佐野謙次兄のお話から
マラキ3章1節 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。 あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。 あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている。」と万軍の主は仰せられる。
私にとって、聖書の原点は、ヨハネの福音書です。 終戦後、私が小さい頃に配布されたのを思い出します。
そのキリストの400年も前に、マラキが活動しました。 マラキ3章1節(口語訳)「見よ、わたしはわが使者をつかわす。 彼はわたしの前に道を備える。 また、あなたがたが求めるところの主は、たちまちその宮に来る。」と預言しました。
400年を経て、B・ヨハネが、 「荒野で呼ばわる声」 として現われ、マタイ3章2節の 「悔い改めよ、天国は近づいた」 と叫んだのです。 マラキの預言が、400年後に成就したのです。
現在は、主の道を備える時であり、将来の始まりです。 その言葉が伝えられ、無より有を生み出す神の業が進められ、B・ヨハネによって、キリストを知り、キリストによって、神を知ります。 これが新しい時代の夜明けであり、恵みのときであり、人の運命を決する厳かな時です。 そして神の意思に従うのは、神に生かされている者の、責任になっているのです。
次に主イエスの宣教ですが、バプテスマを受けて、すぐに伝道を始めたのでなく、御霊によって断食生活をし、サタンの誘惑を退け、神の子であることを確かめられたのち、ガリラヤ伝道を始めています。 そして、マタイ4章17節のとおり、 「悔い改めよ、天国は近づいた」 と語られました。 B・ヨハネと同じ言葉です。
ホーリネスの笹尾鉄三郎という牧師は、「人を離れて深く神と交わり、祈りのうちに導かれた時に、行動すべきである」 と言われました。 そして御言葉に聞き従い、召命にあずかり、そして福音宣教活動に招かれるのです。 職業やいろいろのしがらみさえも、主の手に委ねて、主の召しに従うのです。
主は無に等しい者を、教育・訓練し、従順を学ばせ、Tコリント2章7〜10節にあるように、聖霊によって、神の知恵を啓示してくださいました。 また、愛と憐れみの行為として、病気や悪霊からの開放をなさいました。
弟子ペテロは 「私達は自分の見た事、聞いた事を、語らないわけにはいかない」 として、イエス・キリストを語り、信徒伝道者であるピリポは、 「私は、イエス・キリストを神の子と信じます」 と答えたエチオピアの宦官に、バプテスマを授けたのです。
すばらしいですね。 |