こんばんは。 今日はいい天気でしたね〜。 即位祝賀パレードを観に行かれた方も良かったですね。
我々親子は昼から岩舟中央公民館で行われた「岩舟の歴史」講座を聴いてきました。 ・古墳時代の赤羽根遺跡の話 ・平安時代の岩舟の社会のありよう ・慈覚大師円仁の話 そして岩船山高勝寺の話と、盛りだくさんであっという間の90分でした。
実際に遺跡から出土した本物の土器を触らせてもらったり、普段謎に思っていた小野巣根の5号古墳の石室の行方を聞いたりと、大変勉強になるひと時でした。 講師の三柴先生、大変ありがとうございました。
【石室の行方の謎】 岩舟町小野巣根より発見された「地下式竪穴石室」は、山陰地方に多く、北関東ではほとんど例を見ない貴重な発見だったようで、「静和中学校に保存された」と「岩舟町の歴史」書には載っておりました。 しかし昭和50年代に静和中学校は統合で廃校となり、静和小学校に施設を転用し現在に至りますが「石室はどこへ行ったのだろう?」と謎だったのでしたが、統合された岩舟中学校校庭北西に移されたそうですね。(学校の表示板は日に焼けてすべて消えてしまっていました) 時代と共に保管場所も変わったという事で得心できました。
【供養塔の謎】 さて、謎がもうひとつ。 両毛線の下津原の踏切付近、旧小野寺駅の公園西に建っている「轢死者供養塔:昭和二年建立」の石碑です。 会場の歴史に通じている方から、昭和20年代に児童が3〜4人死傷する大事故があったお話を聴きましたが、その事故とは年代が違いすぎます。 いったいあんな立派な石碑を立てなくてはいられないような事故とは何が起きていたのでしょうか? これは講師の他、地元の歴史に通じている方にもわからないとの事でした。 以前JR東日本にも聞いたことがあるのですが記録がなく不明との事。 はたして、いつかこの謎は解けるのでありましょうか? 地道に調べてみたいと思います。 |