| 三浦喜代子師のお話から
 前回こちらに伺ったのは、昨年9月に H さんのお住まいで持たれた集会でしたが、こうして会堂が与えられているのを見ますと、神のダイナミックな御業を見るようで驚きます。
 
 さて、カランの町の人々は、この世の価値観で生きていたが、主はその中のアブラハム(この時はアブラム)を選び 「私が示す地に行きなさい。そうすれば、私はあなたを祝福し・・」 と彼の心に語りかけられた。
 
 75歳の彼をなぜ選んだのか分らない。
 彼は妻のサライと甥のロトと関係者を伴ない、心に語りかける言葉を頼りに出発したのです。
 旅と行く先でどんな生活があるのか知らないままなのだ。
 ヘブル書11:8に 「どこに行くのかを知らないで」 と書かれている様に出かけたのだ。
 
 これは私たちの信仰のスタートでもあろう。
 私も 「15歳の時、教会に導かれ」 3ヶ月後には、 「罪とその赦し」 を知り洗礼を受けた。
 
 さて、アブラハムはカナン地方に入るが、飢きんのためエジプトへ行き、妻を妹だと嘘をついて失敗を起こすが主は彼を守られる。
 また、彼と甥ロトのしもべ同士が争いを起こしたり、周囲の王達との戦争が起きたりしたが、主は彼を守られた。
 
 これらの後、15章で相続財産が何かを教えられる。
 まだ話の半分だが終わりの時刻だ。
 私たちも未来がわからなくても、先頭に立つイエスにどこまでもついていこう。
 創世記12章1節  文責 H&K
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