雨にも負けず風にも負けず・蔵の街栃木

仕事を退き、第二の人生の山歩きを中心にした日常行動の紹介です。
 
2016/12/19 19:00:00|
神社仏閣のミステリーツアー@

今回のメーン目的は加波山神社でその三社を尋ねる事。
加波山三社とは
【本宮は正憧院、親宮は円鏡寺に創始、中宮は文珠院(雲照寺末)の管理下に入り、大権現時代になる。神仏分離令(慶応4年、1868年)により廃仏棄釈、明治年間、古に後り神社となる。本宮は加波山三枝祇神社本宮、親宮は三枝祇神社親宮、中宮は加波山神社(石岡市旧八郷町)へと社名を変更】とある。

過去に車で、上曾峠からきのこ山、足尾山から加波山神社山頂本殿に登った事と、雨引山から燕山701m、加波山709mと縦走して山頂本殿登った2度の登頂の記憶がある。

今回は桜川市にある加波山神社本宮と加波山山頂の本殿と石岡市側の加波山神社中宮を探すのが目的。


でもその前に雨引観音(雨引山楽法寺)に寄ってみた。
それと筑波山の椎尾山薬王院も外せない。ここから筑波山男体山頂まで標高差約700mの登山道あり。
もう一つが筑波の清水寺と呼ばれる峰寺山西光院。

この三寺を巡ってから加波山神社攻略となる筈だったのだが途中からハプニングが続発。
SEO、ISI、和の同級生3人組だからこそ最後まで完遂出来たが、とにかく困難を極めた。、







2016/12/18 16:50:00|
小春日和に母を連れ出すB

岩船山を下りた時は11時を回っていた。
「まだ 行くよね?」と尋ねると
「こんなにいい天気だものね」

三毳山のフルーツパークに向かった。
農産物の目ぼしいものは殆ど売り切れていた。
諦めて向かいの花センターに歩いた。
流石に母も少し歩き疲れたみたいだった。

折角此処まで来たんだから、外食は佐野ラーメン。
新50号国道から森田屋を目指したのが間違いの基。
道路が混んで森田屋総本店着12:25。
ラーメンとチャーシューの普通大盛りのメニューし
かなく、客回転率のいい店だが30分以上待たされた。

店の外から店内まで35分も待たされ、ベンチは寒い
からと立ち通しの母は大分疲れたと思う。

二人して普通ラーメンと大盛りラーメンを完食。
と同時に二人とも薬を忘れてきたことに気付く。
ここから家までは20分で直行。


と思ってアクセルを蒸したが、母に
「この先に 犬伏の薬師堂があるよ」
「NHKの大河ドラマ真田丸の犬伏の別れ だよ」
と言ったとたん
「せっかくだから寄ろう」
と身を乗り出してきた。
今日の母のテンションは一体如何なっているんだろう!

今、ブログを書いている目の前で、気持ちよさそうに
寝息を立てている母は心地よさそう・・・・・







2016/12/18 16:15:02|
小春日和に母を連れ出すA

躑躅平を六角堂に下りずに、大中寺に向かった。
大中地の駐車場は圏外からのcvレート車で満杯だった。
10時過ぎていたが、山中は全くの無風。枯葉が舞わない。

久し振りに西山田のブドウ団地にある 
おおひら歴史民俗資料館 と 
おおひら郷土資料館 白石家 戸長屋敷
に寄ってみた。
ここは数年前に亡くなった同級生の三上が暫らく館長を
やっていて豪華ステレオのパラゴンが置いてあったのが
懐かしい。
戸長屋敷の方は邸内が綺麗に整備され、裏山も整備され
て見違えるようになっていた。
母は実家の事とダブらせて、豪農の土間や馬屋を思い出
していたのだろうか。疲れを忘れて歩き回っていた。


次に「岩船山にも行こうか」となった。
母は5年前に実家の弟夫婦と一緒に行って以来だという。

裏山から急勾配の斜面を登る。2011年の東日本大震災で
真っ二つに割れた岩肌が今なお痛々しい。
岩船山高勝寺山門まで車で登ったが、そこから母は本堂
と三重塔には登ろうとはしなかった。
でも南側の600段の階段のところまで歩いて岩舟駅を眺め
長嶋先生との初めての出会いを思い起こしていた。

落葉焚きをしていた賽の河原で、オモチャの風車の微かな
風音が母に郷愁を誘っているようだった。
石の階段を登るのは初めから諦めていたが、歩くことには
堤高がないような母だった。







2016/12/18 15:28:00|
小春日和に母を連れ出す@

母と朝飯を取った後、「運動不足になるから富士山を見に行こう」と母を誘う。
でも、母は寒さの所為か体調の所為か知らないが、炬燵から出て、動稿とはしなかった。
9時過ぎ強引に誘い出し、ようやく太平山に行く事に同意。
まずは響きの森のお山の大将の所から栃木市を一望。
母の何回か来ている筈だが、記憶が断片的らしい。

遊覧道路を奔っていると、サイクリストとランナーが多いのに驚いた。
日曜にも拘わらず、吹上中学の生徒が教師引率のもとランニングに励んでいた。


続いて太平山神社に登り、久々のお参りを促した。
本殿で両手を合わせる母の姿が、とても可愛かった。

たまたま小林宮司(神主)さんと出逢い、話が弾む。
中々外部の人と話をする機会が少ない所為か、とても楽しそうだった。

ここを起点に母の好奇心に火が付いた。
今まで息子に促されていやいやドライブに付き合っていたのかと思っていたが、急に積極的になった。


謙信平での富士山は薄っすらとしか見えなかったが、
「これで帰ろうか?」
と車に戻ると、
「折角だから、も少しドライブしよう!」と
母のテンションが変わった。







2016/12/17 16:01:30|癌との共存
抗がん剤治療の退院の報告      12月17日
今回は入院中にCT検査の検査報告があった。7月26日と外来で検査した12月7日の比較はやや悪くなっていると云われた。でも毎回の血液検査では少しずつ良くなってるという。担当医師の私見は、7月26日から手術日の8月19日の間に数値が悪化し、そこからの改善はあるが、7月の数値からするとまだまだ下がり切っていないと云う事なのかもしれないとの事。

今日は気の所為か、今は少しくらくらする気分。でもこれはここ2日気温が低く運動不足の為だと思う。

第三土曜日で病院が休みの為、会計は次回入院時になり、今日の退院は速やかに9時ジャスト。長男の都合が付かず長女に迎えに来て貰った。弟が留守中の家と母を見守っくれ、ヘルパーさん3人のの手助けもあり大助かり。と言うよりも人の親切に甘えてばかり・・・か?

家に帰ると何処かが綺麗に片付いて居る。92才の母も精一杯動いてくれる。
病気になって、家の事を何もしてない自分に気付き、出来ない自分が情けなくなった。
でも、終活を含めて、今からでも少しずつ遣らねばと反省しきり!