国光幾代子 師のお話から 主要テキスト:14章27節、ヨハネ15章5節、16章33節
T.恵みに満ちた人生 私が救われたのは16歳の時でした。 それまで教会とは無縁で外国の宗教くらいに思っていました。 その頃は、ホーリネスの群れでしたので、御教会にまいりましても身近に感じます。 戦中の弾圧により教会を離れてしまい、終戦後30歳の時に、インマヌエル教団に導かれ献身致しました。 そして60年間牧師として歩み、これは素晴らしい恵みの人生でした。 残された年月(現在91歳)を神がさせようとしている仕事があれば百%全うしていきたいと思っています。
U.聖霊降臨と教会誕生 今日は聖霊についてのお話ですが、分かったようではっきりしない、もどかしいところから、神様が1つひとつ教え導いて下さいました。 聖霊については、旧約のヨエル2章28節において 「わたしの霊をすべての人に注ぐ」 という預言があるが、イエスが召されて、復活して、40日後に天に帰られました。更に10日目にイエスの約束された聖霊がおいで下さったのです。 ヨハネ伝14章〜16章で、イエスが十字架に架かられる前に、弟子たちとの晩餐の席上で、遺言的なメッセージを致しました。 ご自分が去っていかれると寂しくなるでしょうと 「あなたがたを捨てて孤児にはしません」 また 「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります」 と、約束して天に帰られました。 その約束が実現したのが、このペンテコステ(聖霊降臨)です。 それまで弟子たちの信仰は浮き沈みの多い不安定な人達でしたが、聖霊をいただいて、地の果てにまで主の証人になる力をいただいたのです。 こうして教会が誕生し、この福音が全世界に伝えられたのです。 教会はペンテコステからはじまりました。 この教会はイエスのみ体であり、教会の頭はキリストです。 ですから栃木いこいの泉もこの地域の灯台なのです。 ペンテコステは一般的に知られていませんが、この出来事によって今の教会が存在しているのです。
V.いつも内におられるお方 次に聖霊についてですが、わたしにとって、父なる神は全宇宙を創造し、治めているお方だというと分かり易い。 イエス様は十字架に架かった方で歴史上のお方ですから分かりやすい。 でも聖霊は分かったと言えないような存在でした。 それが、ここに富子先生がおられると認められることと同じように、ここにいるわたしの内にいてくださるということが、次第しだいに認められるようになりました。 そのきっかけは、あるときメッセージを聞きながら、苦しみも、悲しみも、喜びも、分かってくださるお方だ。 ヨハネ14章17節のように、その方は人格を持っているお方だ。 何でも分かってくださるお方だ。 すべての良きことを私たちの内に持ち運んでくださる。 私たちが信仰者として成長するために、なにくれとなくお世話をして下さるお方でいらっしゃる。 イエスは聖霊によって私たちの心に(内に)宿ってくださる。 世界中どこにいても神が共にいて下さるというのは、聖霊によって共におられるからです。
W.聖霊の実 次に聖霊はどんな恵みを与えるのでしょうか。 ヨハネ14章27節には 「平安を与えます」 とあります。 私は週に二度、介護ヘルパーさんに来ていただきますが、いつも心休まるといわれます。 悩みはありますが、心配してくださる神にお話しします。 神が共に悩んで下さるとおっしゃいます。 ヨハネ14章27節 「・・・・わたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。・・・・・」 どんな時にも平安が心を支配しているのです。 そしてヨハネ15章5節 「・・・・・・人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。・・・・・・・」 とありますが、とどまるとは、イエス様にとどまることです。 私たちの人生の中でどのような実が結ばれるのでしょうか。 聖書には先ず “悔い改めの実” とあります。 イエス様につながるときに罪が示され、お詫びするということが大切です。 聖霊につながるときに、今までの汚いものを持ってふたをしたまま迎えるということはできないのです。 私たちは、アダムとエバ以来、神中心ではなく自分中心になってしまいました。 この罪をイエス様が十字架で全ての責任を負ってくださった。 それで罪が赦され義としてくださる。 これが聖書の大きなメッセージなのです。 第二は “奉仕の実” です。 奉仕をする力の実が与えられます。 神が力をくださり人の前で大胆に福音を語るのです。 第三は “人格的な実” が結ばれます。 その実とはガラテヤ5章23節〜 「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」 これは自分の努力やガンバリではなく、聖霊の力によって、みことばのミルクによって人格が成長し、その人自身が変わって行くのです。
そして最後に勝利です。 ヨハネ16章33節 「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
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