石本さんが亡くなったのを本日知ることになり 追悼の意を示すため、ブログを投稿することにします。
今日は、石本さんについて語ろう、という会があり 私も詳しい事情は把握せずに参加しました。 会場は、市民活動センターくららの市民活動室のひとつでした。 市長も公人としてではなく、お仲間として参加されていました。
私は遅れて到着しました。 石本さん本人がいないことに気がつきましたが 察しが悪い私は、これはあとから登場するということなのだろうと 思っていました。
時間がたってもなかなか出てこないので 机におかれた資料に目を通して、ああ、闘病してるんだと思い、 そんなに重病ならお見舞いにうかがわないといけないな、と思っていました。
ところが、会も終わりになろうとした頃、 会場のお一人が、これが石本さんからの最期のメールになりましたと、 紹介しました。
その言葉でようやく事態を把握できた次第です。
そういえば、 フェイスブックに近況が上がってないな、と気がついていたのですが、 石本さんがそんな重要な事態に直面していることに対して、 私の勘が働いていませんでした。
一次会は終わり、あとは二次会で酒を酌み交わしながら、 という流れになったのですが、私は、お暇しました。
10月14日に亡くなったそうです。数えで70才だったそうです。 帰り際に確認させていただきました。
石本さんというと流木鉛筆が晩年の代名詞でした。 「鶴瓶に乾杯」に出演したことがあります。
くららの利用者協議会の最初期のメンバーの一人で、 私とはそれ以来の知り合いでありました。
しかし、くだらない思出話はここでは控えることにしましょう。
最期の仕事として、 障がい者の工賃向上のために流木鉛筆の製作を活かそうとしていたことを 知りました。
記憶が薄いですが、この根本のアイデアは、私が石本さんに話したことが あったかもしれません。
石本さんから生前にこの計画についての話を聞くことはありませんでしたが 死後、目の前に資料のひとつとして、置かれているのでした。
なかなか粋なことをしてくださいましたね。
毎日、なんでもない日がどんどん過ぎ去っていく中、 でもやっぱりこの日は特別だな、という日は訪れるもので・・・。
善き大人の手本を示してもらったと、感謝するばかりです。
心からお悔やみ申し上げます。
ありがとうございました。
追伸
下野新聞社の記者が取材に来ていました。 新聞をご覧いただけると幸いです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。 |