛みも薄らいでくると、身の回りの事もし少しずつ築きだす。
14日は朝7時からの朝飯会の件でHOSさんの講演を聴きに行けそうもなくなった。
その手配と15日の独協医大眼科外来での母の付添いには全く付添えなくなった。突然
の事だったので、その分、弟には多大な迷惑をかけてしまった。、
月初の3日のCT検査、6日のPET検査、7日の第一外科の抗がん剤治療、8日の
第二外科の手術問診と続いた連荘はまさに目の回っる忙しさだった。そして11日から
の緊急入院。

こんな時に寄りによってとよく言われるが、そんな時だから思い浮かぶのだ。
今年になってまだ1度も太平山の天辺に登ってなかったと。

10日にあまり天気が良くないのに登ったのが躰に堪えたのだろうか。
しかも山路を整備する積りで入山したんだから、あえて何も言えないが、せめて倒木は
路傍に寄せて置たかった。この遣り掛け気分が次の日の心の病として持ち越したのだろうか