神が共におられる生涯とはどんな生活だろう。
創世記にヨセフの人生が語られているが、39章には、 「主が・・共におられ」 と言う言葉が4回も出てくる。
ヨセフは、父ヤコブの年寄り子であったので、他の兄弟達より深く愛されていました。 それが、ヨセフ自身に自惚れを生み、兄弟達のねたみと憎しみを生む。
ある時、兄たちは、ヨセフを水の無い穴に落とした後、通りかかったイシュマエル人に売ってしまい、商人は、エジプトに連れて行って、パロの家来であるポティファルに売る。
ヨセフは、その家で良く働き、家全体の管理も任される様になりますが、体格が良く美男子であったため、主人の奥さんに言い寄られる。
ヨセフは罪を避けるため、奥さんを避けたのに、奥さんの嘘によって監獄に入れられてしまう。 だが、不思議な出来事を経てエジプトの宰相になる。
主はポティファルの家で、働く時も、監獄の中でも、エジプトの宰相になっても、ヨセフと共におられたのです。
主が共におられたので、行なう事が成功し、主が共におられたので、人柄が良くなり、人格が形成され、愛に満ちた性質になっていったのです。
主が共におられたので、人生までも主(イエス)に似たものにつくられていったのです。
第Uペテロ1章4節 に 「神のご性質にあずかる者となるためです。」 と書いてありますが、その通りになっていったのです。
私達も、絶えず祈りと聖書を通して、主に近付いて頂こう。 創世記39章1〜5節
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