藤田光一師のお話から 我が家の朝食はいつもパンとコーヒーですが、パンの袋に 「Daily bread」 と書かれていました。 ある時、それが聖書にある 「日毎の糧」 という言葉であることが分かったのです。 マタイ6章11節の 「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。」 と同じです。
先日、出張で出かけていたおりに、調べたいことありまして、ネットカフェを初めて利用しました。 そこは、多くの日雇いの人達が、横になって寝られないのに、一夜を過ごすために利用しています。 日毎の肉体の糧を得るのも、難しい時代です。
マタイ4章4節でイエスは、 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつのことばによる。」 と言っておられます。 これは肉体の糧ではなく、霊または心の糧として神からの言葉が必要だということです。
一方、アモス8章11節では 「わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。・・・・主のことばを聞くことのききんである。」 と告げています。
ジョージ・ミューラーという方は、 「御言葉に対する良い時間を持たなかった日は無駄な一日だったと思ったそうです。 そして今の私達の時代も、この世の情報が溢れ返って、すぐそこにある聖書の言葉が隠され、心で聞く機会が極めて少ないのではないか。
私は 「日毎の糧」 のために祈りつつ、注意深く聖書から聞き、御言葉を心に貯え続け、その言葉によって自分が養われ、隣人を助けねばならないと、今更ながら思わせられます。
マタイ6:9〜13 文責 芳賀、柿沼 |