私達の信仰とは何か。 聖書信仰です。 みことば信仰です。
聖書にある言葉の一つ一つによる、活かされる体験、赦される体験などを通して生じる神 (ことば) との信頼関係が基礎です。 ですから神と私とのつながり方は、100人100様で、極めて個人的なものです。
しかし、その内容には他の人も認められるもの (客観性) をもっている必要があります。 私達は、他の人も認められるものを他の人に伝えること (伝道) をゆだねられます。
ですから聖書信仰とは、私達の生きる土台・行動の規範を聖書に求めるということにつながっていきます。
さて、今週の聖書に 「わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」 とありますが、 「聖書の言葉がとどまる」 とは、どんな状態を指すのでしょうか。
続きを読むと重大問題です。
聖書の言葉が記憶されていることは当然です。 単なる記憶を超え、私達の行動・生活・人生が 「みことばによってコントロールされる」 まで成長するのです。
みことばで苦しむときもありますが、みことばが私達の生活に根をおろし、行動の動機が私でなく、みことばにかわり、人生がコントロールされるのです。 これが聖書信仰なのです。
毎日聖書を読んだとき、そのみことばに生活がつくり変えられるように、祈りたいものです。
中心聖句 ヨハネ15章7節 |