花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2022/02/25 14:22:48|その他
正造翁を支えたことば
 田中正造、
明治4年(1871)31歳、江刺の獄で
「天は自ら助くる者を助く」を学ぶ。
(西国立志編、自助論)
 
明治38年(1905)65歳、谷中短信で、
「天は自助の者を助くるの言」村民、村を
自ら守る。(感動)
 
 「江差の獄」正造「回想断片」30
翻訳書ニ付政治経済の二課を独学す。
傍ら少年の頃より訥ニシテ(訥弁、吃音)
人ト語ルコト言語口角アリ、喧嘩の如シ。
 
 之レニ窮スルガ故ニ西国立志編ノ文章ㇵ
中村敬宇(正直)氏ノ訳書ニテ舌頭ニ乗リ易キヲ
覚ヒ、茲に舌頭練磨殆ンド一年半。喝
(メデタシ、メデタシ)
 
 
 







2022/02/24 10:40:27|その他
田中正造 三つ子の魂
 谷中短信、明治38年(1905)毎日新聞、
●「天は自助の者を助くるの言」(田中正造報)
正造翁の説く「言」とは、言の原点は〜
 
 明治3年(1870)田中正造、30歳、
勧められ、江刺県(岩手県)付属捕となり
県掌兼玄関番となる。翌年6月、上司暗殺
犯人の濡れ衣を着せられ、3年近く服役。
 
 「回想断片」(田中正造)
翌6年(明治)監獄則ノ制出ヅ(略)書籍
自在ニ差入レヲ許ルス。
 
 翻訳書ニ付政治経済の二課を独学す。
「言」の原点はこの中に秘められています。喝
 







2022/02/23 9:26:53|その他
正造翁の谷中短信〜村民を水中に住ましめ〜
 
 毎日新聞、明治38年(1905)2.20
●谷中短信
 
 谷中村民は、縣廳(栃木)が堤防を
築かず、村民をして水中に住ましめ、
其結果全村を買収せんとする無情に
憤激し、
 
 自衛の必要上、各自堤防修築の役を
収らん〈取るカ〉と決し、(略)
 
 此決心を聞ける地續きの隣村(略)河を
隔つる埼玉、茨城の諸村は、人夫を出して
谷中村の工事を助くべし、
 
 人民に自立の気象あれば、汚吏暴人の為に、
滅亡せず、天は自助の者を助くるの言、目前に
證據立てられんとす(田中正造報)
 
 







2022/02/22 8:34:28|その他
正造翁の谷中短信〜誰か潸然として涙を
 毎日新聞、明治38年(1905)2.5
谷中短信●其六
 
 谷中村は沃壌肥土の堆積せる置土より
成れり、古来出水せば肥料山より流れ来るが
故に豊年の兆しなりとて悦びたる村なり、
 
 現今荒れたりと雖(いえども)其原を
治めば回復の見込みあり、
 
 然るに(略)但前郡長安生、古河の運動者
古澤等は、金を困窮せる被害民に貸して安く
田地を奪ひたれば、
 
 祖先傳来の田畠と小作権を失ひ、家屋を
失ひ天涯浮浪の遊民とならん、〜誰か潸然(さんぜん)
として涙を出さゞらんや(正造報)
 
 







2022/02/21 9:33:10|その他
正造翁の谷中短信 其五
毎日新聞、明治38年(1905)2月。
 
 ●谷中短信の五 鑛毒の流失河底の
高昂より、修築費年々増加したるも
尚ほ三萬円乃至五萬円を出せば浸水を
防ぐに足る
 
 然るに土木官吏と村中の悪徒は、故意に
修築を遷延して、三ヶ年間引続き浸水せしめ
 
 村民耐えざるを機會として買収を決行せん
とす、(略)三千石の一村を潰さんとす、
 
 其損害乱暴言語にたへたり(正造報)