雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/04/29 3:26:58|
渡良瀬遊水地を7時間も・・・A
道の駅きたかわべには3階建の「スポーツ遊学館」があり屋上の展望台から眼前の谷中湖を含め渡良瀬遊水地が一望できる。前回はハートの谷中湖は水抜き中で湖底を露わにしていたが、今回は満水の水を溜めていた。近くには3県県境(栃木、群馬、埼玉)があり、群馬県板倉町海老瀬、栃木県栃木市藤岡町下宮、埼玉県加須市小野袋がそれぞれ接している。三県境は全国に40か所以上あるものの、基本的に山間部や川の中にあるため、サンダル履きで行けるこの三県境は全国的にも珍しい。また、この三県境から東南東に約2.4キロメートル離れた渡良瀬川上に茨城・栃木・埼玉の三県境がある。
道の駅で蕎麦とうどんを頼み、ISH君の頼んだ蕎麦を2箸だけ摘まんだ。

続いて三国橋を渡り古河市に入り野渡河岸の蔵跡のある雀神社に向かう。大学浪人中1年間過ごした処だが、古河市民はこの神社を「おすずめさま」と呼んでいたことを思い出した。
次にNUMさんの勧めもあり野木神社に向かう。目的のニリンソウは完全に終わっていたが、駐車場は車で溢れていた。フクロウがお目当てで、境内では欅の大木の左上の方にレンズの眼が集中していた。ISH君は殆どのカメラマンと挨拶しっぱなし。他人の愛犬にまで知合いの仲だと声を掛けていた。フクロウが泊まっている位置を教えてもらうも、目が悪い俺にフクロウはよく見えなかったが、彼の望遠レンズで即座に捉えたフクロウのモニター写真(さくら&ももの徒然日記をリンクすると4月30日の投稿写真で見られます)を見せて貰うとはっきりと映っていた。 樹齢1,200年の公孫樹(大イチョウ)は坂之上田村麻呂が蝦夷討伐に功を成し、それを奏でたものと言われる。芭蕉墳もあったが定かではなさそう。
国の重要文化財、野木町煉瓦釜の脇を通り野渡橋を渡り渡良瀬遊水地に戻る。野渡橋から渡良瀬川と思川の合流地点が右手に見えた。

谷中村史跡保全ゾーンの処で足の悪い3人は歩くのを諦め、ISH君の旧知の女性の売店で買ったソフトアイスで乾杯。谷中湖の北ブロック駐車場に回り、湖岸迄降り、ウインドサーフィンやヨット(スナイプ)やカヌーに戯れる若者を見た。風が強く最高の条件が揃う中、紺碧の空からセスナ機の騒音が聴こえた。4,000m上空からスカイダイビング用セスナの瀑音。
旧谷中村合同慰霊碑と新開橋北詰の藤岡文化会館駐車場入口付近に建つ、田中正造翁の銅像(高さ3.3m)を見、セスナの離着陸現場に向かう。第3調節池の中にある天然の滑走路で陽子さん達と菜の花を見に来た時にスカイダイビングの現場を直撃したところ。
セスナ機が遠くに見えたが、いつ飛び出すのだろう?手前の木陰にはスカイダイバーの車が10台位見えた。記念にと立ちション連れションで菜種になった花の海に養分を与えた。俺は便通を催すが我慢できる範疇。

ここから2qも続いた元菜の花の海を突っ走り部屋小の傍の巴波橋を渡り、午前中に見た菜の花の海を見下ろし永野川と巴波川の合流地点を眺め、途中車の中で話題になった吉田石松翁の墓を見学。昭和の巌窟王として50年ぶりに無罪放免、でも9か月後に没。なんとここにNUMさんは庭師として枝垂桜を植えたそうだが、今は跡形もなかった。

ここで今日の旅は終わりの予定だったが、次に榎本城城主に纏わるお寺巡りが続いた。まず榎本城跡を紹介してくれた。話には聞いていたが榎本城の存在場所とその案内板が同級生の三上(故人寺の住職)が携わっていたことを初めて知った。その城主近藤出羽之守字綱秀(1590年没)の墓は榎本の大中寺の傍にあり、総持山妙性院常念寺で今は廃寺になってる。観音堂には4隅と正面に見事な彫刻が施されていたが、手入れしてないので見すぼらしかった。大中寺にも序に寄って、本多大隅守忠純(1622年没)の墓を見学。榎本城の城主であったが城は没後幕府に没収。忠純の兄は本多上野介正純で徳川家康の四天王。

午後5時まで掛かってしまったが、充実した旅で、疲れは感じたが、体調に負担はあまりかからなかった。NUMさんもオーバーワーク気味だったが、帰り掛け感謝の言葉を添えてくれた。 今朝に続きトイレで今の俺にしてはドッサリ便が噴出、さっぱりした。    








