久しぶりの投稿です。
エジソンは99%の努力は1%のひらめきに勝てない、と言いました。
その通りだと思います。
日本人は、努力すれば、なんでもできるようになると思いがちです。
こうした信念は、単なる間違いであるばかりでなく、危険でもあります。
才能も努力もベクトルで表現できるとするならば、
自分の才能の方向に合わせて、努力する方向を合わせることが、
まずは、肝心です。
ベクトルの方向が合っていればこそ、才能を伸ばすことができ、
努力すればするだけ早く、社会的有用性を獲得できるのです。
ベクトルが真逆の努力をしていれば、才能が開花するのが遅れるだけ。
では、
どうしたらその分野の才能があるかないかを推し量ることができるのか?
おそらく、それは「どの分野で探求心を発揮できるか?」に尽きるでしょう。
以下の例示は、最高レベルの才能です。
解釈の指針と条文を与えられさえすれば、ある程度、妥当な規範定立
ができてしまうような人なら、難関な司法試験でも楽勝なはずです。
基本的な仕分けのルールを知っていて、個別の会計的な事象を与えられたなら
独力で適切な仕分けを考案できるなら、会計の分野では、才能がありますね。
定義だけを与えられれば、成り立つ定理を次から次へと見つけ出せてしまう
なら、それは、数学の才能があるといえます。
駒の動かし方を覚えただけで、対戦を楽しめてしまうなら、
それは、将棋の天才です。
基本的なルールだけを覚えただけで、
その分野で成り立つ法則を次々と発見できるような人は、天才です。
学んで天才と肩を並べるくらいのことができるようになったら、秀才です。
天才は努力を必要としません。
秀才は、わずかな努力しか必要としません。
秀才は、天才を模倣してなんとか天才に近づきます。
ただ、それだけのことです。
このように独力で探求することができる分野であれば、
その分野では才能があるのです。
努力しても身につかないから、その分野では、全く才能がないのです。
あらゆる分野で才能を発揮できる人もいるかもしれませんが、
おそらく、ある程度、才能のある分野で努力をした人は、その成果を
分野横断的に発揮できる可能性があります。
であれば、才能のない分野では決して努力せず、
才能がある分野で努力したほうが、良いのです。
結論としては、短所は諦めて受容し、長所を伸ばすことに専心すること。
これに尽きる気がします。
以上です。
|