アポロ行政書士事務所

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2021/08/07 14:10:11|研究
なぜお金が貯まらないのか?
お金が貯まるというのはどういうことか?

収入よりも支出が少ない状態が継続できれば、貯蓄は増えていく。
それに、貯蓄が自己増殖するよう投資されていれば、
長期的に見れば勝手に増えているはずだ。

そもそも貯蓄が少ないと、自己増殖効果も小さい。
そして、それなりの貯蓄を築くには、十分な収入が必要である。
支出を減らそうとしても、下限と思われる水準はあるのだ。

生活保護水準を参考にしよう。
保護費をかんたんに計算できるサイトが合ったので、使ってみた。
渡しの場合、生活扶助は6万8千円位で、住宅扶助は3万2千円程度になるらしい。
つまり、一月の生活費は10万円である。

これを生活費の実質的な下限であるとすると、
月10万円は確実に支出されていくということだ。
年間120万円である。

一昔前だが、パートの時給で月160時間働いていたことがあるが、
手取りが10万円をわずかに切っていた。
すなわち、生活保護水準以下の可処分所得しかなかった時代が私にはある

一日8時間働いても赤字というのはいったいなんなんだろうと思う。
おそらく、時給1000円だと、手取りで12万ぐらいにはなるだろう。
労働としては、ほんの少しだけ報われる水準といえるだろうか。

そもそも、収入が少ないことが問題とも言える。
月に5万〜10万ぐらい貯蓄できるような生活を贈ろうとすれば、
最低限の生活をしていたとしても、
収入は手取りで180万〜240万はないといけない。

税金や社会保険料を20%程度と見たときに、
総額で225万〜300万円あれば、なんとかなるといえる。

これがなかなか達成できないんですね。
特に、田舎では。

額面で300万円を得るためには、時給は1500円以上は必要になる。
時給は少なくとも1125円以上はないと225万円にならない。

額面で月20万円を稼げる場合、手取りは200万円ぐらい。
支出を120万円として、年間の貯蓄は80万円が達成可能な数字である。
時給相当額は1250円である。

貯蓄できるようになるためには、
とりあえずは時給を上げていけばなんとかなりそうだね。

頑張って時給をあげられる行動をしましょう。
ではまた。







2021/08/05 20:54:14|研究
天才。
なぜ、日本には天才が現れないのか?
こんな疑問が提示されている。

そこで、天才である私が説明したい。

私が天才であることは自明である。
ゆえに証明は必要ない。
しかし、周囲の人たちはなかなか納得しないのだろう。
特に、私と関わりの薄い人は、私を天才だと思わない。

私は典型的な天才である。
天才としては平凡な性格である。
天才として平凡であることは、
日本では「変人」あるいは「宇宙人」ということになる。

確かに、私は権威主義的なところがほとんどないため、
多くの「空気を読んで行動する」日本人とは折り合いが悪い。
日本人は集団的・組織的に行動することを規範としているため、
近代的な規範のもとに個人的な行動をする人間を理解できない。

したがって、経済的に成功することはかなり難しくなる。
経済的に成功するには知能指数が高すぎるのである。
おそらく、経済的に成功するのに妥当な知能指数は120程度である。
これは、凡人の知能指数が100なので、ギリギリ理解できる人に入る。

ところが、知能指数は140以上から天才と言われる。
私は、この条件を満たす。
知能指数が120の人が、ギリギリ理解できる人から天才になる。

知能指数は20違うと会話が成立しないとされる。
知能指数140というのは1000人に一人程度の頭脳である。
つまり、希少性が高いのだが、同じレベルの頭脳にあうためには、
メンサなりのサロンに入会しないと難しい。

なぜ、メンサのような組織が必要なのか。

正直、凡人と40も違うと、
会話時のフラストレーションが高くなるため
話したくなくなるのである。
だから、ほったらかすと無口になることが多くなる。

私は、無口にならないように意識しているし、
なるべく相手のレベルに合わせて話しているので、
更に、すこし馬鹿になって話しているので、気が付かないのだろう。

常に孤独を感じているため
孤独になれすぎている。
したがって、群れるという発想がそもそもない。
しかし、群れないと、その集団の中で天才を認知されることもない。
ゆえに、天才だが発見されないし、
発見されないので、天才と遇されることもない。

それに、天才的な日本人は私は天才だとなかなか言わない。
内心は、天才だと思っていたとしても。
それに、頭が悪い人間ほど、天才のフリをして傲慢になる。
そうした振る舞いが多いため、同類と思われたくないのである。

更に、教育システムがある。
日本の教育システムは秀才選抜システムである。
そして、秀才は変化が緩慢な社会を好む。
天才は、もっと知識が汎用化されているので、
変化が大きい社会のほうが自分を活かせるのである。

むしろ天才が多いということもいえる。
天才がありふれているために、比較を間違える。
凡人と比較すれば天才だとわかるのだが、
天才同士で比較をするから、劣る方も天才だということを失念する。

天才に対する誤解も多いのである。
天才なら何でもできると思われている。
でも、本当は、興味のある分野でしか天才を発揮できない。
だから、かなり凸凹な発達をしているものである。

どんなかんたんなことでも、興味を向けないために、
全くできないことがあるものだ。
あるいは、特殊能力が、諸刃の剣となって、
長所であるとともに短所にもなってしまうのである。

