花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/09/05 10:53:16|その他
公害の原点 渡良瀬の四季〜二人の翁〜
 
 田中正造翁は、大正二年(1913)
「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」の著者
庭田源八翁宅を訪ねた先で、亡くなり
ました。73歳でした。
 
 正造翁は、足尾鉱毒事件資金カンパから、
谷中村へ帰る途中、立ち寄った庭田さん宅で、
父子共に留守、案内された新宅の庭田清四郎さん
方で倒れ、病臥に伏しました。
 
 庭田源八さんについて、当時の毎日新聞、
明治三十年(1879)4.15日、鉱毒地巡見碌で
庭田家の鉱毒被害状況を伝えています。
 
 人も羨むほどの「物持ち」だった庭田家が
昨秋の出水、鉱毒侵入、田畑、荒蕪、窮落貧困!
足尾鉱毒事件を挟んだ二人の翁の絆を〜。喝
 
 







2021/09/04 14:39:18|その他
公害の原点 その流れ
  田中正造「回想断片三七」
「県令藤川為親は去る(明治)」十三年より
渡良瀬川の魚を食すべからずと令達せしより
三年、洪水出る毎に必ず令したり」
 
 「断片四二」
 「渡良瀬川の魚は毒の為に死して流る、
県令にも、衛生被害の大切なるに心付かずして」
 
 「断片四三」
 「明治十三年藤川県令大いに鉱毒の害を唱ふ。
正造は県会議員たり。毎年河川沿岸を巡回、
生命の貴重な問題軽視、鉱毒の加害発見せず」
 
 明治三十一年(1898)「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」
 「人々きう〜〜として、財産を失ふは生命を失ふ
どうり。諸君希くは、庭田源八宅へ。一切に付
御べんめい致し升。
 
 著者、庭田源八、当六十歳。田中正造、五十八歳、
国会議員。
 
 明治二十四年から三十四年に至るこの十年の間、
この人は、衆議院の壇上で「足尾鉱毒事件」と云うふ
ものを叫んだ。

 (木下尚江著、政治の破産者、田中正造)
 
 
 







2021/09/03 9:41:44|その他
公害の原点 渡良瀬の動植物
 庭田源八著「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」で
鉱毒被害を証言している「生きとし生けるもの」
今回は、動植物リストです。
 
 「動物」
 亀。蝦蟇(がま、ひきがえる)
 
 「植物」
 こうほね、柳,蕗、くこ、蓬(よもぎ)菰(こも)
菱(ひし)ぬか菱、鬼菱、角菱。じゅんさい。
 
 「蛇」
 山かがし、しま蛇,地もぐり、青だいしょう、
かなめ、ま虫。
 
 (表記は、原文のママです)
 







2021/09/02 9:33:44|その他
公害の原点 生きとし生けるもの
 
 庭田源八著「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」で
鉱毒被害を証言している「生きとし生けるもの」
中間リストアップです。
 
 「鳥」
 雀、鳩,鶺鴒(せきれい)鶯(うぐいす)
喚子鳥(よぶこどり)=閑古鳥(かんこどり))
 
 「獣」
 獺(かわうそ)
 
 「虫」
 どんぶ虫、蜘蛛(くも)蟷螂(とうろう、かまきり)
松虫、螢(ほたる)源五郎虫、庭虫、蓑虫(みのむし)
ㇳッコ、
 
 「魚」
 鮒(ふな)鯉(こい)鰻(うなぎ)ハヤ、から海老、
鱸(すずき)鰆(さわら)
 







2021/09/01 9:14:10|その他
公害の原点 渡良瀬の四季〜ばか釣り〜
 「ばか釣り」庭田さんが「被害実記」
清明三月の節で紹介しています。
 
 「そろ〜〜そろ〜〜と(魚)引きよせ
水浮かせすくだ網を以て救い上げ(掬う)
これをばか釣りと申ました。
 
 ばかにされた魚は「鰆」(さわら))
海なし栃木県に海の魚?
 
 只今では渡良瀬川鉱毒土砂沈殿し、〜
ばか釣抔と申しました明治十七八年頃
迄にて、更に釣りは御座りません。