私の妻春子の葬儀に際し、御協力と共にお花料などのお心遣いをいただきありがとうございます。 また、生前の御厚情に感謝申し上げます。
妻の“死”、それは悲しみでした。 今後を思って苦しみました。 私も男泣きに泣いて、泣いて涙も枯れる程です。 ひと時、妻の死と、妻が助けてくれた事の大きさしか見えませんでした。
でも今日のタイトルは 「悲しみから喜びへ」 です。 逆転の救いですね。 全てはキリストの復活に関わりがありますが、この喜びを三つに分けてお話します。
T列王18章22節〜では、エリヤは主の名を呼び、たった一人で450人のバアルの預言者と対決し大勝利したのに、19章4節では死を願う程に絶望しています。 あの時のエリヤは、主による未来に気付きませんでした。
十字架の“死”に立ち会った弟子達は「しばらくするとわたしを見る。」と言われたことを理解できず思いだせず、主のよみがえりによる未来に気づきませんでした。
エリヤは主の新しい導きを得て大いに活躍します。 ヨハネ16章20節、弟子達はよみがえりのイエスを見る時、悲しみは喜びに変わります。 師の“死”という悲しみと絶望という苦しみを経験した後に、師お会いして、これからも会えるという希望を見出すのです。 だから喜ぶのです。 妻春子もそうです。
私たちはこの世にあって苦しみや悲しみがあります。 しかし喜びは、苦しみや悲しみを通してもたらされるのです。 だから今、主に在って苦しみ・悲しんでいる人は幸いです。
次に24節で、 「私の名によって・・・・求めなさい。そうすれば受ける」 と言って下さいました。 これは、13節の 「聞くままを話し、又、やがて起ころうとしている事をあなたがたに示す」 お方、即ち真理の御霊を、私たちが受ける事を指しているのです。
その真理とは喜びです。 求めれば受けるのです。 今、分からないことが分かるようになるのです。 必ず喜びに満ちたものになるという事です。
そして21節、これは新しい価値観が与えられるからです。 真理の御霊による事柄ですが、世の成功や出世などの価値とは異なるもので、キリストの喜びが溢れる時、私の喜びも溢れるという喜びの人に変えられます。 これがキリストにある新しい価値観です。
ヨハネ16章12〜24節 |