雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2016/10/01 8:00:21|月参り
雨の月参り             10月1日

CATVの囲碁将棋チャンネルで・郷田真隆王将
対梶浦宏孝四段の第24期銀河戦を深夜に寝付かれ
ないまま何となく見ていたら、途中から好勝負と
なり夢中で1時40分まで見てしまった。千日手で
指し直しに持ち込もうとした局面を郷田王将が回
避、解説の木村一基八段もだいぶ熱くなっていた。

今朝は5時半に起き、小雨の中太平山神社に10月
の月参り。境内には連日の雨降りの所為か 駐車
車両が多かった。

9月の日照不足は今月も引きづりそうな気配。


本殿で孫と己の病気平癒、健康と家内安全を祈願、
福神社の幣束と榊の木2束を 家の神棚に供える。
我が家の神棚の幣束台も金の幣束を中心に埋まり 
いよいよ残すは11月の1穴で満願。







2016/09/30 6:00:00|その他
歌麿夢芝居をより楽しむ為に
蔵の街とちぎの観光の目玉は蔵造りの町並の歴史と文化に負うところが大きいが、歌麿の存在も近年頓に脚光を浴びてきた。特に一昨年(2014年)の3月5日にNHKの歴史秘話ヒストリアで 66年ぶり世紀の大発見として 深川の雪 が取り上げられ一躍脚光を浴びた。

今回で第6回 歌麿まつり〜歌麿の愛したまち とちぎ〜(10月1日〜10月10日)の一環としていよいよ明日 歌麿夢芝居・恋しや恋し母子草 が栃木市栃木文化会館小ホールで開演。

演出家 野崎美子氏のお力を借り、劇団青年座の石井淳さん以外は出演者は全て素人の栃木市民。この公演の企画運営をした「歌麿を活かしたまちづくり協議会」他 関係者の方々は殆ど芝居づくりは初体験。作者も栃木市民。すべてが市民の手作りと言ってもいいだろう。

芝居を愉しむだけなら、舞台を注目してもらうだけで大いに結構なことながら、歌麿と栃木の繋がりが狂歌を通しての大店(おおだな)商家との絡みを知れば知る程深みが増す筈です。

歌麿、蔦重、宇八はそのままの人物として理解してもらえばいいが、歌麿の幼名は市太郎で後に勇助と改め、鳥山石燕に学ぶ。蔦重は蔦屋重三郎(錦絵の版元)。蔦屋宇八との親子関係は真相不明。玉喜の旦那は善野喜兵衛のこと。治右衛門は上の坊三説の家守(やもり)喜多川儀右衛門。子供達の遊びで出てくる上の坊三説や中の坊円悦は栃木一と言われた大店 善野家の更に上の豪商(お坊さんとの説)。上町の玉佐、中町の玉伊、下町の玉喜は釜佐、釜伊、釜喜のこと。善田佐次兵衛、善田伊兵衛、善田喜兵衛は全て善野と置換えれば合点がいく。

歌麿の出身に関しては川越や江戸説に加え近江、京、大阪、栃木などの説があるが、今回作者は大胆に栃木説を展開し、絵の才能を見出されて江戸で鳥山石燕に学ぶ設定。幕府の圧政に打ちのめされ蔦屋重三郎と栃木に逃れ、絵筆を執る気力も失せるが、やがて栃木の生活の中から再起を決意させた「巴波川杭打ち図」「三福神の相撲図」や大首絵に繋がる貴重な肉筆画「女達磨図」の謂れ、雪月花の三部作の一つ「品川の月」など栃木に関連した貴重な肉筆画との関わりが芝居の中で展開される。

これらの事を理解して観劇すれば原作・脚本を書いた市民作家 吉永洋一郎氏の意図が更に理解できると思います。
 







2016/09/29 18:56:00|
50年前の大平中の同級生
昨日はケアマネのHASさんが午前中に見えて、母への新しく変
わった介護プランと来月以降の介護計画の相談をしてくれた。
今まで週2回だったヘルパーさんの介護の手が、週5日延べ6回
に変り、病気療養中(?)の同居人としては大変重宝している。

午後、近所のSEOくんが一番乗りで見えて、UEN女子、ISI君と中学の同級生が4人揃った。我が身を心配してくれての事なのか、冷やかし序でなのかは計り知れないが、いつもの仲良し4人組に匹敵する、気の置けない仲間だ。

UENさんは27日の事を知りたがっていたので、ならばと3人纏めて報告しようと思っていたが、昨夜母と一緒に見たさとみさん手作りののDVDも一緒に紹介しようと思い立った。

PCのブログは文章が長く気怠いので止め、デジカメから取込んだ写真で説明し、9月の曇天を突き破ったような青空に映えた風景写真を愉しんでいる様子をPC上にスライドさせた。
多分、3人ともシングル4は「何と運のいい奴らだ」と思っているに違いなかろう。

