一口にフェミニズムといっても、全く業界の意思統一がなされていないので、個別撃破するしかありません。 今回は、自由論者の主張を検討します。 ところで、「自由」と「平等」とは互いに矛盾する関係にあるということは、どうやら確からしいです。 したがって、自由論者は、二者択一で平等を捨てていることになります。これは、平等を選択するよりは賢い戦略です。 というのは、「一般的抽象的な男」や「一般的抽象的な女」は存在しないことから、男女平等は空疎(ナンセンス)なスローガンになっていることに、この人たちは気がついているからです。現実に存在するのは、個別具体的な生(=性)だけですから、個別具体的な存在者ともう一方の個別具体的な存在者とを比べられるなら、比べるということです。比べられるとするのが、自由主義者の主張です。なぜなら人と人とを比べられるかどうかは甚だ疑問だとすれば、、互いに異質な存在者であることを相互に認めることに繋がり、結局、皆平等だというう主張となって、自由と平等は両立しないとする前提に反します。 したがって、自由論者は、人に上下の別をつけていることになります。上下の別があるとすれば、上のものが下のものを支配するのか、下の者が上の者を支配するのか、上の者が下の者と対等な関係になるのかの区別しかなくなります。 上の者と下の者との対等な関係は、実践的には、上の者の配慮による結果に他なりませんので、上の者が下の者を支配する形の一種です。したがって、上の者が下の者を支配することと、下の者が上の者を支配することしか残りません。どちらの選択も甲乙つけがたいので、上の者と下の者が互いにエゴに基づく選択をすると、ケンカが絶えなくなります。 したがって、平和をもたらすためには、片方が従属する必要があるようです。言い換えると、片方に身をゆだねること、が必要です。身をゆだねられるかどうかは、お互いに高度な信頼関係があるかどうかが条件になることは理解できるでしょう。 支配従属関係が、すなわち不幸であるとするのは、アナーキストに似た妄信です。結局は、二人が高度に信頼関係を築くことが出来ていれば、支配従属関係であろうとそうでなかろうと、幸福には関係がないのです。
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