小さな教会

プロテスタントの開拓教会です。 私たちは、エホバの証人、モルモン教、統一教会とは、一切関係ありません。
 
2007/12/24 8:13:17|先週の礼拝から
メリー・クリスマス
メリー・クリスマス。
クリスマスおめでとうございます。

今日のクリスマスコンサートに良くおいで下さいました。
私は 「我は三流営業マンなれど」 の著者ですが、読んでくださってありがとうございます。

この中に誕生日が12月の方は居られますか。
12月誕生の方は世界中から祝されて本当に感謝ですね。

ところで、この会場は落合産業さんの倉庫でしたが、教会堂(いこいの泉チャペル)に変身し、今日はコンサートホールに生まれ変わりました。

岡山さん御夫妻の演奏はいかがでしたか。
私はトロンボーンを直接見るのも聞くのも初めてです。
肺活量の必要な楽器ですね。
奥様のピアノ演奏、素晴らしかったです。
東京からこんな小さな教会に来てくださった事に感謝いたします。

さて、クリスマスは何故お祝いし、めでたいのでしょうか。
それは聖書に書かれているように、神が人となってこの世に誕生し、私たちの苦しみや悲しみを慰め、希望の光を与えられるからです。

救い主なる神の子に、私たち人類の罪を負わせて十字架にかけ、神と人を和解させたからです。
それ程まで私たちを愛し面倒みるだけではなく、神はその子をよみがえらせて下さり、私たちに永遠の命を与えて下さいました。

この素晴らしい出来事に私たちはメリー・クリスマスなのです。第2007回目のイエス・キリストの誕生記念日おめでとうございます。       
                       ルカ 2章11〜14節







2007/12/22 22:42:55|先週の礼拝から
イエスの誕生
佐野謙次兄のお話から

主はアブラハムの信仰を彼の義と認め(創世15章)彼と彼の子孫との神となる契約を結んだ(創世17)。

マリヤは御使いから聖霊による受胎を告げられた時、「お言葉どおり、この身になりますように」と信仰を告白した(ルカ1章)。

夫ヨセフはマリヤの受胎が、聖霊によることを夢で諭されたのを信じて(マタイ1章)彼女を受け入れたので、神とアブラハムとの契約が貧しい信仰者によって実現している。

また、イザヤは「インマヌエル」の預言をした(イザヤ7章)が、およそ700年後にイエス・キリストによって実現(マタイ1章)した。
この預言は神の愛による真理と慰めです。

神はご自分の御子イエス(例 ヨハネ14:9)を、肉体を持った形で人間の歴史の中に遣わされ、人間の罪を負わせて処罰されたのです。

主(神)に代えて、自分の判断を神としている的外れな人間(私達)のため、十字架上のみ言葉と復活の事実を通して 「御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、きよく、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださる・・」(コロサイ1:22) という神の側の御業を完了したのです。

ですから今は、神を敬わない人間の一人が十字架の贖いを信ずることによって、罪が一つ消えるのです。
                  マタイ1章23節   文責 芳賀、柿沼







2007/12/18 16:59:36|先週の礼拝から
無力な者の祈り
ある兄弟は、祈り魔と言いたい程、祈りが習慣化している方です。
私の家に着いて祈り、車に乗って祈り、誰かと会って祈り、別れる時に祈り、とどこででも祈るのです。
しかもその方の祈りは一般の気軽な挨拶代わりの祈りではありません。

初めての人にとっては緊張ととまどいの時となり、爽やかな思いの時となります。
今日は皆さんと"N"姉の病のいやしのために祈りました。

メンバーが病んでいる時は教会も共に祈るのです。
私たちの出来る最大のことは祈ることです。
それは私たちの祈りが必ず聞かれると信じるからです。

罪人である私たちが聖なる神の前に立つ時、神の憐れみを求める以外に一体何が出来るのか。
先ず自分の姿を神の前に正直に認め、私たちが自分の無力さを自覚し、無力さを明らかにする人だけが祈れるのです。

