花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2022/01/24 14:41:07|その他
田中正造 烏天狗

 田中正造サンが、谷中村に暮らした
当時の道路は、雨が降ると田んぼの泥濘、
下駄のハの間に泥が詰まって、歩くのに
難儀しました。

 そこで田中さんは、今、地元の資料館に
遺っている一本バの高下駄を考え、特別に
作って貰いました。

 ところがヌカルミを歩くには便利でも
立ち止まった時にフラフラ、地下足袋に
変えました。

 それなら話が分かります。田中さんの
カラス天狗スタイルは、ショウゾウ!?
出来ません。史実と違う!?喝
 
2012年7.3 里便り再掲。
参考文献「田中正造翁余禄」島田宗三







2022/01/23 14:00:23|その他
歓迎 蔵の街市長選挙
 4月10日告示、17日投票の
蔵の街市長選挙に、現職に続いて、
新人で、田中正造ゆかりの「谷中村の
遺跡を守る会」会長が立候補を表明
しました。
 
 「遺跡を守る会」は遺跡の保存と
田中正造の啓蒙普及活動を続けており
新人候補は谷中村と間に赤麻沼を挟んだ
隣村の生まれです。
 
 今回、会長を務める「クリーンな栃木市を
つくる会」を中心に目指していた候補者擁立が
不調に終わり、自身出馬します。
 
 出馬表明に当たって「歴史的、文化的に異なる
地域の豊かな特質を生かした街づくりを目指す」と
述べています。喝
 







2022/01/22 12:59:19|その他
田中正造 山と川との共生年譜A
 明治34年(1901)辛丑 61歳
10.23 衆議院議員を辞職。
12.10 直訴
 
 明治37年(1904)甲辰 64歳
7.30 谷中村に入る。

 田中正造、谷中村でやったこと、
やろうとしたことは、二つ。
一つは、川の流れの特質調査。
もう一つは、調査で得た「山川の妙理」
(正造の造語)自然と共に生きる悦びを
人々に知ってもらうこと。

 明治39年(1906)宇都宮で「治水と人権」演説。
栃木県会治水問題意見書作成関与。
 明治40年「水害・地勢・水勢・風波論」演説。
四県治水有志交換仮事務所設置。等々。喝
 
 







2022/01/21 15:25:00|その他
田中正造 山と川の共生年譜
 明治34年(1901)辛丑 61歳
10.23 衆議院議員を辞職。
12.10 直訴
 
 東京ノ北40里ニシテ足尾銅山アリ。
<加フルに>此年山林ヲ濫伐シ〜
水源ヲ赤土と為セルが故ニ
 
 明治37年(1904)甲辰 64歳
7.30 谷中村に入る。
 
 明治43年(1910)庚戌 70歳
8.10〜11 関東大洪水。
 
 この水害が直接の契機となって、正造は
自分の余生を、谷中の日々の問題に煩わされ
ない時間の限りを「治山治水」の問題にあてよう
と決心する。
 







2022/01/20 12:45:09|その他
地球環境の先覚・先駆者 田中正造
 1911年(明治44)11月、
正造の後援のもとに「下野治水
要道会」という名の組織が設立
される。
 
 新しい組織は東京及び五つの県で
死活にかかわる川の問題を、自分たちの手で
解決していこうとした。
 
 特筆に値するほっどの成果は
あげられなかった。正造の考え方を
支持したのはほんの一握りであり、
正造のひたむきの活力までは
持ち合わせていなかった。
 
 今少しの思慮があれば、正造が
時代遅れどころか時代の先々を見越して
いたことがわかった筈であるが〜
              喝
 
 「引用」
 K・ストロング著「田中正造伝」要旨。