芳賀 富子師のお話から 主要テキスト:第一サムエル7章1〜12節
今年の教会のみことばは、詩篇46篇1節 「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。」 でした。 その事を心に留めながら第一サムエル記が導かれました。 この7章から 「神の助け」 はどのようなところに、どのような状況になされるかについて学びたいと思います。
1)時代的背景 この当時の時代的背景は、有力な指導者がいない時代で、士師といわれる裁き司が宗教的にも政治的にも人々を導いた時代が続きました。 戦いの絶えない時代でした。 人々の生活も偶像崇拝に傾倒して、政治的にも、社会的にも不安定な時代でもありました。 神はサムエルという人物を預言者として立て、イスラエルの霊的指導者とされました。 ペリシテ人との戦いで敗北し、人々の心は主を慕い求めていました。
2)助けの要約 @神の助けは、その人々の神を求める渇望の中に与えられたのです。苦しみの中で神に呼ばわる者に、神は助けて下さいます(詩篇50篇15節参照)。 A神への悔い改めと信仰に立った中で、神の助けは、なされています。 条件として (a)心を尽くして主に立ち帰ること、偶像を取り除く事。 (b)心を主に向け、主を中心とした生活をすること。 そこに神の助けの約束がされています(3〜4節参照)。
3)サムエルが祈りの手を上げていた 祈りの会を開くため、サムエルは人々を集めています。 そこにペリシテ人は戦うために攻めてきました。 サムエルが祈りの手を上げている只中に、神の助けがなされたのです。 大きな雷鳴をもって、かき乱しイスラエル人が戦い易い状況に、主の助けの御手が自然界にまで及んだのです。 神の助けが祈りの中に働かれる事を(出エジプト14章)や(使徒12章) にも見ます。 詩篇46篇1節に 「そこにある助け。」 とありますが、神の助けはいと近い助けです。 間に合ってくださる助けなのです。
4)終わりに 12節、サムエルは神の助けに石をとり感謝の塚を立てています。 私たちも神の助けに感謝を忘れない者でありたい。 (a)12節、 「ここまで主が私たちを助けてくださった。」 とは 「これから後も」 という助けでもあります。 (b)神の助けを当たり前のことにする事が無いよう、神の恵みによってという自覚と感謝を大切にしたい。 (c)神の助けに対して口先だけの感謝ではなくて、真実をもって、神の喜ばれる事を心がけたい。 イエス様もその身をもって十字架への道のりを歩まれて、父なる神の御心を生きられたのです。 私たちも、Tコリント6章20節で勧められているように、この年の主の憐みを感謝すると共に、迎えます年も神の助けを頂きながら、置かれた所にあって、神の栄光を現わす歩みをたどる者として整えて頂きましょう。
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