西方町真名子にある八百比丘尼公園を訪ねた。 山ふところの静かな公園で、ゆったりとした時の流れがあった。
八百比丘尼伝説
むかし、京の都から下り真名子に住んでいた、朝日長者がいた。この長者のひとり娘、八重姫は、不老不死の貝の肉を食べてしまい、十八歳の美しい姿のまま八百年生きた。里人も移り変わるのに、自分だけ年を取らない。山すその池に映ったいつに変わらぬ自らの姿を見て悲しみ、世を儚んで出家した。妙栄と名乗り、旅を続けて福井の小浜にたどり着くと、小さな庵を結んで暮らしたが、ついには海に入水して果てたという。 八重姫は小浜で二体の像を彫り、一体を真名子に送ったと伝えられ、それが八百比丘尼堂に安置されている。八重姫が姿を映した「鏡池」も公園内にある。
この先はもう道がなくなるのではないかという奥に公園は位置しており、整備された池には放流して繁殖したメダカが群れ泳いでいた。あずま屋の近くの木にはオトシブミが生息しているらしく、くるくると丸まってちぎれた葉っぱが沢山地面に落ちていた。八百比丘尼堂前の川にはつがいのうぐいすが遊んでいた。せせらぎの音、うぐいすの声、蛙の合唱。おだやかな里山の音の風景があった。
堂でお参りしようとしたら、賽銭箱に張り紙がしてあり、ミツバチをそっとしておいて欲しいとのこと。確かに周りにはミツバチが飛んでいた。賽銭箱の中に入っていくものもいた。そういえば、日本ミツバチが巣を作って、地域の人が引越ししたという新聞記事を読んだのを思い出した。ミツバチもお賽銭のつもりで蜜をプレゼントしたのだろうか。不老不死は貝ではなくて、プロポリスのおかげなのではないか。など、勝手なことを思いながら、お賽銭をあげ祈った。
18歳に戻りたい、不老不死にあやかりたいなどと願ったわけではない。不老不死で生き続けなければならなかった八重姫の苦悩を思った。何度も恋したり好きになった人もいただろうが、皆年老いて先立ってしまうのを見送っているのは苦しみに満ちた時間だったのではないか・・・
「鏡池」の暗い水面を恐る恐る覗いてみた。そこには、朝、洗面所の鏡に映っていたのと同じ自分の姿があった。ああ、やっぱり・・・でも、良かった・・・今の自分の姿に妙に納得してその場を去った。 |