花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/09/16 10:37:54|その他
公害の原点 東京押し出しの回数は
 郷土出身、田中正造翁の業績、
人となりを世に伝えたい、学者
諸先輩の研究書、資料を参考に
引用しています。
 
 気を付けることは「マゴビキ」です。
情報を確認ぜず、誤ったまま引用する
危険です。
 
 「公害の原点 東京押し出し」で、
「マゴビキ」の危険にぶつかりました。
 
 押し出しの回数が、片や4回、こなた
5回、関係者は、一方の記憶違いで
カタズケヨウトシテいます。承知デキマセン。
ドッチがホント、お互いの信用、信頼それに
名誉にカカワル大きな問題、なぜ!?
調べます。喝
 
 







2021/09/14 9:20:47|その他
閑話休題
 蔵の街図書館コロナで
今月末まで、休館、再延長です。
 
 新たにお願いした図書の
宅配制度、光輝高齢者向け?
宅配は、来月の11日以降に〜、
電話連絡がありました。
 
 制度の初利用は、田中正造全集
第14巻〜第17巻、正造翁の書簡集。
約四千八百通。
 
 今日は、午前中、リハビリ、病院へ
出かけます。喝
 
 
 
 







2021/09/13 10:28:08|その他
公害の原点 鉱毒拡散
 その(鉱毒拡散)原因の一端は、
古河が足尾の上方の山の斜面の林を
切り取ってしまった結果、
(少雨でも洪水発生)
 
 明治24年(1891)
 田中正造、第2回帝国議会で
足尾銅山鉱毒被害について初質問。
鉱業停止を要求。
 
 明治25年(1892)
足尾銅山周辺の驚くべき荒廃ぶり。
濫伐、亜硫酸ガス、野火による
裸地化、栃木県の「山林巡回日誌」に
記録される。
 
 状況は悪化したのである。粉鉱採取器を
使っても、川に投棄された有毒な岩石の
量を減らすことが全くできなかった事実、
 
(いくら下野の農民が気が小さいと
いっても)喝
 
「引用」
K・ストロング著、田中正造伝
佐野市郷土博物館、田中正造と
足尾鉱毒事件(詳細年表)
 







2021/09/12 9:25:30|その他
公害の原点 足尾鉱毒事件
 明治18年(1885)
栃木県足尾村赤倉、松木等の農作物に
被害。6か村共同で知事へ請願の準備。
 
 明治19年、
田中正造(46)栃木県会議長。
 
 明治21年(1888)
足尾村松木で桑樹、煙害(亜硫酸ガス)により
全滅。
 
 翌年
足尾村松木で足尾銅山の煙害により養蚕廃止。
現金収入の道途絶。農作被害も激増。
 
 明治23年(1890)
田仲正造(50)第1回衆議院議員選挙に当選。
以後6回連続当選。

「引用」
佐野市郷土博物館
田中正造と足尾鉱毒事件(詳細年表)
 







2021/09/11 10:26:04|その他
鉱毒の田中代議士 登壇
「議院法には、直ちに答弁するか、
出来なければ出来ない理由を明示すと
云ふことがある。出来なければ出来ないで
宜しい」
 
 「予算会議の為に大層議論が忙しい様に
思ひましたから、その間を得て答弁を致し
ませうと思ひました。或は明日にでも〜。
 
 第二回議会、召集明治二四年一一月二一日
足尾銅山鉱毒の儀につき質問書、質問の大要
(帝国憲法)日本臣民ㇵ其所有権ヲ侵サルヽコト
ナシトアリ、答弁アランコトヲ〜。
 
 詭弁の勇者陸奥(宗光)は避けて遂に答えな
かった。議会解散。答弁書は、官報附録へ。
「被害あるは事実なれども、被害の原因
確実ならず。」

「引用」
木下尚江著、政治の破産者 田中正造