み言葉を彫りこんだ石の板が、チャペルの正面玄関脇に設置されました。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ11:28ですが、この言葉で前進しなさいと神から無償で与えられたのです。
今日はこの永遠に朽ちることがないみことばを考えて見ましょう。 私個人が若かった頃に仕事で感じた重荷を思い起こしますと、成果主義からくる営業ノルマ、目標、取り越し苦労、取引の心配といった類でした。
しかし、イエス様が言われたのは何でしょう。心や魂の重荷です。 第一は孤独。 米国で9年間の調査によると、一人ぼっちだと思っていた人の死亡率が最も高かったそうです。 集団の中にいるのに孤立するのは大変な重荷なのです。
第二は空しさ。 人生の意味や目的を把握できないと、なぜ生きているのだろうという疑問が起きたとき乗り越えられない場合があって苦しみます。
第三は罪責感。 これは大変な重荷です。
第四は死の問題。 一般的に死は誰も避けたいようです。 日本人は同じ発音の“4”を嫌がります。 死が重荷だからです。
これらの重荷をおろすためには、少なくとも一つの重荷を自覚してキリストの元に行き、神の招きに応えるだけでよいのです。 イエスは、孤独、空しさ、罪責感、死の恐れ等から開放するため、人類のすべての罪を十字架上で負い、よみがえってくださったのです。
赦された者として歩み続けられるようにしていただきましょう。
マタイ11章28〜29節
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