「東急電鉄」について所感 私事ですが、かつて物心ついた頃から小学生で沖縄に移り住むまで自分は目黒に住んでいたので、最寄りの「東急東横線」は非常に愛着のある鉄道でした。
特に当時走っていた東急5000系は「青がえる」と呼ばれた丸いモノコックボディの愛らしい電車でオンリーワンの個性を放っており、お出かけで乗るのが楽しみでした。現在も短縮された姿をハチ公口で見ることが出来ます。 それはそれとして、最近の話題です。
(@δ@;)東急東横線とメトロ日比谷線乗入れ中止について 先般東急東横線は渋谷の地上駅に別れをつげ地下駅となり、副都心線との相互乗入れに路線を変換することとなりました。 それと同時に長年相互乗入れをしていた「メトロ日比谷線との乗入れ」を用済みとばかりに断ち切ってしまったのです。 何だか一方的で自分勝手だな〜…という心境ですね。
(@_@;)東急・営団・東武の3社乗入れの経緯 もともと日比谷線への相互乗入れについては東急、営団、東武の3社で乗入れ区間や車両規格を立て、中目黒―北千住間の相互乗り入れとし、車両は3扉18m車に決定しています。 なぜ18m車になったかというと、当時東急は17〜18mしか運用しておらず、既に20m級大型通勤車を運用していた東武鉄道と営団が規格を合わせてしまうと東急線内では設備上走れないという事情がありました。 もっとも営団も当時は銀座線と丸ノ内線の16〜18m車の運用実績しかなかった、という理由もありましたが。 しかし昭和初期の東京地下鉄時代に東急系の東京高速鉄道が銀座線西側路線を建設し乗込んできて、事実上の乗っ取りをしかけようとしたため”しこり”が残っていた過去を考えると、この2社については上手く調整したものですね。
(T_T)ワリを食った東武 結果的に戦後より東京口の新製通勤電車は殆どを20m車としてきた東武鉄道が一番ワリを食ってしまいました。わざわざ18mにショートさせた2000系電車を新製せざるを得ず、ステンレス車体の20000系に代替わりした今でも東武鉄道ではこの線区だけが18m車で残されています。 既に営団(現メトロ)日比谷線内も18m車基準によって軌道敷設されてしまっているので、建築限界によって20m級車を乗入れ出来ない状況は今でも変わっていません。
(-_-;)調子のイイ東急 一方の東急は既に乗入れ前にセミステンレス車6000系を試作。用意周到に準備しており最終的にオールステンレス車体を実現した18mの近代的な乗入れ車7000系を完成させています。 やがて昭和40年代には他社に遅ればせながら8000系20mステンレスカーをデビューさせ、大東急の資金力にモノを言わせて新玉、田園線側から着々と運用可能線区を伸ばし、とうとう東横線も地上線は20m車で運用可能に線区改良していったのでありました。 その結果、東急東横線も20m級の大型車が常用的に運用されるようになり、それまでとは逆にだんだん18m級の1000系(営団⇒)メトロ乗入れ車が邪魔になってきたという訳です。
(^^ゞ動じないメトロ 今回東急線への直通が出来なくなったメトロの日比谷線ですが、渋谷から東急乗入れする路線を副都心線に変えただけのことで、経営的にはそれほど大きな影響はなさそうです。 当然東急に「通し乗り」する乗客の輸送割合と新線とを天秤にかけ計算ずくでしょうし。 もともと日比谷線は旧都電のジグザグの路線をトレースしていて、ルート計画も古く、実際に脱線事故まで起こした事もあるくらいカーブ曲率が厳しく、改良したところで速度が稼げるわけでもありません。 東武スカイツリーラインからの乗客は半蔵門線で吸収しつつある現在、このまま日比谷線は体質改善させず存置させ、今後の東横線との連絡は東京北西方向2社にまたがる副都心線の方が将来的にも有望と見たのでしょう。
しかし東急に振り回された営団と、さらに大きく振り回されてしまった東武は気の毒ですね〜。 わざわざ18m車を起こさなくてはいけなくなった、大元の理由である東急が、さっさと乗入れを打ち切ってくるとは思いもしなかったでしょうね。
自分にとっては懐かしいホームラインだった東急も、何だか身勝手でC調な奴だったんだなあ、と思った次第でした。 |