| 芳賀  功 師のお話から   主要テキスト:ルカ7章18〜28節
 今年もクリスマスの時期になってまいりました。
 クリスマス商戦も始まっていますが、教会ではキリストの降誕の準備を致します。
 
 T.マクドナルド司祭が残した
 11月7日にアフリカ・マラウィ共和国のマクドナルド司祭が、メッセージを残していきました。
 それは 「私の教会で教えている事は、天国に行くことだけが大切であるとは言いません。自分自身の生き方の答えを見つけるために、正しい生き方を聖書から教えます。」 と。
 帰る途中の車中で、ルカ7章27〜28節を示して下さいました。
 それはバプテスマのヨハネ(以下B・ヨハネと記す)の生き方であります。これを少し詳しく見たい。
 
 U.B・ヨハネへの賛辞
 ルカ7章24〜26節で、イエスは、群衆に、ヨハネについて話しだされ 「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。・・・・。」と三つの回答例を列挙しながらくりかえし質問し、最後に 「・・・・ 預言者よりもすぐれた者を・・・・」 と告げています。
 更に27〜28で 「その人こそ、 『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』 と書かれているその人です。  あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。」 と説明されました。(マタイ3章2節も参照)
 B・ヨハネは、福音のため、神の国のために生きた人です。
 
 V.賛辞の理由
 イエスが、女から生まれた者の中で、B・ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいませんと言ったが、何を指しているのだろうか。
 彼の生涯での二つの行動。
 マタイ3章2節 「・・・・天の御国が近づいた・・・・」 と叫んでいること。
 ヨハネ1章36節 「見よ、神の小羊。」 と言って、自分の弟子がイエスについて行くように仕向けていること。
 この中に現れているのではないか。
 即ち、あとから来る方、神から遣わされ方を指し示すかのように叫び、自分の弟子でさえも、自分の近くに留めようとしなかったという生き方を貫いたからである。
 彼は、イエスを知らなかったころから、それまでの預言者たちが、経験も考えもしなかった福音宣教の準備に、生涯をかけたのである。
 こうした心のあり方と生き方を、救い主(御子イエス)を遣わされた父なる神の視点からごらんになると、B・ヨハネよりもすぐれた人はいないのでしょう。
 
 W.神の国で一番小さい者
 ところが、これに続くことばに驚きます。
 静かに思いめぐらしますと、イエスによって完成された十字架の贖いと復活の事実を、自分のものとして受け入れた魂は、深い静けさと平安の中にくつろぐという宝物を得ているので、その日常生活がおのずと十字架の贖いと復活の事実を喜ぶでしょう。
 だから、神の国で一番小さい者でも、B・ヨハネより明確に、神による福音を喜びながら指し示し続けられるので、すぐれていると言われたのではないか。
 だとすれば、地上生活において、何のために生きるのかということを、しっかりと持っていたB・ヨハネの生き方を私たちの模範とするのが望ましいと言えます。
 多くのクリスチャンは天国のために一生懸命生きるのですが、福音の伝達という視点を忘れやすいのでしょうか。
 この事に気付いて、悔い改めることができた人は、正しい生き方を見つけた人ではないでしょうか。
 自分の心の中にしまいこんで、黙っていないでしょうか。
 
 X.流されないように
 この時代は、乱れた時代ですから、神に従う生き方をしなかったら、共に流されてしまうでしょう。
 B・ヨハネもそういう時代に生き、救い主の道備えをしたのです。
 生きる方法はいろいろあるでしょうが、あなたがたを生かしてくださっているのは誰なのか、たえず心にとどめつつ、B・ヨハネの生き方にならいたいものです。
 
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