花ど真ん中の里便り
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2021/09/20 9:32:06|
その他
人間 田中正造ノート 2012年2月24日再掲
田中 正造、身の丈五尺二寸、ズングリムッツリ、×イチ、少女、カツ、スラリとした美人、利発。ソコニ、正造目をつけー、ソシテ、カツ、男正造に魅力を感じ −ソコデ、自分から進んで、正造の背負うカゴに、身を潜めー正造時代劇、道行一幕の始まりでした。
二人の結婚が手間取ったのは、正造がダレカレの差別無く、付き合っていたことに、不安を感じたカツの両親が、そんな男に娘はヤレヌ!親の思いです。
アナタ!足尾鉱毒事件と福島原発事故が同じ時代と人々が認識し始めている今、週刊誌的興味を持って遊んでいるようでは、正造の本質はつかめませんよ!
温故知新、故き何を温ねて、新しき何を知るかが分からないから多くの人を訪ねて、話を聞いているんです。元週刊誌記者の弁明でした。マタオイデ。今日は、昭和四十八年、足尾銅山が閉山した日です。
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2021/09/19 11:36:21|
その他
キョウトはシュウかショウか
漢字で書くと
「シュウ」は「兇徒聚衆罪」
「ショウ」は「兇徒嘯集罪」デス。
田中正造、鉱毒国会で、
「兇徒嘯集などと大層な事を
言ふなら(略)(田中を)拘引して
調べないのか」
4回目押し出し(川俣事件)で
逮捕された被害農民が「兇徒聚衆罪」で
起訴された。アレ、同じ事件の話なのに〜
話は飛んで、
「足尾鉱毒兇徒嘯衆事件の公判記録は
あるか」
「足尾銅山鉱毒被害請願人兇徒嘯聚公判
始末書アリマス」栃木県立図書館。
(三連休、明けたら、イソガシイかな)喝
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2021/09/18 10:35:31|
その他
「この」押し出しは架空、マゴビキお詫び訂正
押し出し回数5回の根拠に
挙げた正造は「この」(三回目)
押し出しには加わらなかった。
実は「この」(3回目)押し出しは、
実際はなく、原著者の錯誤、記述は架空。
引用はマゴビキ!後世の研究者がウソと
検証済みデシタ。
マサカ、アリもしない話を、そんな
ハズは〜!誤った先入観が、マゴビキと
知らず、迷走した原因、デシタ。
歴史上の人物については、いつも
マゴビキ、ヤシャゴビキ?の危険に
晒されてイマス。ネバーギブアップ!喝
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2021/09/18 8:29:15|
その他
公害の原点 東京押し出し
飲料水が飲料水が鉱毒に置かされ、眼病を
誘発したために、女たちが(家計を支える)
針仕事が、〜。小舟で遠くまで真水を
桶一杯汲みに行く奇妙な光景も〜。
従順な下野の農民の少なくとも一部分は
堪忍袋の緒が切れ、行動を起こした。
足尾鉱毒問題にとって、鉱毒被害民の
東京押し出し(大挙上京請願運動)は
特に重要なできごとである。(松浦茂樹)
明治30年(1897)
03/02=第1回大挙押し出し。(足尾被害農民
03/23=第2回大挙押し出し。
明治31年(1898)
09/26=第3回大挙押し出し。
明治33年(1900)
02/13=第4回大挙押し出し。
「川俣事件」
佐野市郷土博物館、田中正造と
足尾鉱毒事件(詳細年表)
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2021/09/17 12:35:26|
その他
押し出し回数は「この」違い
正造は「この」押し出しに
加わらなかった。(略)鉱毒問題を
自己宣伝避難云々を避けたかった。
ストロング著、田中正造伝によれば、
「この」は前後の文脈から(明治31年)
2月25日、首府で三度目の大規模な
押し出し〜」これが東京押し出し5回の
根拠。
一方、押し出し4回は、2月25日の
押し出しを3度目と数えるかどうか、
ストロング著では、押し出しが骨抜きに
され、注目を集めなかった。
現在、押し出しの回数は、4回が通説です。
御教示、ご指摘戴き、ありがとう御座いました。
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