栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2014/08/26 20:41:14|栃木市に伝わる話
栃木の大蛇伝説
栃木市岩舟町小野寺の西根に「ざっこ」「なご」と呼ばれているところがある。ここに伝わる大蛇の話を一つ。

   ざっこ・なご

 昔、むかしの話だ。
西根の山あいの沢に、一匹の大蛇が住みついたんだと。大蛇は、時々里に下りて来ては、スルズル、ズルズルとその大きな胴体で田畑を踏みにじったと。大蛇に呑まれそうになって、傷を負った者もいた。
「子供を外へ出しちゃなんねえ。もし、大蛇に呑まれでもしたら、大変だぞ。」
「いや、あの大口だ、大人だってひと飲みにされるぞ。」
里人は大蛇を恐れて外にも出られず、野良仕事も山仕事もできなくて、ほとほと困り果てていたんだと。

 これを見かねて、力持ちで胆の据わった男が、
「よおし、おれが何としても大蛇を退治してやっから。」
と名乗りを上げたと。この村に住む森入八ッ衛門(もんのいりやつえもん)だ。八ッ衛門はそれから毎日、物陰に隠れて刀を手にして大蛇が来るのを待っていたと。
 
 あるどんよりと曇った日のことだ。なまあたたかい風が吹いて来て、山あいの沢からゴウゴウと不気味な音がしたかと思うと、大蛇が土煙を上げながらズルズル、ズルズルと下りて来たと。赤く長い舌をチロチロと出し、目は冷たく、らんらんと輝いていた。

 男は、今だとばかりに大蛇の前に飛び出すと、刀を振り被って力いっぱい大蛇の胴体に切りつけたと。すると大蛇は、真っ二つになって体をくねらせながら飛んでいって、道の両側にドサッと落ちた。頭の方は山側に落ちて、尻尾の方は原っぱに落ちたと。
大蛇の頭が落ちた山のあたりは、その後、長いこと大蛇の目玉が怪しく寂しく光っていたので、さびしい光、寂光と呼ばれるようになった。
 
 大蛇の長いしっぽが落ちたところは、長い尾、長尾(ながお)とよばれるようになった。長い間にこの呼び名も、訛ったり詰まったりして、寂光(じゃっこう)が「ざっこ」に、長尾(ながお)が「なご」になって今に伝わっているんだとさ。
                         おしまい。


 小野寺城主の菩提寺だった住林寺が西根の山あいにひっそりと佇んでいる。
この寺の大きな門があったことから大門と呼ばれる所に住む小林正さんにお話を伺った。住林寺の南側が森の入(もんのいり)と呼ばれていて、ここに大蛇を退治した森入八ッ衛門が住んでいたのではないかという。
 寂光・長尾は、岩舟ジャンクションの西側にあり北関東自動車道が出来て寂しい山里の風景は一変している。寂光の田んぼに立ち、大蛇が下りてきたという山あいを臨むと、高速道路があたかも巨大な白い蛇体の様に見えてきた。







2014/08/23 9:02:33|栃木市に伝わる話
七尋蛙(ななひろがえる)
暑い夏には涼を求めてか怪談話が語られる。姿を見たものは無いが、闇夜に響く声が人々を震え上がらせるという、栃木市大平町川連に伝わる怪談をひとつ。

         七尋蛙(ななひろがえる)

昔むかしの話だ。
川連(かわつれ)城が敵の夜討(ようち)にあって落城した時のこと。殿様は敵をふせぎながら、かわいい一人娘のお姫様を焼け落ちる城から逃がしたと。
お姫様には、城を良く知っている腰元が付き添った。この腰元は、城を取り巻く深い濠の中に、たった一カ所だけ浅瀬があることを、殿様から教わっていたんだと。
 二人は闇にまぎれ、ようやく濠のほとりにたどり着いた。濠は思いの他深そうだが、夜のことで見えない。
「帯で測ってみましょう。」
腰元は素早く自分の帯を解くと、両手を広げて、
「一(ひと)尋(ひろ)、二(ふた)尋(ひろ)、三(み)尋(ひろ)・・・」
と、測りながら帯を濠にたらしたと。
七(なな)尋目(ひろめ)まではかった時、敵が後ろから迫って来たと。もう、逃れるすべは無かった。
「姫様、早く」
ふたりは手に手をとって、ザンブと濠に飛び込んだ。波立った水の面が、やがて静まった。それっきり、ふたりは浮かんでこなかったと。姫様も腰元も立派な着物を着たままだったからな。


 あわれなふたりは、この濠に住む蛙になったと。そうして毎晩、水に沈んだ時刻になると、
「一(ひと)尋(ひろ)、二(ふた)尋(ひろ)、三(み)尋(ひろ)・・・」
と数えながら鳴き、七(なな)尋目(ひろめ)までくると、
「ぎゃーっ」
と、不気味な悲鳴を上げるんだと。耳をふさぎたくなる様ないやな声だ。


川連の人らは、この声を聞くと良くないことが起きると言って、蛙の鳴く夏の夜になると、
「そろそろ、七(なな)尋(ひろ)蛙(がえる)が鳴くころだ」
といって戸を閉め、その声を聞かない様にしたんだとさ。

おしまい。

川連城の歴史に詳しい大豆生田さんにお話を伺った。

大豆生田さんの家の近くを流れる用水掘は城の外濠。昔は内濠も残っていて、水深2m、濠の土手の上からだと5mの深さがあった。大手門前には大きな石垣があり、掘れば内濠の石組の遺構が出て来るはずだと話す。築城の折、力自慢の男が石垣の一つ一つの大石を組み上げたという話も残っている。本丸の跡は、現在、一面の水田になっていた。