2018/04/28 23:40:00|
渡良瀬遊水地を7時間も・・・@
ISH君の運転で遊水地に向かう。彼のガイドを通して、遊水地に対する考え方と、鳥取り爺さんに傾注する心意気が只ならないのが、仲間との付合いや情報量の多さで良く解った。

いつものコースではなく、県道174号線の中里交差点で右折するとすぐに堤防が見えてくる。巴波川の堤防だ。そこを左に曲ると巴浪川と永野川の合流地点だと午後の帰り道で案内された。巴波川の左岸堤防の上を走り巴波川決壊口記念公園の先、川が大きく左折する川幅が一番広い場所まで走ると、その広い川床に黄色い菜の花がまだかなり残って咲いていた。NUMさんが「保育園児や幼稚園児にここを見せたいね。この土手を使って菜の花マラソンをやったら素晴らしい」と後部座席から歓声を上げていた。ここはなんと今年何回も通った部屋小学校の巴波橋前の堤防を右折した菜の花の海の反対側だった。

次に巴波橋を左折し県道174号線の新波十字路を通り越し173号線の丁字路を右折すると左手に今まで見た事のなかった第4のコウノトリの鉄塔の巣にお目にかかった。174号線を跨ぎ細い農道の右手、左手に、前に見たコウノトリの鉄塔巣が続けて飛込む。左手には下生井小がある。この先は渡良瀬遊水地の第2調整池の堤防で、そこから現在造営中の第4の巣が見える。2羽のコウノトリが目に飛び込むがそれらは贋作で計8羽がつくってあるとか。
堤防を通り越し第2調節池に降りて、コウノトリの巣の近くまで砂利道を走る。そこから渡良瀬川の新赤麻橋に出るまでは、前回彼に案内されるまで未知の道路で、その道を逆走するから余計判らない。新赤麻橋を渡れば第1調整池でハート形の谷中湖はその中にある。

第2調節池と第1調節池の間の渡良瀬川の堤防の上を走り、第1排水門を横切り谷中湖の最南端に来た。そこから堤防の内側を北に進むと渡良瀬総合グランドの中に入り木立の茂みのある場所に出た。県外ナンバーの車が多く停まっていた。木立の下に高価な望遠レンズを携えた愛鳥カメラマンが固まっていた。ここはトラフズクという鳥の巣がある木立で、今年は5羽の雛が孵ったという。カメラマンがあそこにいると教えてくれるが最初は全く分からなかった。上を見続けると病身には堪えて直ぐに目が回った。ようやく判ったがISH君がスマホを開いて、昨日撮った5羽のトラフズクが一緒に写っている静止画を見せてくれた。これなら表情まで良く解る。忽ちそれを見ていた愛鳥家が寄って来て、彼のスマホを覗き見する。彼はコウノトリやその他の鳥の動画や静止画も開いて、説明してあげると、たちまち人気者となり羨望の眼差しで見つめられた。緑の名入りのガイド服を着た渡良瀬遊水地ガイドクラブの人が男女1人ずつ写真を撮っていた。彼らも彼のスマホを見て感心していた。

昼を回っていたので、近くの道の駅きたかわべ で昼食を取ろうと決めて走り出した。







2018/04/28 20:58:00|病身になって
渡良瀬遊水地を7時間も・・・ その前置きとして
昨夜はギター練習の後、OHOさんをあだち考古館2階のムジークまで送ったが、一緒に少し付合おうと階段を上って行った。4月10日に出かけたヨーロッパ一人旅のNAGさんの帰国報告を聞きたいと思ったからだ。本来なら俺も一緒に旅行している筈だったが、病身の体で体調不良により断らざるを得なかった。葉巻(cigar)愛好家の友人と2人で待っていたNAGさんは直ぐにタブレットでコモ湖やドロミティや南チロルやウイーンの動画静止画を見せてくれた。ジュースをご馳走になるがお腹に何も入らないのと少し疲れたので早々に退散した。

昨夜から如何も少し体調がよくなかった。早く寝ようとしたが、今朝2時まで眠れなかった。8時前にISH君から電話があり、今日の予定と体調を聞いてきた。「君の家に行き、そこから渡良瀬遊水地を案内して欲しいと言っていたが、やっぱり此処まで迎えに来て欲しい。最悪NUMさんだけ乗せて、俺の車で案内して欲しい。同乗するだけの体力の自信が無くなってしまった」と話すと「確かに声にいつもの元気さが感じられないね。でもね、コウノトリの鉄塔の巣も4ヶ所見せるし、まだ菜の花も咲いてる場所にも案内するし、やっと巣から出たトラフズクの5匹の子供達も見られるよ」と好奇心を撫でるような言葉で誘惑してきた。「とにかく10時迄にこちらに来て。体調がよく成れば予定を変更するけど」と言って電話を切った。
起きてトイレに立つといつになくおしっこが勢いよく出てお腹が少し痛くなった。末梢神経失調症の影響で足の裏がパサつき、右足の親指の処の皮を中心に足裏の皮がだいぶむけていた。素手と鋏で皮を剥がし塗薬ヒルドイドとそれよりも効き目の強い病院薬を大胆に塗って治療終了。いつもの朝食を食べた後、トイレに行くと、粒になった便が3,4個でた。また少しお腹が痛くなったが、それまでの気分悪い気持から少し解放された。

