雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2015/10/11 8:52:44|その他
ラグビーワールドカップ
昨夜のラグビーワールドカップB組、スコットランドーサモア戦は前半終了時点で23−26
でサモアがリード。日本のベスト8進出に一縷の望みを託しサモアの応援に熱が入った。
後半に入り、2PGで29−26と逆転されるも、母国のベスト8進出を応援する日本人としては最期まで予断を許さず、サモア逆転の期待を掛けて、手に汗握る攻防を応援。
しかし終了10分前に相手方のトライとコンバージョンゴールがなり、36−26で万事休すかと断念。でも、終了間際に必死に反撃しトライとコンバージョンゴールが決まり36−33。
最期まで期待を持たせたが、結局ノーサイドの笛が虚しく響き渡った。
これで日本のベスト8進出は消えが、過去のワールドカップで24年前に1勝しか出来なかった日本が、今回は2勝し今夜のアメリカ戦に勝てば完全に歴史が書き換えられる。







2015/10/10 14:39:02|栃木の観光名所
皆川城のお殿様 皆川広照とは?
10時から栃木市民会館で とちぎ文化講座「武将皆川広照を知る」を聴きに行った。
講師は江田郁夫栃木県立博物館学芸部長で、皆川氏のルーツから始まり一族の中でも最も脚光を浴びた皆川広照のについて約2時間、資料に基づいた多彩なお話を聴く事が出来た。
市民大学の一環としての講座のようで、予想以上に市民の関心が高く、受講者の数が多くて主催者側の資料を増刷して間に合わすのに、だいぶ手こずっていたようだ。

皆川家は伝説の将軍・藤原秀郷の末裔、小山朝友、長沼宗政、結城朝光の三兄弟の長沼一族から端を発し、平安時代の末期から鎌倉時代、室町の南北朝時代にかけて下野の皆川荘を本拠地として足場を築いた。      戦国時代に入り、長沼宗成の代になり、初めて皆川氏を称す。配布された豊富な資料に基づき解り易く解説していただいたので、観光ボランティアとして元々郷土の歴史に興味があった小生には有意義な講義となった。

皆川家の歴史の中でも中心的存在の皆川広照(1548〜1627)については、信長、秀吉、家康の安土桃山から江戸にかけての歴史年表に沿って、丁寧に史実を謎っていただいた。
1581年、馬3匹を献じて信長の寵愛を受け、最初は北条氏に敵対するも余曲折の後、1590年に北条氏直に屈し、秀吉との戦いで小田原城に籠城。しかし機を見て部下百余人を率い秀吉に投降。助命され家康に預けられた。機を見て敏なり!の世渡り上手だったのであろう。
ただし、同じころ本城の皆川城は秀吉軍により落城。
広照の子隆康は関ヶ原の合戦に、徳川秀忠に従軍、弘忠は家康の与力大名として本領を安堵され、家康の6男松平忠輝の重心になり忠輝が北信濃四群19万石を拝領の際は飯山城址として4万石を領す。その後改易され赦免されるくだりは知るところ。

観光ボランティアとして一番注目していた栃木城の存在だったのであるが、講師は城址公園に記されている市の説明とは異なった見解を示していた。 手渡された資料の関東八州所城覚書(天正18年頃・1590年毛利博物館所蔵・毛利家文書)によると、下野 皆川の城は とちき とみたの城 なんまノ城 4ヶ所千キと記されていて同時併存していたと思われる。 したがって商人の町とちぎはもともと城下町だったと強調しておられた。 
                如何なものか???

でも、とても解り易く楽しい2時間だった。







2015/10/09 20:42:00|
二つのワールドカップ 本戦と地区予選
ワールドカップと言えば、南アに勝った日本のラグビーが世界中から注目されているが、そ
の南アが早々とベスト8進出を決め、もしスコットランドが10日のサモア戦に勝てば、たとえ日本がアメリカを破って3勝1敗の同率で並んでも、3位が確定しベスト8は阻まれる。
スコットランドが破れ日本が勝つか、スコットランドが引分て日本が4トライ以上で勝てば、
プールBの2位が確定しベスト8進出。でも可能性は極めて薄い。

そんなラグビー日本の活躍で、忘れ去られてるのが、2018年FIFAワールドカップロシア・アジア2次予選 日本対シリア が戦渦のシリアから中立地オマーンで、日本時間の昨
夜22時から行われた。グループEでシリアは勝ち点9で首位、日本は勝ち点7で2位の対戦。
結果は本田のPK、岡崎と宇佐美のゴールで3−0の快勝、グループEの首位を奪回した。

