雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2016/04/19 20:06:00|
コシアブラ
今、母と2人で夕食を食べだしたところに、SEO君が揚げ立てのコシ
アブラと特性生卵を持ってきてくれた。
母もコシアブラは初めての食味だったとみえて「どうしてこんなに尽
してくれるんだい」と日頃の手作り野菜の差し入れにも触れ感謝頻り。
恥ずかしながら初めての食味は小生も同じだった。山菜の王様に相
応しい何とも言えない風味!
しかも揚げ立てを持ってきてくれたので格別だった。有難う!友よ!







2016/04/19 18:00:08|
わんぱく公園も花盛り
熊本地震も14日に震度7の大揺れから始まって今日で6日目。被災地も熊本県から
大分県に広がり、死者は44名、避難者は116,000人を超える。
昨夜は冷えが厳しく、家に戻れない被災者は大変な思いをしたであろう。車の中で
避難生活を送っている人からエコノミック症候群でお亡くなりになった方も出て
きた。地震国日本ならではの、阪神中越東日本大震災の経験を生かした援助や支援
体制を上手く生かし物流、ライフラインの復旧や行政、ボランティア活動を有効に
活用してるだろうか。

日中は好天で気温も高かったが、午後いつものように独協医大に娘を送り、孫と
わんぱく公園で2時間近く遊んでいたら、急に空が暗くなり今にも降りそうな気配。
わんぱく公園の中央の夢花壇は、チューリップの花を中心に春の花の花盛り。
さいわい降られる前に、車に乗り込めたので傘無しでも差し支えなかった。帰宅後
明日の為に又 くらら に鍵を借りに行ってきた。







2016/04/18 21:00:00|栃木の観光名所
蔵の街栃木市は今まさに花盛り
9時にSEO君から携帯に山の誘いがかかってきて、9:40に上人橋で待合せ。
永野川上人橋手前の水道局北の土手にに咲く2本の黄桜《ウコン(鬱金)の桜、
ギョイコウ(御衣黄)との区別が解らない》が満開になっていた。
ゆっくりと響きの森まで、緑地公園からいつものワンマン登山道を歩いた。
栃木CCの桜は完全に葉桜に化していたが、山桜は所々に花を残していた。
響きの森に着いた時、友の左手には白木の芽(コシアブラ)の新芽が、スー
パー袋一杯に摘み取られていた。彼には山菜の所在が解っているようだ。
響きの森でそよ風に当たり栃木市内を眺めていたら、SUZさんが車で登って
きて、続いてNONさん、SIBさん、MINさんと響きの森の仲間が揃ってきた。
ある人はコロッケや春巻き、ある人は鍋ごともつ鍋を、と次々と食料が並べ
られた。この仲間ってどうなっているのだろう。我々登山者は只々お零れに
預かるばかり。ここは大人のロマン、子供の時に味わった隠れ家!住処!
明日は山麓で摘んだコシアブラやヤブレガサやセリを、ここで天麩羅で揚げ、
SIBさん持参の蕎麦粉をNONさんMINさんが手打蕎麦を披露する話が纏った。
ピザ窯も造ったし、ここに集まる老人(わこうど)は自前で何でもござれだ。
昼近くなり、早々に退散し、山路を降って、友と2人車で星野に向かった。

星野では1年振にKUMさんのお宅にお伺いした。家の下の畑に奥さんが野良
仕事をしていたので、挨拶して、裏山に入山の許可を得た。奥さんの話では
クマガイソウも蕾がほころび始めているとの事。既に屋敷に登る左側の竹藪
の中には黄色いヤマブキソウが満ち溢れていた。アズマイチゲ消えていたが、
ニリンソウも咲き誇っていた。クマガイソウはまだ2,3分咲き乍ら、杉林の
裾を覆いつくしていた。山吹と山吹草(草山吹)の黄色が目に眩しく飛び込ん
できた。いつもながら気軽に裏山の花々を見せていただき感謝!感謝!

