花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/10/29 7:37:40|その他
田中正造 愛


 正造が書いた「愛」の一文字は、
彼が生まれた佐野市の郷土博物館の
パンフレットに説明があります。

 明治33年(1900年)官憲の不当弾圧
「川俣事件」でけがをした農家の人に、ケガを
証拠として残すよう説得した手紙の中に
「愛」と書いた半紙が、同封されていました。

 毒流すわるさやめすハ我止ます
渡らせ利ねニ血を流すとも(写真)
ケガをした農家の人へ、義兄と書いて
おくった正造の決意です。

 「愛」と歌の内容は、正造の非暴力と、
結びつきませんが、川俣事件をきっかけに
正造が好んで「愛」と書くようになり、この一文字が、
正造の生涯を貫きました。喝

 旧題名「闘いの愛」2012年5・11日、里便り再掲
 







2021/10/28 10:14:06|その他
窮屈に責めるな
 
 「窮屈に正造を責むるなかれよ。
鉱毒は社会問題なり。国家問題なり。
故に政党を辞したり。尚且ッ議員を
辞して社会と国家ニ対するに弥以て
私心の誤り少なきは公明ニせり。」
 
 明治35年7月29日、田中正造が
甥の原田定助に当てた手紙です。
定助は正造の妹リンの長男。
 
 川俣事件裁判、正造大欠伸、一審無罪、
控訴審で有罪、4回目の服役出所後、挨拶状、
その隣、田中正造全集所載。
 
 「宗教の争へと政党の争への中に葬る
なかれ。其誹りあらバ御弁護被下度候。」
甥に宛てた手紙、感動、冒頭部分、
オスソワケします。喝
 







2021/10/27 11:56:56|その他
 田中正造の大欠伸
 なぜ田中正造は法廷で大アクビ
したのか。
 
 検事の論告中であった。と、
正造が突然あたりかまわず
両腕を伸ばし、口を開いて
大欠伸をし始めたのである。
 
 K・ストロング著、田中正造伝。
引用、本書注、
 ここまでは被告の一人の目撃談で
ある。別の人物の話では、(真偽未確認)
正造が検事に向かって人間としてなんで
そんな馬鹿げたことが言えるのかっ。
 
 K・ストロングさんは、正造の叫びを
1970年代、西洋の左翼活動家が
「ナンセンス!」と言って異議を唱えた
流儀に似ている(注)。喝
 
 
 







2021/10/26 9:23:51|その他
投獄5回 田中正造は前科者か
 川俣事件の裁判で有名な
「大アクビ罪?」をきっかけに
田中正造生涯5回のムショ暮らし、
振り返っています。
 
 冤罪の上司殺人事件、目の上の
タンコブと狙われた加波山事件、
官吏を怒鳴りつけた犯人?
 
 この世に自己罪と他人罪があれば〜
つまりカネが欲しい、アイツが憎らしい
から凶行に?!自分の欲望か人の為か。
 
 田中正造5回のムショ暮らし、
何を以て伝えるか。喝
 
 
 







2021/10/25 13:29:53|その他
川俣事件に学ぶ
 蔵の街図書館からお借りした
田中正造全集で、詳しく知りたいと
思っていた川俣事件、永島与八の
人物略歴を見つけました。
 
 我が敬愛するK・ストロング著
田中正造伝にマゴビキを起こさせた
「鉱毒事件の真相と田中正造翁」の
著者で、川俣事件関係者です。
 
 永島の著書は、川俣事件後、40年たって
書かれたもので故布川了氏が事実誤認を
指摘訂正しています。
 
 今回、人物略歴から、鉱毒悲歌の
作詞者の一人で、キリスト教の洗礼を
受け、裁判官おも、感化した!
改めて知りました。喝