イエスは弟子たちに祈りを教えましたが、そのサンプルが主の祈りです。
二つのバージョンがありますが、マタイ6:9〜13と ルカ11:1〜4です。
先ず初めに「天にいます私たちの父よ」、または「父よ」と呼んで祈るのです。

天地万物の創造者を父さんと呼ぶことが出来るのは何とすばらしい特権でしょう。

私たちの思いを越えた計画を持ち、完全な愛と義を持って私たちを導かれる方、私たちの祈りに真に答えることが出来る方に祈っていきたいと思います。
   ヘブル4章15〜16節







2007/12/03 10:06:15|先週の礼拝から
目が不自由なことが私を救った
野村富恵兄のお話から

私の家庭は、貧しいのに父が母の他に二号三号さんを養っていたのでゆがんでいた。

ある時、慢性中耳炎を診て貰う耳鼻科で、私の隙間だらけの歯を見た医者に 「他に悪いところは」 と聞かれて、生まれつきの片眼を告げると、親の病気による先天性梅毒後遺症だと言う。
私は病名を聞いて、医師を疑いながらも混乱し生活が荒れ始めた。

半年後の春17歳。肺湿潤治療のため国立医療センターに通っていたので、恥を忍び梅毒の検査を受けたが、結果は陽性だった。
病名の忌々しさからくる父への恨み、悲しかった生活などを思い出し、「親父をぶっ殺して・・」と泣いた。

翌年1月、家賃が払えず家を追われ、母が東京中央教会(柏木)の住込み賄い婦になって引っ越し、義理半分で教会の集会に出た。
集会では自分の心の醜さに気付かされ、それが罪のためであると教えられた。
そして、Tヨハネ1章9節の 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 という言葉に捕らえられ、18歳の時に神に詫びて赦され、人にも詫びた。
夜空が格別に奇麗だった。

60歳過ぎて、車の運転で小さいトラブルが増えたため、眼科に行ったが、遺伝性進行性の色素変性症だと言う。
更に、今まで運転できたことが不思議なほどだと言う。
梅毒には関係ない。
私の片眼が生まれつき見えないのは、父が原因ではなかった。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるため」(ヨハネ9章2節)だったのだ。
父にも詫びたかったので、墓に行った。

その後、デイジー方式という録音法を知って 「肉声説教集」 のデイジー版CD製作に導かれて、その便利性が喜ばれている。

神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています(ロマ8:28)。 
ハレルヤ。
                     ヨハネ9章1〜3節    文責 管理者







2007/11/29 7:48:50|先週の礼拝から
イエスに触れた女
今の状況から教会への逆風を感じますが、御言葉で乗り切りましょう。

今日の長血の女の話には、エネルギッシュで死人を生かし、生命力あふれた信仰に導くイエス・キリストの創造的な力が、良く描かれています。
そして、三つの福音書全部に出てきます。

この女性は、12年間も日常的長血に悩み、治せる医者に会えず経済的困窮に襲われ、律法によって社会生活から隔離(レビ記15:25)されていたのです。

こうしたストレスの他に、親子関係や夫婦関係まで含めて、全て解決したいので真剣でした。
宗教的立場即ち律法では “汚れている” とされているので、目立たないようにイエスの後ろから近づいたのです。
そして、イエスの御衣に触れるだけで、すべて解決していただけると信じて行動したのです。

この女性が、なおりたいという意思と、治していただけるという信仰をもって、イエスの着物のふさに触れた時、イエスは 「触ったのは、誰か。」 と言われて、その信仰と身に起きたことを告白させられました。

それは、病気からの開放だけでなく、宗教的差別から開放し、心と関心を神に向けさせるためでした。
そして、イエスが「安心して行きなさい。」と言われた時、 「するとその時から」 と御言葉(マタイ9:22)にありますように、まさしく 「その時から」 イエス・キリストによる全人格的な真実の救いにあずかったのです。

私たちも、信じ続け近づいていこう。
                      ルカによる福音書8章43〜48節