雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/03/13 19:37:39|癌との共存
吐き気に不安 ?
二日間ブログから離れて、その間の事を振返ってみると、記憶が不明確
な事に今更ながら驚く。年取って忘れっぽくなった所為からだろうか?

昼前に弟が遣って来て妹と母を交えて親子4人で昼食を愉しみ、昼過ぎに
WADさんから電話があり、夕方には次男家族5人と長男家族4人が合流した。

何人かの友達から電話を貰うが、たった2つ日間でもその整理がつかない。

まだまだ充分元気なのに、ここにきて体力に自信がもてなくなってきた。
それと云うのは、食事が食べたくても不安で食べられないからだ。
孫たちが遊びに来ても、体を起こしているのが辛くて、炬燵に横になって
るのが多かったが、今は体を起こしていても然程辛くは感じない。でも食
物が喉を通らないので、体力は間違いなく落ちている。いちじは大好きな
食べ物でも、一口食べるのがやっとで、直ぐに食べたくなくなってしまう
程、食欲が減退した事もあったが、今は然程食欲がないわけではない。
食べたくても、便秘気味でお腹が張って、吐き気を催し、腹痛と呼吸が荒
くなる、その事が怖くて、固形物が食べられない・・・のだ。


昼前に長女が遣って来た。これから独協医大に入院中の次女の世話に行く
処だと云うので、下剤を預かってきて欲しいと頼むと、本人以外には薬は
渡さない筈よ、と言葉を返された。電話で大学病院に確認すると正に然り。

車で取りに行こうと準備しようとしたら、送っていくからと年寄り病人の
運転を否定された。言葉に甘えて送って貰う。井原先生とお会いし、現状
を話すと、栄養剤も持っていきなさいと2週間分処方された。

病院で医師と会話しただけで胃の重苦しさが半減するのは如何なんだろう?

母は、食べないとと心配するが、便通が良くなるまでは、流動食が頼りだ。







2018/03/10 22:40:17|癌との共存
一歩進んで二歩下がる
先月28日に第一外科で診察を受けて以来、食欲も少しずつ増してきたところだったが、
9日の救急車入院で、胃腸の負担が無視できなくなり、食欲はなくはないが気が進まず。
8時過ぎ次男が様子を見に来てくれたが、今朝は10時まで2階のベッドに寝つづけた。

OHO君が本日公開の吉永小百合の映画120作目の作品「北の桜森」のチケット2枚を届け
てくれた。体調が戻ったら見に行くぞ。生保のSATさんからも確定申告用の書類が届く。

午後4時近く、HONさんが珍しい人を連れてきた。現役時代にお世話になった日新製菓、
群馬駐在のHAGさんで、10年振りだろうか。彼も苦労人で当時から周3日の人工透析を
受けながらの営業活動で、特に新潟県の得意先回りには何度も同行して貰った。
人柄がよく穏やかな顔立ちで、昔と少しも変わらない様子だった。5時過ぎには、妹も
タクシーで遣って来た。彼らと話ができ、妹も来てくれたので、心がだいぶ和らいだ。

今日は食べ物だけは注意して、ウイダー㏌ゼリー中心に3食とも流動食。







2018/03/09 18:50:04|癌との共存
まさかの救急車            3月9日
人生70年、生まれて初めてみずから救急車を要請し、乗る事になった。

ことの起こりは 8:30に朝食を終えて薬を飲んだ直後から始まった。
暫く朝のTVを見ていたが、体中が熱くなり胸が痛くなり吐気を催してきた。
顔中脂汗を書き、両手と背中が汗びっしょり。慌ててトイレに向かう。
少し便が出たと思っていたら、便器内にはかなり結構な量が出たようだ。
吐き気は治まらず、顔中に脂汗と云うか、ヒア汗が垂れ落ちた。
次の瞬間、便器に頭を突っ込むと、思い切り 口の中からゲロを吐いた。
3回、4回、5回と連続して吐き続けた。気分が悪く胃の中のものを全部
あげて出したいというのではなく、吐き気も 喉が詰まる程でもなく、少し
も苦しさは感じなかった。でもかなりの量を吐き出したのに、まだ吐きたい
気分は続く。体中が汗ばみ、やや寒気を覚え、トイレから出て炬燵に潜った。
胸の痛みは取れず、少し呼吸が苦しくなってきた。仰向けになったり、体の
位置を色々変えても、気分の悪さは消えなず、丁度そこに本日のヘルパー
UGAさんが来たので、思わず彼女に「119番に連絡してください」とお願い。

