小さな教会

プロテスタントの開拓教会です。 私たちは、エホバの証人、モルモン教、統一教会とは、一切関係ありません。
 
2008/03/29 21:20:42|先週の礼拝から
感謝をこめて
教会標語の最後は 「全ての事について感謝しなさい。」 です。
それで、 「感謝」 の実質は何かを見ていきたいと思います。

ルカ17章11以降のいやされた十人のうち心の底からラ感謝したのは一人でした。
「イエスの足元にひれ伏し感謝した」 人です。
この所から何を感じるでしょうか。

イエスは 「行きなさい、そして祭司に見せなさい」 と言われただけです。
ある説教者はここのところを、 「(結果を)見ないで進む信仰」 といっています。

U列王記5章のナアマン将軍は、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸し、・・・きよくなり、・・・神の人のところに引き返し、・・・イスラエルの・・・神を・・・知りました。・・・しもべからの贈り物を受け取ってくださいと告白したのです。

ヨハネ4章24節以降を見ると、女は 『私がそれです。』 と言われて 「町へ行き、人々に・・・ 『来て、見てください。・・・この方がキリストなのでしょうか。』 といいながら、喜び・驚き、立証に走ったのです。

信仰生活は素直に応答することなのです。ですから感謝も言葉の上だけありません。
具体的行動を伴なうものであることが分かります。
嬉しさと驚きという心の実質が、感謝となって現われたのです。

キリスト(神)を喜んだのです。
これが本来の人間が持つ感謝の現れ方です。
ですからイエスは 「あなたの信仰があなたを治したのです。」 と言われるのです。

(不信仰なわたしを、お助けください)
テサロニケT 5章16〜18節







2008/01/21 19:49:38|先週の礼拝から
いのちの祈り
お祈りは信仰生活の基本で大切です。

重要な祈りが三つあります。
第一に 「執成しの祈り」 です。
人が不幸や病の中にいる時には、祈りで支えたいと思います。
祈りの同労者が必要です。
心を合わせて祈りましょう。

第二は 「悔改めの祈り」 です。
初めて信仰を自覚する時に経験しますが、信仰暦の長い人でも自己中心に陥ることがあります。
神の前に 「ごめんなさい」 と言うことにより赦していただき、生き方を変える祈りです。

第三は、今日の主題の祈りです。
ルカ18:1〜8は、一人のやもめの追及の祈りですが、 「いつでも祈るべきであり失望してはならない」 つまり“失望しない、諦めない”で祈りなさいということです。
困難に直面した時、失望して祈れなくなるから祈れというのです。
矛盾するような説明ですが、Tコリント10:13は 「神が必ず道を開いて下さる」 と伝えている事を思い出しなさい。
失望するな。
「脱出の道も備えてくださいます。」 というのです。

人生にはのっぴきならないような、絶体絶命の危機があります。
いのちを賭ける祈りが必要です。
これが 「いのちの祈り」 なのです。

試練は誰にでも来ます。
その時、自分を御前にさらけ出し、罪を悔いて委ね、御言葉をいただくのです。
エレミヤ29章11節には 「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」 と告げられています。

絶えず祈ることができるように信仰を育んでいただこう。 テサロニケT 5章16〜18節








2008/01/15 10:29:17|先週の礼拝から
喜びの免疫
今年の年間聖句を祈り求めて、心に示された御言葉は、Tテサロ5章16〜18節の
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。」
です。
年間を通して、この御言葉に注目したいと思います。

今日はそこから 「いつも喜んでいなさい。」 ということをお話します。
これはピリピ4:4に書かれているように 「主にあって」 がキーワードなのです。
主を信じ、主と共に生きるのです。

私はトップセールスマンとして自分の力を信じたが、自殺に追い込まれ、御言葉によって救われ、 「さあ、喜び喜べ」 と言われて、新しい生き方へ移されました。

N姉がイエス様に頼ってガンによる病から帰ってきました。
現実を思うと喜べませんが、神がN姉を応援し、 「生きなさいと」 と言って下さいます。

神は見捨てる方ではありません。
その信仰を通して栄光を見せて下さるお方なのです。
癒して下さると信じましょう。

この度、N姉は免疫療法を受けるそうです。
ある研究者によると、人間は一日に4000個のガン細胞が生まれ、1日に20回喜ぶことによって、4000個のガン因子が消えるそうです。
そして、その効果の判断は、顔の表情が判定の物差しだと言うのです。

信仰による魂からの喜びと平安が免疫の力を高めないはずがないでしょう。
イエス様は 「医者を必要とするのは病人です。」 と言われました。
この御言葉に副作用はありません。イエス様から目を離さないでいきましょう。                                              テサロニケT 5章16〜18節







2008/01/14 11:19:07|先週の礼拝から
主の御手の中で
今年も1年の終わりが近づいてきましたが反省や感謝をしつつ新しい年を考える時でもあります。

私は毎日車を走らせておりますが、本当によく守られました。
詩篇31篇の祈りを読みますと15節で 「私の時(運命)は、御手の中にあります。」 と告白しており、ヤコブ書4:14では 「あなたがたには、あすのことはわからない・・・・あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。」 と言う。
つまり、私達は神の御手の中の霧のようだと言うのだ。
ヤコブ書4:13から見直すと、自分の計画を立てるのは良いが不確かさが100%だと告げている。

人間には未来の支配や予知はできません。突然予期しない形で病に倒れる場合があります。
本当に祈らされます。

しかしこの教会は、スタート以来全く予想もしない形で祝福され、訓練さえも受けているのは感謝にたえません。
だから全ての計画に神のサポート(援助)と恵みが必要であることを認めなければなりません。
背後にあって全てを導いて下さる神を信頼し、御旨に生きる生涯がどんなに幸いかという事です。
だから霧のような人間は、神を信頼しこの世を過ごす事が大切です。

詩37:5節 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。
主が成し遂げてくださる。」 全ての計画を、神の恵みと御手の業に委ねていきたい。        詩篇 第31篇13〜15節







2008/01/14 10:59:21|先週の礼拝から
マリヤの賛歌
クリスマスは人に対する神の哀れみが中心ですが、それに応答し 「わが救い主なる神を喜びたたえます。」 と告白したマリヤの信仰が目立ちます。

さて、聖書中のクリスマスエピソードを見よう。
先ず、ベツレヘムで生まれるという預言です(イザヤ9:6〜7)。
その村は貧しく、当時12軒程の寒村でした。
そして、キリストの誕生を最初に知らされたのは貧しい羊飼い達でした。
貧しい者達が最初の礼拝者とは、主の憐れみだ。

そして、マリヤとヨセフです。
マリヤは御使いの言葉に戸惑いましたが、 「私は主のはしためです。」 と言い、主の御計画を受容したのです。
はしためとは、 「召使いの女」 「水汲み女」 と呼ばれる貧しい女で、言われたことは何でもいつでも行なう立場です。
しかし、恐れがあったでしょう。
「聖霊によって身ごもりました」 と言って誰が信じるのか。
なぜ私なのか。
まだ婚約中の身なのだ。
戒律があり、死を覚悟する程の刑がある。
しかし、マリヤは 「あなたのおことばどおりこの身になりますように。」 と言って、全てを主に任せたのだ。
この窮地を救ったのは、夢による啓示(マタイ1:20)を信じ従った夫のヨセフです。
このヨセフの愛と、力強い導きによって、困難を乗り切るのです。
私たちも常に神の憐れみと、その業の現われとを期待しつつ待ち、また信じ続ける者でありたいと思います。
ルカ 1章26〜55節