幕張には仕事を発注した企業があった。
実機やテストマシンも発注企業が所有していて 仕事を遂行するには毎日のように通う必要があった。
そのため、程近くにオフィスを構えたのである。 そのオフィスは弊社が賃借する形になっていた。 仕事を受注するためのにはのむ必要のある条件だったのだろう。
その中に、元請けと下請け三者が入っていた。 元請けは、当時、最大手電機メーカーの子会社である。 弊社はその下請けだったので、いわゆる二次下請けである。
契約上は、一括請負である。 だが、実際は偽装請負という形態だ。
元請けの課長が4、5人の主任を使って、 下請けの従業員に指示を出していたのだから。
配属されたのは6月だった。 だから6月頃の話なのだろう。
従業員一人づつ、課長に呼び出された。 個別面接である。
課長は、態度や風貌からすれば、暴力団員にみえた。 もちろん、そんなことはない。 若さゆえの世間知らずである。
そんな風体の人に「かわいげがない」と一蹴されて、 すっかり萎縮してしまった。
萎縮しただけならそれは問題ない。 本題はここからである。
面目を潰されたと感じた第一人格が遁走してしまった。 後ろに隠れていた第二人格が遁走した第一人格の代理を始めることになった。
明らかにおかしなことがおきたのだが、周りは気がつかなかった。
なぜなら、私がそもそもどんな人格だったのかを知らないのだから 人格が大きく変化したことについて、違和感を得るすべがなかったのである。
また、精神分析に興味がありユング心理学に触れていた私には、 これが医学的に正常ではないということに、むしろ思い至らなかった。
まさに生兵法は大ケガのもとだ。
ところで、人格が複数あることは、このことがきっかけになったわけではない。 そして、人格が複数あることが即、障害として扱われるわけでもない。
こうして、 私は自分の独特な個性のあり方について、 自覚的にならざるを得なかったのである。 |