マタイ6章13節「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」を、主の祈りの中で唱和しつつ祈ります。
試みとは何でしょうか。 二つ有ります。 第一は誘惑です。 英訳で Temptation(きけんなところに誘う)です。 第二は試す・試練 Testament (証明する) です。 「試み」は、この二つの意味を持ち合わせています。
イエス様もマタイ4章1〜11節で悪魔の試みに会いました。 (参考、マルコ 1章13節は、サタンの誘惑を受けられた。)
外国では、聖書のことをバイブルと言わず、The Testament といいます。 つまり、聖書そのものが私達をテストする書物なのです。 試練も誘惑も霊的いのちに、生きる力の源泉に、かかわる事です。
人はよく神によって生かされていると言いますが、何のために生かされているのでしょうか。 中には、俺は一生楽しく生きられれば良いと言う人もいるが、一生の間、神に試されている事に気付いていない方なのです。
一般的に、人間は、経済問題・健康問題・対人関係問題等のどん底を経験する時、全く弱いのです。 苦しみ・悲しみにあえぎ、何のために生まれたかと恨み、自殺や逃避に走ります。ヘブル12章8〜11節は、神が、霊の父として、私達クリスチャンの訓練のために、懲らしめを与えると言っています。 子である私達をテストするのです。 つまり、この世の試み・訓練・試練等は、御国に入るための準備なのです。 神の御旨・御心にかなう生き方をしなければ、神の国を相続する事はない(ガラテヤ5章19〜21節)からです。
また、試みは、人間的成長と人格の形成を進めます。 私は、この世にあって、あなたの訓練は、重すぎ、背負いきれない程で、挫折と辛い生活ばかりですと訴えますが、神は、私の涙を拭い去ってくださり、「よくぞここまで耐えてきましたね、もう大丈夫だよ。」と言って下さるでしょう。
いよいよ、神の憐れみと恵(信仰)の時です。 もう神様の栄光は目の前です。 人生は確かに生きること自体厳しいのです。 しかし、イエス様が私のために死んで、よみがえって、共にいるのです。 神の目は、節穴ではないのです。 必ず救って下さると信じて、この主の祈りを祈るのです。 マタイ6章13節 |