ロックシップ・カンタービレ

六人家族のお父ちゃんが、自由なスタンスで日々の出来事や思った事をつづります。
 
2023/03/22 6:52:34|全般
好事魔多し

おはようございます。
先般以来、家族の慶事が続き有り難いところなのですが・・・
先月は帰省中に指にやけどをしてしまいました。
電子レンジから加熱した料理を出そうと皿を触ったところ、鉄板みたいに熱くなっていたのです。
(縁に金属っぽい釉薬がかかっていたので、熱が凄かったみたいです)
右手の指を2本やけどし、弟の診たてでは「2度」だと言われてしまいました。

えーん・・・指紋認証が出来ない・・・
ようやく今週あたりから復活してきましたが。

古来「好事魔多し」とは言いますが、気を付けなければいけませんね。
今度は秋田の学生宿までセガレ送りに行くことになるので、こぶ観音様によくよくお願いしてきました。







2023/03/18 22:27:08|鉄道について
新スペーシア、準備中!

こんばんは。
末っ子坊主が先日の東京観光の帰りにLINEで画像を送ってきました。

おぉ!東武日光線「南栗橋車両センター」に新しい東武スペーシアN100系が配備されているじゃないか〜!
真っ白いのが北留置線に2編成いるね〜。

近年の塗料の技術改良で、真っ白いボディでも「水垢汚れ」や「パンタシューカーボン汚れ」も寄せ付けにくくなったんですね〜。

いよいよスペーシアも入れ替えですね〜。
バブルの頃にデビューした、オールアルミボディ&VVVFインバータ制御の全車電動車という贅沢な名車でしたが・・・
寂しいですけれどこれも時代の流れですね。

去り行くその時まで活躍を見守りたいです。







2023/03/16 23:11:11|食べ物だったりする
毎日新聞さん、懸賞品送付、ありがとう〜!

こんばんは。
先週、長男に京都から宅配が届きました。
”おや?なんだろう??”
そうか!書き損じの年賀状で応募した新聞懸賞が当たったんだ。

どれどれ?(._.)
鍋のスープにタレにポン酢に・・・レトルト食品がいっぱい!
ヒャッホー!(∩´∀`)∩

そうか、これは4月から一人暮らしを始める長男へのはなむけだね!

なんというグッドタイミングでしょう!
毎日新聞さん、本田食品さん、ありがとうございます〜。







2023/03/14 22:56:27|全般
ようやくトンネルを抜けて

こんばんは。
今日は末っ子坊主の志望高校の合格発表日。
なかなか連絡がこなくてやきもきしましたが、無事に合格の連絡が来て良かったです。やはり連絡を受けるまでは心配が付きまとうものですね。

お陰様で、この春の我が家の懸念だったセガレ二人のダブル受験と、実家の母の手術はすべて良い結果で完了させることが出来ました。
皆上手く行ってくれて本当に良かったです。トンネルを抜けたような気分ですね〜!感謝感謝です。

さぁ、次のステージに向かう事にしましょう!
まずはセガレ達の入学手続き、そして長男は転居、次男も制服など身支度を進めなくてはいけません。
まだまだこれから始まったばかりです。夫婦と上の娘たちにも協力してもらって一つ一つ進めていくことにしましょう。
総員奮励努力せよ!よろしく頼むね!







2023/03/12 23:36:00|海&水上関係
初代南極観測船「宗谷」は奇跡の船

こんばんは。
先日、長男の受験待ちで観てきた初代南極観測船「宗谷」
既に5回目の見学であり、時間が限られていこともあり、駆け足で見学してきました。
しかし、やはり「素晴らしい船だったのだ」と再認識しました。
本船は昭和初期にソ連向け砕氷船として作られたのが、対外事情で引き渡されず民間船舶「地領丸」として竣工した、数奇な運命の生い立ちでした。
この砕氷能力に目を付けた軍部により連合艦隊”特務艦宗谷”として編入され、戦時中は北方から南方まで走り回り、他の船が空爆や触雷で次々戦没する中「宗谷」はそれを逃れトラック島襲撃では唯一生き残り、あろうことか魚雷を受けても不発で難を逃れるという神がかり的な幸運艦だったそうです。
さらに戦後は引き上げ船となり多くの大陸入植者を乗せて帰り、その後は海保の灯台補給船となり戦後復興の立役者となったのち、南極観測船に大改造され転身したという・・・「凄い船」なんですね〜。
南極には6度も往復したそうです。

随伴船として同行した日本水産大学の海鷹丸から撮影された、南氷洋の波にもまれる画像からも、苦難の航海だったことが偲ばれます。
幻の発掘映像!「海鷹丸 南極記」 | NHK番組発掘プロジェクト通信
そしてこの船は戦時中、日本海軍の連合艦隊に加えられた船で唯一海に浮かぶ船でもあるのです。

この明るいオレンジ色の船体からは、想像もつかないような幾星霜の歴戦の歴史があったんですね〜。

たまたまブリッジの修理に当たられていた船大工の方にお話を聞いたのですが「補修の予算が付かないためたいへんな苦労をして現状を維持している」「日本財団はちゃんと手当をしてほしい」とボヤクことしきりでした。

戦前から戦後まで素晴らしい強運のもと、それぞれの時代で力強く、達成困難と言われてきた役目を黙々とこなしてきたこの「宗谷」。
もっと多くの人に知ってもらい、末永い保存を望みたいと思いました。