小さな教会

プロテスタントの開拓教会です。 私たちは、エホバの証人、モルモン教、統一教会とは、一切関係ありません。
 
2008/04/01 7:48:48|先週の礼拝から
デイリィ・ブレッド
藤田光一師のお話から
  
我が家の朝食はいつもパンとコーヒーですが、パンの袋に 「Daily bread」 と書かれていました。
ある時、それが聖書にある 「日毎の糧」 という言葉であることが分かったのです。
マタイ6章11節の 「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。」 と同じです。

先日、出張で出かけていたおりに、調べたいことありまして、ネットカフェを初めて利用しました。
そこは、多くの日雇いの人達が、横になって寝られないのに、一夜を過ごすために利用しています。
日毎の肉体の糧を得るのも、難しい時代です。

マタイ4章4節でイエスは、 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつのことばによる。」 と言っておられます。
これは肉体の糧ではなく、霊または心の糧として神からの言葉が必要だということです。

一方、アモス8章11節では 「わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。・・・・主のことばを聞くことのききんである。」 と告げています。

ジョージ・ミューラーという方は、 「御言葉に対する良い時間を持たなかった日は無駄な一日だったと思ったそうです。
そして今の私達の時代も、この世の情報が溢れ返って、すぐそこにある聖書の言葉が隠され、心で聞く機会が極めて少ないのではないか。

私は 「日毎の糧」 のために祈りつつ、注意深く聖書から聞き、御言葉を心に貯え続け、その言葉によって自分が養われ、隣人を助けねばならないと、今更ながら思わせられます。  

                                   マタイ6:9〜13     文責 芳賀、柿沼







2008/03/31 9:18:10|先週の礼拝から
揺るがない者とされる
岡田信常師のお話から

私は栃木市に教会が出来るようにと永らく祈っていました。
ですから今回、不思議なように栃木市に教会が与えられるのを喜んでいます。
それで、今日はペテロの書簡です。

ペテロはマタイ14章で海の上を歩いてイエスに近づきたいと言い、途中まで歩いて波を恐れ、沈みかけました。
単純な男です。
ペテロは 「なぜ疑うのか」 と言われてしまった男です。

しかし、そのペテロをつかんで助け、マタイ16章16節以降で、 「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 と告白させ、その信仰に対し 「この岩の上にわたしの教会を建てます。」 と言われたのはイエスです。

教会は神の言葉の上に立っているのです。
ここの集会の中でイエスに出会いその恵みに浸れるという事です。

Tペテロ5章6節以降を見ましょう。
6節は赦された罪人に過ぎない者として神の前に在り続け、7節は自分の判断や想像からくる心配事にしがみつかずに神に期待しなさいと勧めています。

そして10節 「あらゆる恵みに満ちた神、・・・・あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者として下さいます。」と宣言しています。

ペテロは、「なぜ疑うのか」と言われた自分であったのに、「不動の者」「揺るがされることはない者」とされて頂いている事を、実感しながら書いた事でしょう。

私達も、こんな素晴らしい福音を信じ、祝福を得て、不動の者となるように召されているのです。
私にはできないが神にはできるのです。

                                     Tペテロ5章6〜11節 文責 芳賀、柿沼







2008/03/30 9:30:57|先週の礼拝から
成長させる神
ルカ13章18〜21節は、イエスが、からし種とパン種という二つの例えを用いて神の国の性質を表現したところです。
神の国の多様な性質のうち、今日は、神がその恵みによって成長させてくださることを見たい。

先ず、十字架の “死” と “よみがえり” を通られたイエスを信じる事の影響は大変大きく、心の奥底(魂)にまで影響して私たちを造り変え続けるのです。
価値観の大転換が進みます。
聖書の言葉を通して、神が愛して下さっていることが分かるようになります。
すると、神に自分と他の人のために祈るという人格が形成され、それが具体的行動にまで及ぶように膨らむからです。
だから、自分達の努力や力ではなく神の恵みによるとパウロは言うのです。

まさに 「天の御国は、パン種の様なものです。・・・・全体がふくらんで」 (マタイ13章33節) のとおりです。

よく 「何年後のビジョン」 という事を聞きますが、今日一日与えられたことを力の限り精一杯やるだけでしょう。
日夜、主に従っていけば、質だけでなく規模的にも成長させて下さるのは神なのです。

先ず、からし種ほどの信仰です。
マルコ4章31節では、 「地にまかれる種の中で最も小さい」 がドンドン成長すると告げます。
ルカ12章32節は、私たちに「小さな群れよ。恐れることはありません。
あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」と言ってくださいます。

「ただ尊きは育てたまふ神なり(改訳Tコリント3:7)」

ルカ13章19節







2008/03/29 21:48:23|先週の礼拝から
全盲のギデオンマン
私は鈴木といいます。

今日は「ギデオンの報告」と「証し」のために伺いました。
ギデオンの働きは四つです。
聖書贈呈をすること。
活動参加者を募り、聖書購入資金を募り、祈りの奉仕をお願いすることです。
(途中略。)

私は東京で生まれ、今年79歳になります。
11歳の時に失明しましたが、ミッションスクールに入学し、聖書と賛美の毎日で信仰を与えられました。

10年前にギデオンに入会し、妻と二人で聖書贈呈に身を置いていました。
数年前に妻を天に送り、一人で過ごしておりますが、最近、パソコンで活字文字を読み取り、音声に換えてくれる新しい変換ソフトが開発されという事です。

今まで、妻が読み上げる声を頼りに何とか過ごしておりましたが、目に障害を持つ者にとって画期的な朗報です。
「いつも喜んでいなさい。」ハレルヤ。
感謝。
――以上は鈴木兄。

以下は芳賀兄。
――鈴木兄は、いつも祈りの大切さを教え、栃木南支部の霊的な指導をされました。
喜びに満ちたお姿、感謝です。

さて、1月30・31日の両日、初めての断食祈祷会。
マタイ17章20節が開かれ「どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」を覚えつつ祈り、朝食と昼食を絶ち、一人一人御言葉を取次ぎ、賛美して過ごしました。

主よ、私達を哀れんで願いをお聞き届け下さい。

                                         Tテサロニケ5章16〜18節







2008/03/29 21:37:21|先週の礼拝から
何も心配しないで
人間が他の動物と違う点は、笑うという事だと以前話しましたが、悩んだり心配したりする事も全く違う点だと思いました。

以前テレビで 「銀座のお母さん」 という占い師が、悩みを当てると紹介されましたが、どんな人でも 「思い煩い」 のない人はいないでしょう。

ルカ12章16節では、お金持ちが豊作になり作物をたくわえておく場所がないと、悩んでいます。

今、世界も経済後退の恐れで、悩んでいます。
それは全て人間の貪欲から来ているからです。
だから金持ちも悩むのです。

この思い煩いが人生の最大の敵だと言った人がいました。
私も心配症です。

だが教会は素晴らしいところです。
何も心配するな、悩むな、神を信じ、神に自分の話を聞いていただき、神に甘えなさいというのです。
そうすれば受け入れていただけます。
受入れられることにより人は輝くようになり、安心が得られるのです。

夜明け前(苦難)のない朝(平安)はありません。
神に会い、神に本音で訴え、聞いていただいたことを確認することです。

神は本気で向き合って下さり、 「辛かったでしょう」 と言って抱き寄せて下さいます。
神は個々の人間の弱さを補って下さるからです。
Uコリント12章9節では 「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるから・・・・・私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」 という。 
                                        ピリピ4章6〜7節