雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2018/05/13 21:39:31|
母の日
70才を超え、一緒に暮らす母と、母の日を迎えられるってとっても幸せな事なのかな?!
もう直ぐ(5月30日)で94才の誕生日の母。耳は遠いが自分の事は自分で出来る母の存在。
本来なら介護や身の回りの世話で経済的にも手のかかる筈の母なのに、寧ろ有り難きかな!
年金は生活費以上にたっぷり入るし、家族の付きっきりの世話は受けないで済むし・・・
生涯世話になりっぱなしの具足は、、まったく頭が上がらない!

午後SOE女子(マーちゃん)から様子伺いのショートメールを受信。 SMSだと文章容量も制限があり、添付写真も送れないので携帯メールアドレスを伺うも、よくわからないという。俺のメールアドレスをSMSで送信し、そのアドレスにメールすれば彼女のメールアドレスが判ると連絡。すると、SMSにショートメールで了解と送られてきた。後で大笑い。







2018/05/12 23:39:26|家族
明日は 母の日
今朝は10時前にSEO君が遣って来て暫し歓談の後、彼にアクアのキーを渡し、本日NAGさんの東京からくる友達の運転送迎をお願いした。結果的にはアクアではなく7人乗りのNAGさんの車の運転をして、SUZさんと2人で総勢11人の移動を賄ったらしい。
俺は俺で久し振りに掘り炬燵を離れ、2階のベッドで充分に体は休めたが、なんとなくお腹が張り1日中居間で横になって休んでいた。11時には弟が来て家の中の掃除と洗濯、整理整頓をし、夜は妹が来てくれた。 先週今週で母の4人の子達は勢揃い。何と手際の良い事か!
昼には先週金土日に訪れた盛岡の弟から、郵送で母の日プレゼントが届いた。箱の中には、福ちゃんマークの入った5色の色違いのテーシャツ5枚と、お小遣いと1本のビデオが、手紙と一緒に入っていた。夕方帰って来たSEO君と弟と母と4人でそのビデオ(5月4日と5日)をみた。5月4日のビデオには、粟野農場のハンカチの木となんじゃもんじゃの木やその他の花々、小倉川に纏わる河童伝説と河童まんじゅう、東高野山弥勒院 医王寺の茅葺の本堂や唐門などの重厚な建造物と、大柿花山の園内の周遊の映像と、母と小生の居間での一時の風景が手際よく映し出されていた。5月5日のビデオには盛岡への帰り道に、白河の御城や大内宿への寄道動画が要領よく写っていた。弟が一言「大分編集が上手くなったね。これならもう一度見たくなるよ」と珍しくお褒めの言葉。
相変わらずの木偶の棒(坊)は、明日は母の日だった事をすっかり忘れていた。       







2018/05/11 15:48:33|癌との共存
独協医大第二外科          5月10日
息子に送られ独協医大第二外科の外来に行くが、第二外科に来るのもたぶん今日が最後に。
本日は予約患者が2,800人を超え、各科も混んだが、特に駐車場が混んでいて、俺だけ病院フロントで降ろしてもらい、息子は駐車場に向かったが、駐車困難で警備員に教職員駐車場に案内されたとか・・・。教職員の駐車場に駐車するなんて初めての事だった。
10時の予約だったが第二外科の外来診察は意外にスムースに流れて、時間に余裕が出来たので、娘に電話し、緊急入院中の孫に逢えるか打診すると、限定二人ずつの特別面会の許可が下り、俺と息子が娘に付き添われ7番目の孫との面接が許された。2才と9ヶ月の幼い命、体中に管が通されて、目を閉じた儘の幼い命とのこれが最後のご対面になるのだろうか・・・今まで生きててくれてありがとう!

第二外科の青木先生がエコーを通してお腹の検査中に、画面を指しながら、肝臓の腫瘍がだいぶ大きく成っていますね。第一外科からの報告に、食べ物が入らなくてと聞いているが、この影響もあるのかもしれません。と報告された。先々月から抗がん治療を完全に止めたのだから仕方ない事だ。「手術が出来ると思っていたのに、癌が転移してしまったので手の尽くしようがなく残念です」と目頭を押さえながらのお言葉に「転移さえなければ手術出来たのに、でもそれまで尽くしていただいた事に心から感謝してます。ありがとうございました」とさっぱりと答えられた自分の言葉に涙はなかった。

