芳賀 功師のお話から 主要テキスト:ヨハネ16章33節
T.今朝の中心聖句 今朝のお話はヨハネ16章33節 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。 あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 が中心です。
U.患難と平安 私たちの教会で、親族の死と葬儀、体調を崩される方、手術を行なう方など、試練を受けられる方が続いており大変です。 私は、この様なことが起る前から 「勇気を出しなさい(口語訳)」というみことばが与えられており、今も励まされています。 落ち込んではいられませんね。 今朝のみことばは、14章から16章まで、イエス様が十字架にかかる前の最後の決別メッセージです。 この33節でイエス様は 「この世にあっては患難があります。」 とはっきり言われました。 辞書で“患難”をみますと、 「困難に出会って苦しみ悩む」 とあります。 当時の弟子達も、自分は強いと思っておりましたが、そのほとんどがイエスの十字架を見て、バラバラになって逃げ去りました。 弟子達も人間として弱く、一人ひとりの思いは、過信に過ぎませんでした。 人間の意志は弱いのです。 この世の困難、貧しさ、病気、ケガ、そして死に別れなど、つらい事がらが多々起ります。 こうした機会を巧みにとらえるサタンの攻撃によって、人間はもろくも崩れ去ります。 だから、前述のみことばのように、いつも患難の中に生きているという心構えが必要で、そのような時こそ自分の弱さを認め、イエス様を100%信頼することから来る平安を見失ってはならないのです。
V.一つの証し 信仰に生きた一つのあかしがあります。 アメリカの女性弁護士スパフォードさんは、船旅の途中で四人の子供を失いました。 「一人だけが助かりました。」という電報を受けたご主人は、絶望におちいりましたが、やがて、平安の詩(新聖歌252番)を書いたのです。 「安けさは川のごとく、心ひたす時・・・・・・・御神共にませば」 というあの有名な詩です。 十字架に現された愛によって、悲しみを乗り越え、平安を得て、勝利の賛美が生み出されました。
W.パウロの叫び イエス様は 「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 言われました。 パウロの伝道生活は困難と苦しみの連続でしたが、その中で神の恵みを味わっていたようです。 Tコリント15章10節で 「神の恵みによって、私は今の私になりました。」 とのべ、58節では 「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」 と諭して下さいいます。 私たちの患難や悲しみが、喜びや平安に変わる三つの理由があります。 その第一はイエス様の十字架とよみがえりです。 絶望的でみじめな死が、勝利と栄光に変えられた事、これこそが罪と死の裁きから救われ、嘆きと悲しみが喜びと平安に変わることです。 第二は助け主なぐさめ主なる聖霊を与えられた事により、天国への喜びに変えられることです。 最後はあの十字架によって、罪とサタンに勝利したイエス様が、再び私たちのところに来て会われるという希望によるものです。
X.世に打ち勝つ この信仰によって、主はすべての患難や悲しみから助けてくださり、私たちや家族の流した涙を、平安と静かな喜びに変えて下さるのではないでしょうか。 だから私たちはイエス様によって勇敢であり続けたいのです。 これが33節の 「わたしはすでに世に勝った」という信仰です。 Tヨハネ5章4〜5節、ヨハネは 「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」と書き残しています。 |