芳賀 功師のお話から 主要テキスト:使徒1章8節
T.二つの人生と分岐点 使徒1章8節、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 私たちクリスチャンの人生には、二つの人生があるということです。 第一の人生は、生まれた時からキリストに出会い救われる迄です。 第二の人生は、イエス様を信じ救われたのち、どのような生き方をしたのかということです。 前者は普通の人生で、後者はキリストの証人という人生です。 パウロの言葉を借りるなら、肉に従う人生と霊に従う人生です。肉の人間と聖霊によるイエス様の証人ということで、この境目を人生の分岐点といいます。 この分岐点は、イエス・キリストとの出会いと私たちの中に生まれた信仰によって決定するということです。
U.キリストの証人として 後の人生は、キリストの証人として生きる(証し人)ということですが、証人とは何かといいますと、 「聖霊があなた方の上に臨む時」 に、 「イエスは主である」 、 「イエスは私を救いに導いた」 と証しする生き方です。 聖霊の助けなくして証言できないのです。 イエス様の十字架の贖いとよみがえりにより、生れ変った自分が今ここに生きているという証しです。 それは私のような虫にも等しい肉欲の人間のために、神の一人子であるイエスを十字架で殺してまでも、私を助けて、生かしてくださった。 私はこの福音の証人なのです。(詳しく知りたい方は、コロサイ1章12〜23をお読み下さい。)
V.キリストが私のうちに 私の内側をみことばで証言すれば、ガラテヤ2章20節、 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」であろうと感じております。
私は牧師になって、毎週説教の準備は大変ですが、ある時、悟らせていただきました。 それは 「キリストの福音の証人」 として、語らせていただけば良いのです。 何も困難なことはありません。 イエス・キリストは、聖霊によって誕生し、苦しみの生活をし、十字架の上で死んで、神の力によってよみがえった御子に関する事を大衆(異邦人)に向かって、語るのです。 こうして、永遠を悟り、永遠の証人になりたいのです。 このねじれ曲がった現代社会にあって、現在も働き続けてくださる方、聖く真実なる神ご自身の証人になることに誇りを持って、祈りつつ一人の魂の救いのために励みたいと思います。
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