アポロ行政書士事務所

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2026/03/12 21:28:51|その他
第18話 人格交代。
幕張には仕事を発注した企業があった。

実機やテストマシンも発注企業が所有していて
仕事を遂行するには毎日のように通う必要があった。

そのため、程近くにオフィスを構えたのである。
そのオフィスは弊社が賃借する形になっていた。
仕事を受注するためのにはのむ必要のある条件だったのだろう。

その中に、元請けと下請け三者が入っていた。
元請けは、当時、最大手電機メーカーの子会社である。
弊社はその下請けだったので、いわゆる二次下請けである。

契約上は、一括請負である。
だが、実際は偽装請負という形態だ。

元請けの課長が4、5人の主任を使って、
下請けの従業員に指示を出していたのだから。

配属されたのは6月だった。
だから6月頃の話なのだろう。

従業員一人づつ、課長に呼び出された。
個別面接である。

課長は、態度や風貌からすれば、暴力団員にみえた。
もちろん、そんなことはない。
若さゆえの世間知らずである。

そんな風体の人に「かわいげがない」と一蹴されて、
すっかり萎縮してしまった。

萎縮しただけならそれは問題ない。
本題はここからである。

面目を潰されたと感じた第一人格が遁走してしまった。
後ろに隠れていた第二人格が遁走した第一人格の代理を始めることになった。

明らかにおかしなことがおきたのだが、周りは気がつかなかった。

なぜなら、私がそもそもどんな人格だったのかを知らないのだから
人格が大きく変化したことについて、違和感を得るすべがなかったのである。

また、精神分析に興味がありユング心理学に触れていた私には、
これが医学的に正常ではないということに、むしろ思い至らなかった。

まさに生兵法は大ケガのもとだ。

ところで、人格が複数あることは、このことがきっかけになったわけではない。
そして、人格が複数あることが即、障害として扱われるわけでもない。

こうして、
私は自分の独特な個性のあり方について、
自覚的にならざるを得なかったのである。







2026/03/11 8:56:54|その他
第17話 探偵される。
4月から晴れて社会人になった。

会社の寮は浦安の借上社宅であった。

当初は、浦安から早稲田の本社へ通勤した。
プログラミングの研修のためである。

研修期間は当初は3ヶ月の予定であった。
しかし、会社の都合で2ヶ月で終わりになる。

その間に、配属先が幕張のオフィスに決まった。

電話交換器のプログラム開発に従事することになった。
開発といっても、プログラムのテストをするのが主だった仕事である。

浦安の寮から幕張のオフィスへと通勤するようになった。

入社数日たったある日、会社の上司とランチをすることになった。

私は、まだ、この会社に希望を持っていたので
社員バッジを胸ポケットにつけて外出していた。

もちろん、会社名が入っている。

上司の椅子の後ろがわのテーブルに2人組の男たちが座った。

そして、「(会社名)か。名前だけが立派でイマイチな会社だ。」
と発言した。正確には覚えていないが、趣旨はおなじだ。

驚いたのは、私だけではない。私の前で座っていた上司も驚いていた。

その言葉は、何気なく発せられた言葉ではない、と察した。

おそらく、何か目的をもって近づく存在がいたようだ。
だが、その後、この一件に絡む事件はなかった。

一時期だが、私に対する評価が、
かなり混乱したことを除いては何もなかったのだった。







2026/03/10 8:15:45|その他
第16話 就職する。
大学4年の一年は、大体就職活動で終わった。

学業成績は、もちろんダントツだったが、就職活動ははかどらなかった。
偏差値の高い大学ではないので、大学名では通らない。

地元で就職しようとせず、そのため学校の力も借りなかった。
東京の会社に就職しようとしていたためだ。

はっきりいって、なんの伝もないので苦戦したのである。

年末近くになって、
たまたま新聞に掲載されていた合同的な求人広告を見て
行ってみることにした。

消費者金融やら、制服の制作会社など、いまいちな会社が集まるなか
採用担当が大人としてかっこよかったところに履歴書を送ることにした。

そこが、東京に本社を置くシステムエンジニアの会社であった。

第一種、第2種と情報処理の国家試験を合格していたことが効いて
とんとん拍子で社長面接まで行った。

社長面接のとき、この社長ではダメだと直感したが、
年も押し迫っていたため、内定をお断りしなかった。

なぜ、東京にこだわったのか。
