教会標語の最後は 「全ての事について感謝しなさい。」 です。 それで、 「感謝」 の実質は何かを見ていきたいと思います。
ルカ17章11以降のいやされた十人のうち心の底からラ感謝したのは一人でした。 「イエスの足元にひれ伏し感謝した」 人です。 この所から何を感じるでしょうか。
イエスは 「行きなさい、そして祭司に見せなさい」 と言われただけです。 ある説教者はここのところを、 「(結果を)見ないで進む信仰」 といっています。
U列王記5章のナアマン将軍は、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸し、・・・きよくなり、・・・神の人のところに引き返し、・・・イスラエルの・・・神を・・・知りました。・・・しもべからの贈り物を受け取ってくださいと告白したのです。
ヨハネ4章24節以降を見ると、女は 『私がそれです。』 と言われて 「町へ行き、人々に・・・ 『来て、見てください。・・・この方がキリストなのでしょうか。』 といいながら、喜び・驚き、立証に走ったのです。
信仰生活は素直に応答することなのです。ですから感謝も言葉の上だけありません。 具体的行動を伴なうものであることが分かります。 嬉しさと驚きという心の実質が、感謝となって現われたのです。
キリスト(神)を喜んだのです。 これが本来の人間が持つ感謝の現れ方です。 ですからイエスは 「あなたの信仰があなたを治したのです。」 と言われるのです。
(不信仰なわたしを、お助けください) テサロニケT 5章16〜18節 |