芳賀 功師のお話から
1)直前のあかし 只今の、ジェシー兄のあかし、ありがとうございます。 彼はお父さんの足跡を継いで、将来宣教師になりたいという事でございます。 これは今日の 「選びと任命」 のタイトルにふさわしい“あかし”ではないでしょうか。
2)選びと任命 16節 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」 この所は、各個人の使命を明確に支えてくださる言葉です。 クリスチャンの使命は、神から与えられた能力をフルに使って、神の栄光を現わすという事です。 自分の利益や有名になるという事ではなく、神から与えられた個性や経験や知識を最大限に生かし、神の御栄のために生きるという事です。
私は自分の人生を振り返った時に、私が献身 (神学校に入学する事を決心) した時の事を思い出します。 仕事に失敗し、巨大な不良債権という重荷を負わされ、行き詰まっていた時、あるクリスチャンによって債権から解放されたのです。 その時与えられたみ言葉、Tコリント6章20節 「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」 が「あゝ、私は神から選ばれ任命されるのだ」という事を信じさせ、私を伝道者の道へ進ませたのであります。
3)あなたを それは私がセールスマン時代に 「あなたから買いましょう。この商談はあなたと契約いたしましょう。」 と言われた時と似ていました。 数あるセールスマンの中から、私のような者を選んで、あなたから買いますとご指名された瞬間です。 セールスマン冥利に尽きますし、一番嬉しい時です。
主は、こんなつたなく、いさおしもなく、弱くされた者を選んで、愛して下さるのです。何と感謝な事でしょう(Tコリ1章26節)。
4) 実が残るため イエス様は、私たち一人ひとりに、尊い使命を与えて下さいます。 「それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため」 と言っておられます。 その実が残るためなのです。
神が期待している人生の実とは、何でしょうか。 聖書は第一に 「悔改めの実を結びなさい」 (マタイ3章8節)と言っています。 それは、建前という口先だけの、偽りの生き方ではないのです。 自己中心の殻を打ち破り、偽善の鎧と兜を脱ぎ捨てて、悔いて砕けた魂の焦点を、十字架の愛に合わせ続けるのです。 その事によって実はなるのです。 幹であるイエスを離れては、実はならないからです。 第二は聖霊の実であります。 ガラテヤ5章22節を見てください。 愛、喜び、平安、寛容、親切・・・・、こんな実がたわわに実るなら素晴らしい人生となって、神と人とに喜ばれます。 この喜びが神からの愛なのです(17節)。
5)尊いひとり 選びの神は私たちを無条件で愛し、我ままから救い、尊い使命を与えて下さるというのです。 それは一人ひとりを、神の作品として、しかも違った個々の持ち味のある作品としてお造りになり、ある人は手、ある人は足のようですが、傑作として、お造りになったのです。 夫々が大切で、なくてはならない者であり、その存在自体が貴重なるものなのであります。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節 中心テキスト ヨハネ15章16〜17節 |