次にDVDを見て口に出さずとも「こいつらはなんて奴らだ」と思ったのではなかろうか。
DVDには2011年の1月からの今年の夏までのシングル4の旅行動画他が凝縮されていた。
言葉に表せないような絵もあったが、自由奔放な行動画は受け入れ難いかもしれなかった。
ISI君は少し女性群を知っていてあまり抵抗はないようだったが、SEO君は言葉少なだった。

今回もISI君がサツマイモやその茎や、栗、茗荷を沢山持ってきてくれた。薩摩芋の茎はきんぴらにすると美味しいそうで、その料理レシピも用意してくれ、3人で車庫で山分けした。

帰り掛けにUENさんから「10月2日歌麿夢芝居の夜の部のチケットを一枚用意して」と頼まれ、じょりんぼに連絡すると、HOSさんから「当日のプログラムも出来てるよ」と聞かされその足で取りに伺う。
昨日もボランティア仲間のSEKさんから10月1日夜の部チケットを一枚依頼有り。体の都合で舞台に登れなくとも 例えチケット1枚でも細やか乍らお芝居に貢献できる事を誇りたい。







2016/09/28 15:57:00|太陽の陽子と和さん
兎に角充実した一日!
午後4時過ぎに栃木インターに帰って来て、家に帰る前にデニーズに寄ることになった。
そこでお茶しながら本日の清算。4人割勘で1人当たり約4,000円。

でもその前に市内を一回り。10月1日、2日の歌麿夢芝居の開錠の栃木市文化会館と歌麿の品川の月、吉原の花、深川の雪 に馴染みのある定願寺を案内した。彼らは数年前の11月に栃木市を訪れ、蔵の街美術館で展示されていた歌麿の肉筆画3点「女達磨図」「鍾馗図」「三福神の相撲図」を見ていた。その成願寺で今回は寺にある第2代横綱綾川五郎次の墓もついでに案内した。


薗部の家で別れた後、PCと戯れていたが、7時になると文化会館に車で出かけた。
今晩は6時から文化会館小ホールで本番4日前の歌麿夢芝居の通し稽古が予定されていた。町人役で出演の山猿君に確認し舞台を見学させてもらうことにした。本来ならこの俺も町人役で舞台の上にいる筈だったのに・・・
唯一の不参加者を除きほぼ全員参加の通し舞台は、2ヶ月振りに稽古を見た小生には極めて新鮮だった。いくつか演出が変更されていた部分もあったが、出演者のセリフも堂に入り、台詞とト書きだけの台本に演出家野崎さんの肉付けがされ、はっきりと骨格をなしてきた。
19:20〜21:00まで続いた通し稽古を観て、今日一日の充実感が益々沸き上がって来た。

旅の疲れはなかったが、興奮が冷めやらず、結果、深夜までブログと格闘した。










2016/09/28 15:23:00|太陽の陽子と和さん
想い出のふるさとの母校

草津を離れて旅は終わった筈なのに同乗の二人のご婦人の旅は何とこれから佳境に・・・

昨年、草津から渋川に抜けた時は長野原の町に出ずに山間部の暮坂峠を経て中之条町に抜ける道を奔った。従って今回のように国道292号から吾妻川に沿った国道145号と吾妻線に沿って中之条町から渋川に抜ける道は数十年振りの筈。しかも途中からは真新しい八ッ場バイパスの素晴らしい道路に代わるので、全く記憶にない道路を走っていた。

最初の拝借写真は2009年当時の橋脚だけの姿で次の写真が現在の出来上がった橋。この頃はまだ4人は出逢っていなかった。 川原湯温泉はバイパスの対岸に移転していた。

現在NHKの大河ドラマ真田丸の開始直後に映し出される岩峰、岩櫃山802.6m(群馬百名山)の存在が気になっていたが、今日改めて道路左岸にその存在を垣間見る事が出来た。標高は然してないが御覧の通りの岩峰であり、過去に何度も滑落死が起きている侮りがたい峻山。中腹には真田の支城にもなった、岩櫃城跡がある。
抗癌療法で体力が回復したら必ずチャレンジしたい山。

此処までの車中でのお二人の女学校時代のおしゃべりは留まるところを知らなかった。それもその筈、なんとこの岩櫃山の先、吾妻線の群馬原町駅東に彼女たちの母校、群馬県立吾妻高等学校があり、大正7年創設の女子高で彼女達の時代は公立校には珍しい寮が存在し、お二人とも寮生活の愉しい青春をすごしてたみたい。
いつもなら帰路の車中ではあっという間に寝てしまうさとみさんが目を輝かせ、陽子さんとの同級生ふるさと話が、関越自動車道に入る迄、機関銃の如く口から乱射! 

写真はウン十年前のお二人のテニス部時代の写真・・・ ではなくネットで母校の部活紹介写真を拝借したもの。