10時に救急車が家の前に着いた時、顔は汗びっしょりで、フラフラしていた
が何とか歩ける状態。ストレッチャーに横になっても、お腹の痛みは退かず、
高速道を通って独協医大に向かう途中、急に体が楽になって、お腹の痛みも
治まった。その間の救急救命士の対応は優しい言葉でとても親切だった。
外来の第一外科に運ばれ採血し、CT検査も受けたが、もうその時は身も心
もだいぶ平静になり患部の痛みも、吐き気も収まっていた。
原因は体調がよくなり、少し食事の量が増えた為の消化不良のようだ。
12:45に弟が迎えに来た。決済を済ませ家に帰ったのは13:40頃。救急車を
利用したのが嘘のよう。弟以外、身内の誰にも知らせなかったので、午後は
ヘルパーさんと友達以外電話もなく、ゆっくり休めた。ありがたかった。

一時は血圧が160を超え、体温も35℃を割っていた時もあったらしいが、例え
病気の為に余命が短くても、世話してくれる看護や身近な人を想うと、命の
大切さを、つくづく思い知らされた。燃え尽きるまでは頑張ㇻらくっちゃ!







2018/03/08 12:20:21|
TMCとちのき整形外科         3月8日
医師からも身内からも、運転を止める様に忠告された我が身ながら昨日の太平山登山道整備にかかわった事で、体力の不安が消え、今日はTMCとちのきへの母の付添いは運転していくことに決めた。
食事も抗がん剤を完全にやめて1週間が経ち、腸の副作用?或はガンが転移した部位の痛みが無くなった所為か、今まで食べられなかった物が普通に食べられるようになってきて内臓面の体力もだいぶ戻って来た。
だから自信をもって母の送迎運転を実践した。検診終了後は気温も低く雨模様だったので、いつものドライブは取りやめ、家に帰って親子二人でのティタイム。これもまたよし!







2018/03/07 16:42:21|登山
遣る気
ここ2週間は母の病院外来の付添い(明日と来週木曜)以外は殆ど予定なし。
今迄体調がよくない時はごろごろして時を過ごしたが、少し食欲も出てきて、横
にならないで座っていられるようになったら、何故か時を持て余し気味・・・

午前中はゆうパックの不在連絡票の受け取りの為、家にいたが、午後はSEO君に
連絡し、思い切って太平山の登山道整備を申し出た。2人して鋸持参で登山道の
倒木の始末。遊覧道路の鳥居の傍に車を止め、富士浅間目指して直登開始。
200mも登らないうちに、直径30pの倒木に出くわす。一か所切落として木を移動
という訳にもいかず、道幅より少し長めの2m間隔で二ヶ所切落す事にした。
上部の太い部分を友が、下部の細い処を小生が受け持ち、行動開始。枯木ではある
が昨夜の雨で湿気を帯び、少し切断し辛くなっていた。体に影響がないようゆっく
り鋸を引いた積もりながら、ついつい力が入り息が切れ、気分が悪くなってきた。
友もだいぶ無理した所為か、少し顎が上がっていた。木の芯迄、否、それ以上まで
鋸の歯は入っていたが、中々切落せない。やっと40分近くかけ切落したが、既に体
力の限界? 暫く休んでから上を目指したが、500mも登らないところでギブアップ
のサイン。息は切れていないが体力が無い為か、目の回る気配。小休止してから
ゆっくりと下山開始。膝もがくがくしていたが段々呼吸が整ってきたので、気分
的に楽になり、帰りは 響きの森 に寄ろうと思った。登山道を登る前に寄った
時は昼時だったので誰もいなかったが、3時前、SUZさんとMINが舞台リメイクの
作業をしていた。
4月にお花見で、響きの森を借りたいとSUZさんに申し入れると、万が一工事が終わ
っていなくてもどうぞ、との快諾を得る。ありがとう!

大分体に無理したが家に帰ると心地いい疲れが体を包んだ。体調の変化が少し
心配だが、何もせずじっとしているより無理した事で何らかの反応が体にある
かもね・・・ でも遣りたいことを遣って納得しての事だから何の文句もない。