花ど真ん中の里便り

栃木県は日本の花ど真ん中です。
 
2021/11/20 13:11:21|その他
半山 秋水 正造そして尚江
 直訴三羽鴉、半山、秋水、正造、そして
総括役、尚江の合わせて4人の人間関係、
その後も跡を追っています。
 
 田中正造全集10巻、日向康氏解題に
明治34年(1901)この日記の各所に、
直訴状を草した幸徳秋水の名前を見ることが
できる。と、あります。
 
 確かに7月30日の日記に、
麻布区宮村丁72、幸徳秋水の名前が〜
半山が直訴をススメたのが、6月だから〜
 
 同年10月8日、
〇 万朝、幸徳伝二(次)郎。島田氏の教。
これだけでは〜。断片を繋ぎ合わせて、喝
 







2021/11/19 8:57:53|その他
直訴状 真の願い
 今に遺る田中正造の直訴状に
「狂愚」と「至愚」二通りの表現が
あります。
 
 幸徳秋水、直訴状草稿にあった
「狂愚」を田中正造が「至愚」に訂正。
空前絶後の大珍事か、愚か者の所為か。
 
 幸徳秋水「狂愚」草稿直訴状は、通信社を
通じて新聞掲載、田中正造、手にする「至愚」
加筆訂正直訴状は、鉱毒廃絶、鉱業停止を訴え、
今に。
 
 思うに、直訴に対する正造翁と秋水の認識の
違い、世論喚起か、鉱毒事件か、「狂愚」と「至愚」
この言葉の違いが、直訴状の運命を大きく変えました。
                      喝
 
 
 







2021/11/18 10:18:29|その他
直訴ってナンダ
 来月12月10日を田中正造
「直訴の日」と捉え、直訴って
ナンダ?翁の研究書をパラパラ
メクッテいます。
 
 明治32年11月
足尾鉱毒被害民諸氏御中の檄文に
哀泣して直訴するに〜と佐倉宗五郎の
名前が〜
 
 田中正造に直訴をススメタと
みられる石川半山日記、日付は
明治34年6月8日。
 
 結論より直訴の過程、知るは楽しみ。喝
 
 「参考文献」
 広瀬順晧著 半山・秋水・正造
  ―直訴の周辺
 東海林吉郎著 足尾鉱毒事件における
直訴の位相―戦略構想としての直訴の浮上と
「石川半山日記」にみるその展開。
 







2021/11/17 12:27:55|その他
人の縁
 田中正造に直訴をススメタと
みらられる石川半山は、新聞記者、
その才能を認めた田口卯吉の推薦で
毎日新聞へ。これが、半山と正造の
出会いに。
 
 ここで、半山と正造を引き合わす
キッカケをつくった田口卯吉とは、
号は鼎軒、
 
 実は、田口卯吉、正造翁のふるさとを
走る両毛鉄道(1886)の社長、副社長が
正造の政敵木村半兵衛。
 
 当時、田中正造、栃木県議、両毛線
開通式その他の行事で、卯吉、正造は?
浅からぬ人の縁と出会い、知るは楽しみ。喝
 
 







2021/11/16 8:25:21|その他
正造サン!出番ですョ 2012年11.22 再掲
 今回、総選挙の争点の一つは、
憲法改正、日本は、右へ、大きく舵を
切ろうとしています。

 尖閣諸島国有化をキッカケに続く、
隣国の挑発に切歯扼腕!?する大人も多く、
集団的自衛権、国防軍、現実味を帯びてきました。

 先日、暴走老人が「敵を威嚇するには、核兵器云々」と
嘯いていました。昔、原発から、核兵器の開発を
狙っているとみられた時の宰相が、アメリカの
逆鱗に触れ、失脚しました。

 田中正造の言う「真の文明ハー」究極は
「真の平和ハー」です。文明論という理解で、
立ち止まることなく、地球上から
「人を殺さざるべし」と説いた正造こころの
叫びに耳を傾けて下さい!喝