10時前に白髪のNUMさんが遣って来た。「上がってください」と声を掛け、居間でPCを開け、先日ISH君が送ってくれた16枚のコウノトリの写真と陽子さんからの絵手紙を見せた。絵手紙の差出人は、良い写真だねと先日NUMさんが感動してくれた、大手を広げて菜の花の海に4Ⅼ版で写っている5人の中の女性で、花の旅でお世話になったとのお礼の絵手紙だ、と説明すると「君はいい友達に恵まれてるね」と一言。そこに写真にも写っていた今日の同行運転手ISH君も現れ、コウノトリが鯉の様な大きな餌を口に銜えた写真や、巣造りの為の藁を銜えて鉄塔の巣に運ぶ直前の写真など特徴のある写真をみて益々大喜び。ISH君がコウノトリの背に写った線を指さし「無線機のアンテナです」と解説し、は背中にその無線機がハッキリと写っている別の写真も紹介してくれた。
3人の会話の中で、一緒に行きたいという気持ちがいつのまにか抑えられなくなってきた。
そこには「今は少し体調も良くなってきたたので俺も一緒に行くよ」といつもの積極的な自分が戻っていた。朝のトイレで、体にいい兆候が出たのかもしれない







2018/04/27 11:09:53|癌との共存
たまのクリニック
9時半にたまのクリニックに向かった。今日は体調に気を付けたせいか、
食欲が無くても気分は良かった。天気がいいからなのかもしれない。

1昨日従兄弟の嫁から訃報のメール連絡を受けた。お伺いしたいが、体調
不良でお伺い出来ないが、せめて葬儀場を連絡して欲しいと電話で頼んだ。
余計な事だったが、ここ1年8ヶ月の闘病生活を話すと、「でも声が元気な
のでとても信じられません」と返事が返った。今迄は声も体も然して異常
がなかったが、此処の処体調に自信が持てなくなってきた。

でも、動けるうちは何とか動きたい。昨日も学生時代の友が、5月になった
ら3人で訪ねたいからと電話があった。10日(木)を希望してきたが、その日
は独協医大第2外科の定期検診があり、夜になって9日で如何かと都合を聞い
てきた。予定表に書き込んでおくから、楽しみにしてるよと、即返事した。

夕方5時から くらら でギターの練習。5月2日のドイツビール祭りに参加
する為12日に続いて2回目の練習だが、4年前の膵臓癌のINA先輩の例もあり、
これが最後の花道になるかも・・・   それはそれで仕方あるまい!?







2018/04/26 21:54:00|
獨協医大呼吸器アレルギー内科    4月26日
今朝は7時過ぎに弟が遣って来た。母の呼吸器アレルギー内科の外来予約は9:00〜となっているが、今回は初診になるので待ち時間が長くなるかもしれないから、早く連れて行こうとの配慮だった。その意も解さず、2人が出掛けたのは8時40分を過ぎていた。
先月22日の体内に埋められたペースメーカーの定期検査時に、レントゲン写真の中の肺に影が写っていて、その日のうちにCT検査した結果を、今月5日に家族(弟)が呼び出され、肺癌かもと報告を受けた。検査は心臓・血管内科で受けたので2年前のレントゲンにも薄く映っていたらしいが、その点進行は遅い様だし、今日は中島医師から紹介状を頂き、専門の呼吸器アレルギー内科で精密検査を受けた。

12時半ごろ、独協医大病院から検査が不足しているのでと電話があり、まだ帰っていないので、直接弟の携帯に連絡するように教えた。少し不安が過ぎったが心配には及ばなかった。

1時に「母は兄貴と食べたいんだって」とお弁当をぶら提げて帰って来た。病院からの要件は、血液検査用採血は余計に採ったが、それでも容量が充分でなく、再度採決に戻れれないかとの事だった。車中の母は今日はこれ以上注射されるのは嫌だときっぱり断ったらしい。
弟からは、例え癌になっても高齢の母の手術や抗癌剤治療は望まないし、緩和治療を優先させ老衰を待ちたいたいと担当の新井医師に伝えたと報告を受けた。まさにその通り。
問診中、母が、「何の話をしてるのか聴こえないんだけど」と怪訝そうに聞いてきたが、聴こえないで助かったよと、追加報告有り。
弟とお弁当を食べている母は いつもより元気が良いように見えた。