ロックシップ・カンタービレ

六人家族のお父ちゃんが、自由なスタンスで日々の出来事や思った事をつづります。
 
2015/03/12 20:47:23|テレビ番組etc
う・ら・らを初めて見た!
今日は佐野で温泉入浴

気持ちよい風呂上り、休憩室で佐野ケーブルテレビを見ていると、なんか見たような番組が・・・

あー、これが「う・ら・ら」ですか。
ロックシップ、CC9のプロバイダ契約しているものの、放送契約していないもので(汗)初めて見ました。
なるほどね〜。

栃木市城内町の絆さんの番組見て特典を知りました。
う〜ん、行ってみたいな飲みたいな。







2015/03/12 6:12:02|鉄道について
東急を悔しがらせよう

たびたび出張で利用機会のある東京メトロ日比谷線。

日本初の相互乗り入れ地下鉄線として北千住から中目黒まで、営団地下鉄時代から近年に至るまで東武、東急と乗入れをしてきたのですが、東急が副都心線との相互乗入れが始まるとともに日比谷線との相互乗入れを中止。
やむを得ない事情もあるのでしょうが、”何とも勝手な対応だなぁ”と割り切れない気持ちでおりました。

開通当時は都電路線を引き継ぐ形でしたから、遠回り&急カーブ連続という昔の地下鉄独特の不利な特殊線形、カーブなどの理由で、小回りの利く「18m車体」にせざるを得なかった訳ですが、これが東急にとっても東武にとっても後々の禍根のタネになったのでした。
すでに開通から半世紀以上、東急、東武とも20m級の大型電車による10両編成運転が当たり前になり、18m級車両の8両編成とは乗り場案内やホームドアの共通化が図れず、厄介者となってしまった訳です。そしてとうとう東急は乗入れ車両との共存をあきらめ、線路を分断・・・

一方の東武は、伊勢崎線からの半蔵門線への乗入れはあるものの、日比谷線に代わる線はなく、竹ノ塚などメトロ施設も現存する事情もあり日比谷線乗入れは継続。東急乗入れがなくなったことで押し出されたメトロの18m車両も自線の各停電車として使い倒し、18m車ははるばる南栗橋まで運用することに。
しかしとうとう日比谷線も20m級大型車両での乗入れ運転計画を発表していたのでありました。
http://toyokeizai.net/articles/-/43759
(恥ずかしながらロックシップ、まったくその発表を知りませんでした)

ということは日比谷線も東武の20m標準車が乗入れ可能となるわけです。なんだぁ、もっと早く実行に移していても良かったのに。

加減速性能の高い大型車両がバンバン走るようになれば、日比谷線の有用性も上がることでしょう。
銀座線用1000系で実用化されたラジアル台車が急カーブ対策として極めて役立ちそうですね!
日比谷線、頑張ってくれ!
そして乗入れを見限った大東急を悔しがらせてやってください!







2015/03/11 21:15:27|全般
これからもがんばろう

まーいろいろありまして。

受験第一志望が通らず第二志望で頑張っていくことになりました。
長女の話ですが。

まー、世の中何かしら折り合いつけていかなくてはいけません。
今日の挫折をばねに、長い人生地道に歩んでいくよう願っている次第です。

まぁ、妹とケーキ取りっこしているくらいなのでそれほど”ズンドコ”ではなさそうですけど。

これから、これからです。
挫折を味わった人の方が強いんだからね。
頑張っていこうぜい!







2015/03/11 6:39:59|おでかけ
ワカタケルとはたれあらむ

さきたま古墳群をつぎつぎと見て歩くと、国宝の鉄剣の出たという稲荷山古墳の埋葬台(礫廓)の再現や、将軍山古墳玄室内再現など見飽きない展示ばかりです。
こうして考えると、5世紀頃の埼玉は大変な東都だったんですね。

将軍山古墳の副葬品として立てられてであろう埴輪の数々が往時のたたずまいを想像させてくれます。
何だか銅たくの音色がのどかに聞こえてきそうです。

そして博物館で副葬品の数々を見学しました。
画文帯神獣鏡や鈴など興味深いのですが、やはり国宝の「鉄剣」の存在は大きいですね。

ワカタケルノミコトにお仕えした、との銘文に目を見張りました。
「ワカタケルノミコト」、5世紀に日本中央部を支配していた人物。
魏志倭人伝によると倭王、また古事記・日本書紀によるとヤマト政権の雄略天皇。

さぁどんな方だったのでしょう・・・?
そして3世紀の邪馬台国との関係は・・・?

古代への研究がもっと進むこと、そしてさらなる発見の報を待ちたいですね。
ワクワクします。







2015/03/09 22:51:07|おでかけ
さいたまの三成

東松山、熊谷と探訪した趣味ドライブ。
しめくくりは埼玉県地名発祥の地、さきたま古墳にやってきました。
こちらは行田市の東側となり、広々した平地にこつぜんと古墳群が現れます。

うーん、初めてきました。行田には何度も来ているのですが、こんな立派な歴史公園が整備されているなんて…

最初に見学した丸墓山古墳は、「日本最大の円墳」なんですってね。

もちろん前方後円墳などはもっと大きいものがあるようですが、墳丘の高さもけっこうあり圧倒されます。
登ってみるともう完全に山ですな。



周りは水壕で囲まれていたようですが、今では草地になってしまっています。



そしてこの古墳にはもう一つ時代を下って利用した御仁が・・・

安土桃山時代の秀吉の家臣、石田三成。

彼が忍城攻めで水攻めのために築いたという「石田堤」がまわりに残っております。そしてこの丸墓山古墳を本陣としたそうですね。

古代のお墓も戦国武者にかかっちゃ踏み台、物見台ですかぁ・・・

そんな不遜さのせいでしょうか、それとも戦術がまずかったのか、忍城は落とせず、関白殿下の城攻め成績に黒星を付けてしまったそうです。

やはり彼には財政の方が向いていたんでしょうかねぇ。
「殿下に顔向けができん!」
悲しげな面立ちを想像してしまいます。







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