空は今にも降りそうな雲行だったが、せっかくここまで来たので大垣花山に行
くことにした。オーナーのOOIさんが居て、しばし福島の花見山についての歓
談。ここの入口のシャクナゲが綺麗だったが名物キバナカタクリも今が盛りと
咲き誇ってた。多品種のイカリソウやエンレイソウ、雪餅草が人目を引いた。
ピンクと白の花桃や黄桜や八重桜が山を染めていた。

この栃木の自然を如何にかしてアピールしたいのだが、何故に行政は、福島の
花見山のように乗ってこないのだろうか。三毳山、星野出流の花々と、つがの
里、花之江の郷、大柿花山、太平山、渡良瀬遊水地。栃木市の持つ自然の恵み
一杯の観光資源を地元行政は気付いていないのだろうか。  困ったものだ!







2016/04/18 18:39:29|にっぽん百名山
1年前の九州五山
昨年4月23日から29日まで九州の山巡りをしたが、もしその時に今回の地震に遭遇して
いたらと思うとゾォーとする。
23日に鹿児島空港に降り立ち、レンターカーを1週間借りて、その日のうちに開聞岳に
登頂。鹿児島に一泊し翌日入山禁止の硫黄山を避けて霧島山の最高峰・韓国岳に。
阿蘇の麓の簡保の宿・阿蘇に一泊し、霧島同様火山活動の影響で入山が限定され阿蘇で
唯一許可されたのが最高峰高岳 への直登。
3日目の宿は祖母山山麓の民宿を目指したが休館中で、20qも下の竹田市街まで戻って
翌日祖母山を踏破。今宵の宿は日田市に予定するも、彼の地に着けば所在地は更地と化
して建物の跡形もなし。
準備不足があらわになった。今更宿を探す当てもなく、2時間かけて阿蘇の簡保の宿に
再投宿。怪我の功名で やまなみハイウェー を朝夕と往復でき素晴らしい阿蘇の景色
が堪能できた。
5日目に九重連山は久住山と最高峰の中岳は登れたが ぼうがつる 迄は足を延ばせな
かった。これで九州にあるにっぽん百名山の5山は完全踏破。
6日目の28日は予備日
になっていたが、せっかく九州まで来たので地元で評判の高い由布岳に登り翌日福岡空
港でレンタカーを返し、空路で羽田から栃木に帰った。

もし、今回のような地震が発生していたら、道路の遮断により阿蘇を中心にした移動が
思うように出来たか如何か・・・







2016/04/17 22:29:00|法事と月命日
喜美子伯母一周忌          4月17日
横山町の本成寺にて11時より伯母の一周忌。天気予報は9時から迄夕方まで傘マー
クだったが幸いに降られず出隅午後からは陽射しも見えてきた。
これも伯母の為せる業なのだろうかと信じたいほど素晴らしい人だった。
もし同じような舞台が用意されていたら、NHKの連ドラの「あさがきた」の主人公
白岡あさ=広岡浅子さん以上の活躍が間違いなく出来た女性だと思う。
商魂も然ることながら、子供の教育にも熱心で、二人の男の子を、その当時どんな
情報を得て、進路を導いたのかは定かでないが、柔と剛、知恵と技能、個人の特性
を見極め、先見の明ありで、中学校から、長男は東京の開成中学、次男は宇都宮の
一条中学とレ―ルを引いたのも、驚きだった。
常に家想い、家族思いの人で、家族に対する情熱も然ることながら、今日ここのに
集まった甥っ子姪っ子はすべて叔母に世話になったものばかり。
お節介やきの故人喜美子伯母に親しみを込めて献杯。

念願だった伯母の孫T君のお嫁さんが和田屋での会席で紹介され、昨年生前にお会
いしていると聞かされて、今日の雨の天気予報を晴れに変えた叔母さんの力で此処
に導いてくれたんだと納得し、遺影から飛び出して、その喜びを微笑んで語りかけて
いる姿が眼前に浮かんだ。