七尋蛙の話はお父様の万之助さんから幾度となく聞いたという。昔話を聞くのが好きで、大勢の兄弟達とワクワクしながら聞いた話の中のひとつ。忠夫さんは、七尋蛙の鳴く「ぎゃーっ」というところを、耳をふさぎ目をつぶって顔をしかめながら語られる。そこが特に印象的だった。


近くの家を聞き歩いたが、今七尋蛙の声を聞いたという人はいない。
激しい車の往来に臆して居を移したのだろうか。いや、姫と腰元はすでに成仏したからだと思いたい。

※尋とは、両手を広げた長さ。







2014/06/20 14:24:00|イベントでの語り
薩摩琵琶と怪談の夕べ
今年から開催される「巴波川行灯」のあかり応援イベント
で、薩摩琵琶と共に民話と怪談を語ります。


●『語り&琵琶によるあかりの夕べ』

 7月26日(土) 27日(日) 両日共18:30〜19:30

 常盤橋ポケットパーク(横山郷土館前)
 
(雨天時は、小山高専サテライトキャンパス・土蔵)


 薩摩琵琶  榎本百香 琵琶楽コンクール1位
            文部科学大臣賞受賞

 語り部   間中一代


プログラム

1. 語 り 栃木の民話と怪談

2. 琵 琶 祇園精舎

3. 語 り 耳なし芳一

4. 琵 琶 壇の浦








2014/05/07 21:10:05|イベント
『菊池寛を読む』図書館朗読サロン

 図書館朗読サロン 「菊池 寛を読む」 

5月11日(日) 午後1時30分開場 午後2時開演

  会場  栃木市図書館会議室

  出演  朗読を楽しむ会

  定員  50名

      プログラム

1 『姉の覚書』

    朗読  鈴木重子

        笹岡悦子

        間中一代

2 『入れ札』
    朗読  茂呂久美子

        葛城ジロー









2014/05/05 20:35:00|栃木市に伝わる話
荒痛薬師(あらいたやくし) 栃木市大塚町

 栃木市大塚町のミツカン栃木工場の東側に、神亀元年建立・都賀三十三薬師二十六番札所の荒痛薬師堂がある。お堂の前には、勝道上人が出流山満願寺開山のみぎり、この薬師堂に立ち寄って挿した枝が根付いたいう、立派な山桜の古木がある。隣の大塚町上区公民館の周りにも桜があり桜の名所となっている。ここに伝わる話をひとつ。

         
             荒痛薬師(あらいたやくし)

昔むかしの話だ。大塚のお堂に薬師さまがおまつりされていたと。お堂の前には大きな桜の木があった。この桜の葉を入れた御愛相の湯と呼ばれる薬湯があって、どんな病も治すありがたいお湯だと評判だったと。
 遠くの村からもこの薬師堂にやって来て、お薬師さまにお参りしては薬湯に入るんだと。
「いやあ、有難いお湯だ。お薬師さまのお湯につかったら、かゆくてたまんなかったデキモノがすっかり治った。」
「そうかい、そうかい。おれも、稲刈りで痛めた腰が楽になった。」
「うちのばあ様の腹病みがいっぺんで治ったぞ。」
「桜の葉の薬をいただいて、目を洗ったら目病みがなおった。」
と、みんなに大そう信仰されていたんだと。
 ある時、戦でこの辺りが大火事になったと。薬師堂にも火が付いた。それを見た近所の人らは、
「有難いお薬師さまを燃やしちゃなんねえ。」
と、自分の家に火が回るのも顧みないで、日頃信仰する薬師さまの像を、荒れ狂う火の中から担ぎ出したと。
 そこら辺りみんな、まる焼けになったので、薬師さまはしばらく野っ原に置かれたままになっていた。
 ある晩、野盗の群れがやってきたと。野っ原に投げ出されたままになっている薬師さまの木像をそれと知らずに、
 「ここにいい丸太ん棒があらあ、これを叩き割って焚くべ」
と、手斧を振り上げて打ち下ろすと、
 「あら、痛や!」
と、薬師さまが悲鳴をあげたと。野盗はぶったまげて逃げて行ったと。薬師さまのおかげで村は野盗に襲われずにすんだんだと。
 これが伝わって、この薬師さまのことを「あらいた薬師」と呼ぶようになった。お堂も建てなおされて、今も『荒痛薬師堂』として伝わっているんだとさ。                             おしまい。



 この薬師堂は上区公民館の隣にある。
毎年、5月の第一日曜日に花祭りが行われ、家中の光明寺の加茂御住職が来られて護摩滝焚きと祈祷が行われる。今年は5月4日に盛大に行われた。

 加茂御住職の奥様からお話を伺った。普段は自治会や信徒総代の方々が、大切にお堂を守っていると聞き、昨日の花祭りに行ってみた。

 自治会長の梁島さんや、渡辺さん、島田さんをはじめ沢山の方からお話を伺うことができた。

 12年に一度、寅年に御開帳されるので寅薬師とも呼ばれているという。お薬師さまも両側の立木観音さまも黒く焦げていた。今年は御開帳の年ではないのでお薬師様の像の全貌を拝見しることはできなかった。方のあたりに斧で切り付けられた傷あとが確かにあるという。
 
 戦時中には、出征兵士の武運長久を願っての御祈祷も行われたそうだ。
荒痛薬師さまは、今でも地域の人達の心の拠り所として静かに座している。