岡田信常師のお話から 使徒の働き16章
人生の大半は、備えられた道ですが、予想しなかった新しい展開が起こされることがあります。 使徒の働き16章から 「新しい道」 が不思議なように開かれる様子を見ていきましょう。
6〜7節を見ると伝道を止められています。 そして、9〜10節では、来て助けてくださいと懇願されるまぼろしを見、それで、パウロたちは、ルデヤという女とその家族の救いを見たのです。
更に占いの霊につかれた女奴隷から、占いの霊を追い出したことをきっかけに、22節で群衆の拒否に会い、傷つけられました。
24節を人間的に見ると、伝道停止で落胆するところですが、こうした困難の時こそ、祝福があることの証明なのです。
パウロとシラスは天国の喜びを味わっていたのでしょうか。 26節で明確な神の介入があって、皆の鎖が解け、 31〜32節で看守と家の者全部が救われ、二人の傷が洗われ、救いの喜びが現されたのです。
キリストが十字架につかれ、死んでよみがえられたのは、神の全人類に対する最大の介入です。
神が道を閉ざし、神が道を開き、神が懇願を聞かせたのです。 神は、困難の中で祝福を与えます。
いこいの泉チャペルの集まりに新しい道を開いて導き、祝福されるのは神です。 決して誰かの頑張りではなく、神が共にいて祝福してくださり、神が教会を建てあげてくださるのです。 困難があっても、天の御国と祝福が見える事を覚えて、導きに従おう。 文責 柿沼
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