久保 昌子 師のお話から
私の三つの人生の転機を、エペソ2章を見ながら振り返って見ようと思います。
先ず1〜3節。 私は、世間一般のダンスとコーラスを楽しみ、不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいたので、良い事をしようと思うのにさせない力が自分の中に働いていました。
自分の肉と心の望むままを行ない、優越感と劣等感に振り回され、妬みや競争意識が強い者だった。
その頃、小学5年の妹が 「教会に行こう」 と言う。 歌が好きだからです。 牧師の説教の印象は何故か 「神は生きておられる」 という事でした。 そして「信じる者は永遠の命が得られる」と聞き、心に賛美が聞こえました。
次に4〜7節、4節の 「しかし」 以下の言葉で私の人生はなんと汚れているかと思わされ、それが罪だと分かったのでした。
更に、ある方のバイエルを持ってきちゃったのを思い出し、謝罪して返しました。
この後、汚れた私のために、十字架で死んで下さった方による喜びがあふれ、人生が変わりました。 これは聖霊による恵みでした。 自分自身から出たことではなく、神からの賜物でしたから誇れないことです。
そしてゴールは6節、 「キリスト・イエスにおいてともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせていただく」 ことです。
ルカ22:39〜40に 「いつものように」 「いつもの場所で」 とありますが、それは何ものにも代えがたい恵みであり平安なのです。 感謝。 エペソ2章1〜10節 文責 芳賀、柿沼 |