病院滞在中、次男から長男に電話で、1時から2時の間なら髪切れると連絡があったらしい。
病院からの帰り道、平柳の美容室Be leaf に送って貰い、久し振りに散髪して家に帰った。
帰るとSUZさんから響きの森にいるとの電話があり、5月20日のチケット4枚を受取りに。
受取って間も無く、そこにNAGさんが遣って来た。明後日東京の友達が栃木に来るとか。
運転手が必要で、SUZさんに頼んでいたが、誰かもう一台との要望を小耳に挟んだ。
俺で良かったら?、でもこの体だから、友人のSEO君に頼んでみましょうかと提案。
あいにく携帯を忘れていたので、帰って直ぐに彼の確認を取り、連絡すると断って帰宅。
直ぐに了解を得られたので、NAGさんに即返し、SEO君の積極的な参加を促した。
これからはここ響きの森の仲間として、SEO君、ISH君に積極的に参加して欲しい。
それが世話になった二人への俺の望みだ。







2018/05/11 14:41:00|
モンブランの3人の仲間が集まる    5月9日
今日はモンブランスキ−同好会の仲間3人が栃木に遊びに来る日。去年もOMU君、NAR君は栃木に遊びに来てくれたがKAW君は今回が学生時代を含めても初めてだと思う。昨夜から今朝にかけ土砂降りの雨だったので、今日は中止にしよう と電話する積りでいたが、8時を過ぎてから雨が小降りになり、会えるんだったら雨でもいいや、とそれまでの迷いを吹き飛ばした。9時半前に、千葉のNAR君から「今、葛西臨海公園駅前で2人を待っている処。11時過ぎには着けると思う」と電話があった。
その前にSEO君が5月20日の響きの森の入場券を2枚引取に来た。ISHくんも医者の帰りに寄ってくれていた。そこに東京からの3人がNAR君の7人乗りのシエンタで、11時過ぎに自宅まで遣って来た。ISH君はそそくさと帰っていった。
居間のテーブルで歓談、ヘルパーさんにお茶を出して貰いビデオを見たり昔話に話が弾む。
外は小雨ながら、KAW君は、なにせ栃木は初めてで、栃木は静かな処だね、と呟いてた。
昼は何処で何をという事になり、前回も訪れたMARUTAに行く事に決めた。
その前に遊覧道路から響きの森へ。さすがにこの天気なので今日は誰もいなかった。OMU君、NAR君は昨年の晩秋に来ていたが、ミニドームや見晴らし小屋を見た後、ミキサー室の壁の写真を見てKAW君は、確かにここは面白い処だね、と興味を示してくれた。
五月20日にはここで、MIN氏の創設したモーツアルト・コレ−ゲ・アンサンブル(ヴァイオリン8名、ヴィオラ3名、チェロ2名、コントラバス1名)の弦楽合奏団のコンサートがある。
モンブランの仲間に相応しい処だと思っているMARUTAは、貸切状態だった。
学生時代 、目の前にいる3人は東京育ちで洗練された学生に見え羨ましい存在だった。
モンブランの活動にもっともっと参加していればとの後悔は残るが、でもこうして50年経った今でも、伊藤忠商事、NHK、デュポンとそれぞれ社会人としての道は違ったが、友として気軽に会えるのは、俺の財産であり宝物だと感謝したい。
観光ボランティアとして蔵の街を案内したかったが、天気も良くなかったので、せめて最後に旧市内を車で流し、油伝味噌だけ立寄って午後3時半に分かれた。ありがとう!友よ!







2018/05/11 13:07:00|病身になって
パソコンの不具合          5月11日
3日前からPCが動かなくなり、CC9のサポートセンターにSOSを発信すると、機械本体の故障なので、御買上店かメーカー直に補修点検サポートをお願いしてくださいと言われた。
息子に頼み連絡先レノボスマートセンターを聞き出し2013年6月11日の買上を連絡すると、機種b聞かれ、バッテリーボードを外してそこに記入してある記号をお応えし、訪問診断をお願いした。提携先の訪問診断の会社から連絡がある前に念の為PCを立ち上げてみると何の問題もなくPCが起動し、キーボードの変調も直っていた。日頃の機械音痴が恥かしいが、丁寧にお詫びして、修理をお断りした。

これで、またしばらくはPCでブログが発信できると思うと嬉しくなってきた。
ブログは9日の大学の友3人が遊びに来たことが途中までメモ帳に下書きしてあった。

そこに丁度、過去に何回も勧誘に来ておられたお二人の女性宗教信徒がお見えになり、体調も悪くないし、PCが思いがけずに使えるようになったので、今日は住職さんとお会いしてもいいですよと即答し、お二人の車に乗せて頂いて、お寺さんにお伺いした。白装束の住職と約1時間、最初は談話室で途中からご本尊様のまん前でお話を伺う。心と体が病んだ人の心を察知した住職の言葉は確信をついていたが、さりとて今日まで無神論者の手前、急に入信する気持ちには毛頭なれない。でも今迄経験のない新しい世界に飛び込めた。
とにかく今回の住職との体験で信徒のお二人の勧誘する慈善の心が少し理解し得た。