ロックシップ・カンタービレ

六人家族のお父ちゃんが、自由なスタンスで日々の出来事や思った事をつづります。
 
2010/07/23 21:20:05|おでかけ
TDL�F ウェスタンリバー鉄道

軽油燃焼の蒸気圧で走るウェスタンリバー鉄道。
暑い中のボイラー燃焼の管理、ご苦労様であります。

アドベンチャーランドをぐるぐる回るだけじゃなく、これだけ本格的な鉄道なんですから、本当はもうちょっと有効な路線運行がされると良いですよねえ。



車内アナウンスの声は、かの名声優「青野武」さん。
ヤマトの真田さん、マルちゃんの初代「友蔵じいさん」や洋画の悪役の吹替えを彷彿とさせる軽快な語り口であります。
ん〜、味わい深いですねえ。





途中の駅のストラクチャー、なかなか凝っておりました。
給水タンクのホースから水がちょろちょろ漏水しているなんて憎い演出も見逃せません。





いつもは進行方向左手にはあまり気にかけないんですけれど、途中駅を過ぎてすぐ左手に目立たない側線がありました。

もしかするとこの先に本当の車両基地があるのかな?







2010/07/23 6:04:45|おでかけ
TDL�E ウエスタンリバー鉄道

夕方、ようやく家内も復調したのでウエスタンリバー鉄道に乗ってきました。
鉄っけの強い末っ子坊主には、もうジャストミートのアトラクションですね。「こっちに乗る!」「パパ、ここ!」と、2歳児が仕切りまくります。
今回はミズーリ号が来ました。グリーンのさわやかな外観です。
いかにもボールドウィンのロコっぽいスタイルですね。ボルトだらけの煙室周り、台枠前方に突き出した補強棒など…
(格好良い〜!)
コーチ(客車)は1800年代のダブルルーフを模した屋根ですが、明かり取り窓まではさすがに再現されておりません。
さすがにここまではこだわりきれなかったか…
まあ、全席側板がオープンで解放されているので、やっても意味がなかったんでしょうけれど…




連結器はウィリソン式自動連結器ですね。
ピンリンク式やネジリンク式に比べると高級なメカだと思います。どういう構造になっているのかちょっと興味湧きますね。





でも途中駅に放置されているカブースは何故か並型自動連結器…
連結できないぞ。

どっから引っ張ってきたのかなあ…わざわざ作ったのかなあ?







2010/07/20 21:57:03|鉄道について
国電の残像 JR203系
先日、慈覚大師の「入唐求法巡礼行記研究会」の中国現地調査会に参加した帰り路。
渋谷から東武伊勢崎線方面に乗継ぐのにあたり、東京メトロ半蔵門線を途中で降りて表参道から北千住まで東京メトロ千代田線を利用しました。

しかしどうして半蔵門線ってのは東武直通列車がこう少ないんでしょうね?来る列車はみんな「押上」や「清澄白河」止まり。
しかも押上を過ぎると東武伊勢崎線本線に入って北千住まで、のったらのったら急カーブの続く線路をレールをきしませて進む事になるし…

一方の千代田線はダイヤ密度は都心の地下鉄としては低いモノの、シールド工法による縦貫線の線区の強みを生かした運転速度は圧倒的に速いですね。
たとえ乗換回数が増えたとしても、これなら千代田線を利用しちゃいますよ!

千代田線でやってきた編成はJR東日本の203系。
中央線の201系のボディをアルミ化して戸袋窓を廃止した常磐快速線専用列車です。
一歩車内に踏み込むと、そこはもうふんだんに「懐かしの国鉄末期テイスト」に溢れています。
この厚めのシートクッションなどは101系以来の伝統ですよね。
(でもかなりへたっているかも…向かいに座った奥さんなどは、あまりにシートが沈み込むので「ふわっ!」っと驚いておりました)

サイリスタチョッパの制御感、加速感も秀逸で、軽いアルミの車体とマッチングは良いように感じられました。
既にJR乗入れ車は231系の増備が進み、既に207系900番代は老朽の為整理廃車済み。
老兵203系の活躍もいつまで続くのでしょうか?

