こんなタイトルはブログに似つかわしくないのは重々承知なのですが。 半年前からTV、ラジオニュースを賑わしている「集団的自衛権の行使」「憲法解釈」についてのごたごたについてです。
ロックシップ一個人としては、昭和40年代に生まれ平和憲法のもと何にも知らずにのうのうと成人してしまいましたが、しょせん「戦後の征服された日本国というのはアメリカ合衆国の属国でしかなく、アメリカという盟主の意向にはたいがいの事は逆らえない状況が延々続いているのだから仕方なかろう」というのが実感です。
戦前戦中の大日本帝国の精神と信念に手を焼いて、戦後の日本人からは徹底的に敵愾心や闘争力という牙を取り除き、アメリカに対し親しみと憧れを植え付けねばならない!と連合国盟主の合衆国は決固く心に決めたはずです。 そしてそれにいいように手なづけられてしまった日本国… 徴兵もなくなり、命の保証がされる代わりに合衆国の意向に従わざるを得なかった日本人…
敗戦国という屈辱の歴史をオブラートで包むため、「降伏受け入れの敗戦の日」を「終戦の日」とし、かつて占領された「連合国」をわざわざ「国際連合」と読み替えるいじましさ… 闘争心を削がれるため武道を禁じられ、はけ口に野球を奨励され、うまうまとそれに乗ってしまった日本人。
月日は流れ、アメリカの”経済の崖”という危機のとばっちりを受ける形で、対中国、対ロシアの防衛力(軍備)を肩代わりされるのも無理からぬ話です。 これをいまさらギャーギャー言ったところで始まらなかろう、と冷めた思いでこの騒動を眺めています。 だって日本国憲法そのものもGHQ(占領軍司令部)の意向で成り立ってきたのですから。
別に虚無主義でも無抵抗主義でも何でもなく、わが日本国の戦後のスタンスと近年の合衆国の弱体化を考えれば、自分で自分(味方)を守りなさいという”集団的自衛権の発動”も避けられぬ流れなのでしょう。恨むのなら「大日本帝国の敗戦」と「占領軍に国家のありようを作られた歴史」を恨むしかありません。
ある意味ならずもの国家に徴発され、ぶたれてもあざけられてもじっと我慢を強いられてきた「日本人の誇りを取り戻す」始まりなのかもしれません。
この件については、目を離すことなくじっくり見守っていきたいと思っています。 |