花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/11/03 12:40:56|その他
田中正造 議員辞職から直訴の間に
 1901年(明治34)10月
正造は、正式に衆議院議員を
辞職した。
 
 だが、正造があの極めて大胆な
最後の抗議行動を起こすのは、まだ
それから二ヵ月も先の話である。
 (K・ストロング著 田中正造伝)
 
議員辞職願 明治34年10月23日
 辞職御願
              私儀
今般都合に依り己を得ず衆議院議員を
辞退仕度御願申上候也
 
 同日、再考セヨトノ御下命ニ再考スベキ程の
モノニ無之候 議員 田中正造 [自筆 和紙2枚]
 
  
 
 







2021/11/02 9:45:05|その他
鉱毒証言 大雪十一月渡良瀬
 大雪十一月の節に至りますと、
大根や牛蒡や葱抔が多く取れました。
 
 此芋抔、道路の端抔に穴を掘り〜
馬附五駄も六下駄もその穴に入れ
是に麦種を蒔入れ〜来春に青々と
はいまして〜。
 
 処が、只今に至りましては、
鉱毒被害のため芋がとれませんから、
少も何所歩行ましても(芋塚?)
御座りません。喝
 
 
 







2021/11/01 8:36:51|その他
筆占い

 田中正造が書く、正造の
造のシンニュウ(之)は、
美しく、勢いと味があります。

 田中正造遺墨展(佐野市)で観た
正造の造のシンニュウは、そのまま長く
ハシッテいました。

 生家にある「愛」の正造、造の
シンニュウは、穏やかで、上に
向かっています。

 文は人なり、書は人を表す。
正造死して、百年後の今は?
 
 2012年5・11 里便り再掲。  
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2021/10/31 11:56:33|その他
田中正造 息の長い話
 不幸此40日(大欠伸、服役)ㇵ
短きに似て短からず、「明治35年(1902)
書簡」獄より出て見れば世上の事少しも分り
不申候。
 
 田中正造も、三日見ぬまのサクラかな。
一瞬、そう受け止めました。
 
 正造研究者、赤上剛氏の「正造は何回
投獄されたか」を参考に正造が服役した
刑期の計算始めました。
 
 途中、正造は入獄中、「新約聖書」を
じっくり読むことが出来た。1913年、
田中正造の回想日記紹介が!田中正造 
監獄大学論の由縁です。喝
 
 
 







2021/10/30 10:39:05|その他
 田中正造 大欠伸
 明治35年(1902)6・13(書簡)
人生会計法。
入るとき入ると付けべし当座帳出れバ
いづれでたとしるさん
 
 アクビ事件に付、大刑に触れて檻ニ
行くとき。
 
 明治33年11・28
川俣事件公判、検事論告中、大欠伸、
 
 明治34年、
田中正造、61歳、議員辞職決意。
 
 同年5月29日
本日(大欠伸)無罪ニ候。判事ノ
正当ナルヲ御誉メ被下度候。
 
 明治34年10・23日
田中正造、衆議院議員、辞職。
 
 明治35年5・11
然バ小生義(田中正造)去九日有罪
一ヶ月と十日と五円、
 
 明治35年㋅〜㋆
巣鴨監獄に服役。
 
 不幸此40日ㇵ短きに似て
短からず、