昨夜ギターの練習に長寿庵に行くと、豪雨被害から1ヶ月が経つというのに、まだまだ長寿
庵の1階も2階も2桁以上の被災者家族に宛がわれていた。
こんな時ギターの練習にちょっぴり気が引けるが、思いは様々・・・
長寿庵恒例の来月11月22日のサークル演奏会はここで予定通り行われるのか心配だが、入
居者の気分転換のお役に立てるのならこれも本望。

午後、長女と孫がやってきた。相変わらず人見知りの孫は母親にしがみ付いて顔を合わせようともしない。暫くすると少し慣れてきたが、婆ちゃんは曾孫が可愛くて仕方がない様子。
お母さんが病院に行っている間は爺が乙守。  壬生のわんぱく公園で時間をつぶす。
やっぱり孫は可愛いもの。







2015/10/08 13:38:00|
今年も柿がどっさり        10月8日
下野市の元観光ボランティアのKさんから今年も柿を取りに来てと電話があり、今朝10時前に友のS君も誘ったが都合がつかず一人で柿落しにお伺いした。毎年この時期にどっさり頂いているのだが、去年からそのお返しに柿の木の枝下しをちょっぴりお手伝いしている。
これぞまさしく お安い御用だ!
それにしても然して大きくもない柿の木によくも毎年鈴生りに実ったものである。
手首位の太さの鈴生りの柿の枝を鋸で切り落とし、背中に負ぶう様に運ぶのが大変だった。100個以上の実をつけた枝含みのその重さは人一人に相当する重さに感じられた。
2時間かけて約50sの柿をもぎ取った。下した枝に着いたままでゴミ置き場に捨てられる柿の実。勿体無いと思うがこれ以上持って帰ってもとても食べきれる量ではないので」断念。

帰り道、息子の美容院に寄り、50個くらいお裾分け。家に帰り母に見せると、母は早速近所のお2方に 「お好きなだけ持って行ってください」 と秋の味覚を差し上げていた。







2015/10/07 14:24:00|栃木の観光名所
栃木市の観光名所 大雨災害からく1ヶ月
9月9日の豪雨被害から早1ヶ月、街中に傷跡は無数に残り、横山郷土館などは閉館されたまま。長寿庵他市内の避難所には未だご自分の家に帰れない避難者も多々おられる。

2日前に、山猿日記さんのブログに「太平山も豪雨被害」の記事が載っていて、立入禁止のアジサイ坂の倒木が道を塞いでいる痛々しい写真を拝見。思わず居ても立ってもいられなくなり、急遽S君を誘い10:30に車で現場を目指した。
立入禁止を無視して進入するのは気が引けたので、長谷川平顕彰碑の前に車を止め、ここからアジサイ坂にトラバースする山道を辿った。大曲駐車場から福松家東側に下る山道に合流するまで、幸いにこの道はほとんど被害はなかったようだ。
その分岐から4,50段木段を上に登り、アジサイ坂への分岐を左折して、大荒れの孟宗竹の竹林に足を踏み入れると大竹の他に針葉樹の倒木も目立った。だがアジサイ坂が近づくと、荒れ様が一筋縄ではなくなっていた。写真が提示できないのが虚しいが、大きな広葉樹が道を防ぎ、田村律之助翁の胸像が立っていた十坪程の斜面は土砂と倒木に埋め尽くされていた。

アジサイ坂まで倒木を跨いだり下を掻い潜らないと到達出来なかった。普段ならなだらかに綺麗に敷かれた石畳が、土砂と倒木に覆われてその判別がつかない。石畳の上に大理石のような大きな石が横たわっていたが、それが田村律之助翁の台座だと、直ぐに判別できた。土砂と倒木と一緒にアジサイ坂の石畳まで押し流されていたが、台座の上の胸像は近くには見当たらなかった。
此処から上を見上げると、大木が幾重にも折り重なって石畳の道を塞いでいた。六角堂の方を振り返ると視線に入るアジサイ坂は特段不具合はなく登山者が1人登って来た。古河市から来たその人は、今回の栃木市の被害の凄まじさに大変驚かれていた。

現場を見た限りでは、土砂と倒木を取り除くのには大型の重機が必要だろうし、復旧には相当な時間とお金がかかりそう。県立公園という柵(しがらみ)もあろうが、来年のアジサイ祭りまでに復旧の目処が立つよう、御上のお計らいを切に要望したい。