いままでの経緯から、地元に対して不信感しかないためだ。

また、
予言されていない職に就くことで、
やはり未来は不確定的であり、
個人の自由な意思によって選んでいけるのだと、
信じ直すことができるはずだった。

つまり、
自分の人生に対する信頼感を取り戻すという意味合いがあったのである。

ところがである。
やはり道は塞がっているのだった。

本投稿はこれまで。
ではまた。







2026/03/08 7:54:26|その他
第15話 株を買わなかった。
大学時代の話である。

私は1995年に大学に入学した。
Windows95が販売された年だ。

マッキントッシュは、OSのシェアを著しく下げていた。
アップルは存亡の危機であると、噂されていた。

もちろん、周りの学生も同意見だった。
しかし、私だけが見方が違った。

アップルは、ハードウェアとソフトウェアを組み合わせて
まったく新しい製品を作ることができるのがつよみなはず。

そんな仮説を持ちながら、普段読まないマックファンという雑誌を
本屋で立ち読みした。

すると、スティーブジョブズが復帰してくるのがわかった。
そして、新製品を投入することも知った。

アップルは復活する。ジョブズが帰ってくるからだ。

それが私の結論になった。

そのときである。

頭の中で、3億円を手に入れることについての打診があった。

3億円と言う数字は、サラリーマンが40年勤めあげて
成し遂げることができる稼ぎであることの認識はあった。

当時の私は、働いて手に入れることができるものだと、たかをくくっていた。
だから、頭の中の申し出を断ってしまった。

やはり、根拠の薄い自信からの愚かな判断により退けたということだ。
若いとはたいがい愚かなものである。

そのお知らせの中身はおそらく次のようなものだった。
簡単に言えば、アップルの株を買え、ということだ。
50万円なり100万円分ぐらい買え、ということだ。

ところで、その当時、その金額で購入していたらいくらになっていたか。
3億円とか4億円になっていた。

人生、一気にイージーモードになるところであった。

ところが、

ハードモードの人生が魂の成長を促すだろうとずっと勘違いしていた私は、
ここでも甘い申し出に飛び付くことができなかった。

とっとと生活費の問題は解決して
好きなことをして暮らすべきだった、と今にして思う。

大きな金は若いときに掴んでいてこそ、価値があるのだ。

ということで、アップルの株を買わなかった。
もっとも、その当時、株を購入できた時代だったのかよくわからない。

本投稿は以上。
ではまた。
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2026/03/07 7:49:00|その他
第14話 大学に進学することに。
さて、

すっかり捨て鉢になり
大学に行くのはやめて、
専門学校の門を叩くことにした。

宇都宮にある専門学校である。
東武線を使えば自宅から通うことができる。

すでに通算で2浪しているので
専門学校に2年通っても、卒業時は22才である。
そんなことも考慮していた。

ところがである。
その年にその専門学校は4年大学併修コースを新設していた。

まだ、募集中である。
親父が飛び付いてしまった。

高校受験レベルの入学試験を受けて、無事に合格する。
晴れて大学生となった。

本学は神奈川県にある。
神奈川県だが、それほど開けてはいなさそうなところだ。

そのため、本学に移籍することもできたのだが
結局、4年間、宇都宮に通うことになった。
そのため、宇都宮分校の卒業生ということになる。

実質的には通信制の大学を卒業したようなものだったが
昼間制の大学の卒業証書を手にいれるために通ってしまった。

今にして思えば、通信制を選ぶべきであった。
通信制であっても、学歴としては学士に違いないのだった。

そして、私に学歴はほとんど必要がなかった。
中途半端な学歴は、通用しない時代でもあった。

経営情報学部経営情報学科を卒業した。

後に行政書士になる私にとっては適切な学部選択である。
当時の私にとっては、そんなことは知る余地がない。

どうやら行政書士になることは、
人生の予定に組み込まれていたらしい。

他の道へ行くことが実質的に閉ざされ、
予定の実現が半ば強制された形となった。

私の表面的な意思は、無意味なのである。
歩くことになっている道に戻されるのだ。

行政書士の資格は確かに、ライスワークとしては適切な選択であった。
食っていくためだけなら、解決したようなものだった。

就職氷河期世代ど真ん中に生まれた私にとって
この資格は、雨宿りのためのささやかな軒先となっていたのである。