これができるから、あれもできるだろう、と思われても、
意外とあれはできない。
これができないから、あれもできないだろう、と思われても
意外とあれはできたりする。

最後に最大の問題。
天才と判断する基準が明確でない。

さて、なぜ私は天才といえるのか。
それは、未来から息子が来ているからである。
おそらくタイムマシンで移動してきたのだろう。

その未来から来た息子は、私を天才であるとした。
ゆえに、私は天才である。
だが、天才が多い時代だから、目立ちはしないらしい、と言っていた。

以上は証明だとは言えない。
しかし、証明できないが、真実はあるのだ。
そして、証明は必ず存在するとは限らない。

私は天才である。
それは、私にとっては自明の真理である。
そのこと自体は、人畜無害なので、社会的に許されることだ。

これからは、私は天才であるとアピールしていくことにしよう。
そのほうが、世の中は面白くなるに違いない。

本日はここまで。
ではまた。







2021/08/04 6:47:24|家の出来事
日常をシンプルに。
生活をかんたんにする工夫をしています。

食事とお金の流れもシンプルにしました。

蔵書のデジタル化も徐々にすすめています。

一日三食を固定しました。
いつも同じものを食べることにしました。

朝食は、納豆・たまご・ヨーグルト
    ご飯 そして、コーヒーです。

昼食は、豆腐と味噌汁
    ご飯 そして、なにか飲み物です。

夕食は、バナナとプロテインと牛乳です。

今は、あまり食欲もないので、続けられます。
少食によるダイエット効果も期待しています。

もっともチートデイを作らないと、体重は減少しないようです。
気をつけます。

お金の流れもシンプルにしました。

事業収入だけで、事業経費を賄うようにしました。
その他の収入は、貯蓄(投資)と生活費(小遣いを含む)に分けます。

キャッシュカードやクレジットカードは
基本的には持ち歩かないです。
家で保管しています。

臨時で給油するときのために一枚だけクレカが財布の中にあります。
その他は電子マネーと共通ポイントカードだけです。

スマホで対応できますが、財布に空きがあるのでそうしています。

固定費はすべてクレカで払うことにしました。
通信費と車両費でクレカを分けています。
分けておくとわかりやすいからという理由だけです。

こうしておくと、経理が楽になる気がします。

帳簿と家計簿と小遣い帳を分けて記録していても楽な気がします。

そんなところです。
今日は朝から若干、雨が降っているようです。
比較的、まだ涼しいですかね。

昨日、一回目のワクチンを打つことができました。
2回めは3週間後です。

ではまた。







2021/07/31 21:07:49|研究
学習の仕方が間違っている。
なぜ、知識は増やせても、技能が身につかないのか?
単純に、学習方法が間違っているからである。

技術を身につけるには練習あるのみなのだ。
プラクティス(実践)重視が正しいのである。
むしろ、実践しないと身につかない。

法律学しかり。

まるで実務家のように、六方を使って条文を引きながら
具体的な紛争について、自分なりにでも当てはめを考え抜くことを
全く練習しないのであれば、司法試験には受からない。

法律のどのへんにどんな条文をおいてあるか
検討がつけられるようになれば、
条文を組み合わせて検討した結果、
判例がありそうだという嗅覚も効くようになるのである。

はっきり言って、なんでも覚えて行く方法は間違いである。
本は、自分が考察した結果を、いわば答え合わせするために読むべきであり、
覚えるために読むのではない。

法律解釈技術を体得することが目的なのであり、
解釈技術を披露した結果を覚えていくことが目的ではない。
後者の方法では、既知の問題にしか十分に対応できない。
無限にある未知の事象に対応する応用力を得ることが目的である。

簿記しかり。
簿記も覚えることは少ない。
配慮すべきことを当然に配慮していけばいいだけだ。
練習あるのみ。

英会話しかり。
単語をたくさん覚えればいいわけではない。
かんたんな表現を身に着けて、
然る後に、複雑な表現もマスターできればいいのであり、
そのために必要な単語はとりあえずは1000語程度に制限すべきかもしれない。
ボキャビルで満足すべきことではない。

プログラミング然り。
分厚い文法書をいくら読んでも、プログラムをかけるようにならない。
とにかくかんたんでもプログラムを書くことが大事である。
文法書は辞書のように引ければいいので、
冒頭から最後まで読む必要はない。
まして、覚えるべきでもない。

数学然り。
定義は覚えて、定理は導けるようになればいい。
そして、定理は問題の解決の道具として使いこなせなければならない。
そのためには練習あるのみである。

技術を身につけるには繰り返すしかない。
反復練習あるのみ。
基礎練習も重視する。

実は、必要なのはスポーツをうまくなるのと同じだけの根性である。
結局、技術は身につけるのに一番必要なのは、根性である。

決して結果を得るまで諦めない。
そのためには練習あるのみ。

場数を踏むのである。
失敗したということは、今はできないことに挑戦したことなのだ。
そして、成功するまで挑戦したから、失敗が成功の母になるのである。

ただそれだけだ。
ではまた。







2021/07/28 20:01:13|家の出来事
土用の丑の日。
今日は、うなぎを食すと良い日らしい。
昨日、スーパーで購入しておきました。

消費税込みで2500円ぐらいしたかな。
大きめの国産にしました。

中国産は2匹入っていましたが、
今年は、国産にしました。

今年はレンチンするだけではなく、
ちゃんと、かんたんに調理をしてから頂きました。

いやはや、うまかった。
久しぶりにちゃんとうなぎを食べた気がしました。
満足できました。

本日も名もなき雑用をしていたら、
この時間になりました。

いろいろと問題は発生していますが、
一つ一つ片付けていくしかないようです。

ということで、本日はここまで。
ありがとうございます。