芳賀富子師のお話から 主要テキスト:ヨナ2章10〜3章10節
1)再び使命に招く 魚の腹の中から救い出されたヨナは、再びニネベ宣教の使命を与えられています。 そこにヨナに対する神の憐みが感じとれます。 神に逆らったヨナを責めないで彼を受け入れ、 “再び” 同じ使命に招いたのです。 ヨナの回復と預言者としての可能性に期待し続けたのです。 主はペテロが三度裏切ることを知りながら 「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 と言葉をかけられました。 失敗する彼を受けとめ立ち直る将来に期待して、使命を与えています。 このように神は私たちを、 “何度” もご自分の計画の真中に引き寄せて、 “再び” 交わりの回復と使命に生きる恵みを与えて下さるのです。
2)真剣な悔い改め ヨナが 「ニネベは滅ぼされる。」 と語った神の言葉を、ニネベの人々はどのように捉えたのでしょうか。 5節―彼らは神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高いものから低いものまで荒布を着たのです。そこにニネベの人々の真剣な悔改めの姿勢が分かります。 現状に甘んじないで、このままではだめだと感じて罪に悶え苦しむことがニネベの人々は必要であったということです。 彼らは神のわずかな可能性に賭けたのです。 「もしかすると、神が思い直してあわれみ・・・・私たちは滅びないですむかもしれない。」 神はこのニネベの人々を憐れみ、わざわいを思い直し、滅ぼさなかったのです。
3)憐みを受ける心 神の憐みは、どのような心に向けられるのでしょうか。 詩篇103篇13節 「主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。」 とあります。 ヨナとニネベの人々の悔改めにその事をみます。 神が思い直されたのは、 (a)神が人々の魂を愛するゆえです。 ローマ8章32節、 「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」 (b)神の忍耐が、神に逆らったヨナを見捨てず立ち返るのを待っています。 ニネベの人々が悔い改めることを待たれたのも神の忍耐であり、滅ぼすことを思い直されたのです。 Uペテロ3章9節、 「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 (c)神は砕かれた悔いし心の人、へりくだる人を思い直されます。詩篇51章17節、 「砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
4)おすすめ こういうわけですから、弱さや足りなさの故に、失敗や過ちを犯しやすい者ですが、神の愛とご忍耐を覚えて、神の憐みをいつも求めつつ、神の前に砕かれた悔いた心で祈る者でありましょう。
|