でも…きっと乗っているお客さんも、電車の制御方式がGTO使用のサイリスタチョッパだろうが、励磁界磁添加制御だろうが、VVVFインバータ制御だろうが、抵抗制御だろうが構うこっちゃないんでしょうがねぇ。
203系よ、永遠なれ!







2010/07/16 23:40:00|おでかけ
アカデミックな午後 Part 2

本日16:30より国学院にて行われた「釈迦舎利蔵誌」現地調査報告会。
現地に向かわれた国学院栃木短大の酒寄教授、国学院大の鈴木教授を合わせ総勢7教授による特別な報告会を受ける事が出来ました。
しかも無料で。(^^ゞ

…下世話な話ですがこれ、まともな受講費とる講義やセミナーだったら幾ら取られたんでしょ?
(^_^;)
事務局や関係各位には大感謝ですね!

中国の洛陽東にある「大法王寺」。その舎利塔の地宮から見つかり、現在同寺の瑠璃門にはめ込まれている「石版」が今回発見され調査対象となっておりますが、良く見ると確かに「圓仁」と署名が刻まれている!

来場者へのレジュメにもその拓本がコピーされておりましたが、何とも生々しいですねえ。
飛行機、動力船、自動車、鉄道の無い1200年以上前の会昌5年に栃木出身のお坊さんが確かにこの場所に来ていた!という事自体が本当にすごい事だと思います。

しかも当時は「廃仏運動」の真っただ中。僧侶としての資格を剥奪されて、首都追放、国外追放を被った当のご本人の胸中はいかばかりであったでしょうか。
それでも当地「法王寺の仏舎利の奉納」に接して石版への書を残されたご本人の信仰への不屈の精神は悠久の時を越え、その時代を語る証拠品として現代の我々の眼前に輝いていることが本当に素晴らしいと思いました。

その石版の解釈についても数名の教授が、「実はこうではないか」、「こう読み解くべきではないか」、とご高説を述べられておりましたね。
ここはやはり今後の研究結果を楽しみに待ちたいと思いました。

たっぷり3時間半以上の報告会、閉会して会場を出ると空には半舷の月が。
既に予定時間を大幅に超過していたらしく、時刻は既に20時手前でありました。
さあ!お家に帰ろう!
家に着くのは22時過ぎだぁ。







2010/07/16 22:55:04|おでかけ
ちょっとだけアカデミックな午後

今日は午後半休を取って、往復切符を買って東武日光線に飛び乗りました。それはなぜか…「講演」を聞きに行くためです。

栃木の地元の偉人、慈覚大師 「円仁様」。
平安仏教界で密教教義等で弘法大師に水を空けられつつあった天台宗を救うべく、既に壮年の域にありながら最後の遣唐使として中国に渡られ、帰国して天台密教を修めるという偉業を成し遂げられました。

親日家で研究者でもあったライシャワー元駐日大使によって、その中国でのルポタージュ「入唐求法巡礼行記」が大々的に世界に発信・紹介され、国内でも徐々にその知名度は上がってきているものと思われます。

その「入唐求法巡礼行記」において、日記の無い空白の8日間の行動を明かすような内容で、かつ円仁様が唐にいらしていた事を証明する初の物的証拠となるような石板が発見されたという事で、その現地調査報告会を拝聴しに渋谷に出かけました。

場所は国学院、常葉松ホール。
当初校内の若木タワーで行う予定だったようですが、あまりの反響の大きさに大会場に変更したようです。

自分はさる御方のご忠言をいただいていたので「早め」に入場しておりましたが、既に凄い人出…
いや〜、道中暑かった!なかなか汗が止まりません!

その聴衆の多くはご年配の方とお見受けしました。
40代の自分はいかにも若輩であり少数派…
まあ、そんな事ぁ気にしませんけどね!

せっかく来たんだから前の方で拝聴させていただきましょ!







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