栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2009/05/11 22:01:25|イベントでの語り
南山焼蓬莱窯で語ります

 5月17日(日)に、佐野市長谷場にある、野州南山焼 蓬莱窯の若葉祭で子供たちに語ります。


 三枚のお札
 ふうふう、ぱたぱた、あちち
 飯食わぬよめさま


などを語る予定です。


陶芸の展示販売、体験は勿論のこと、クラフトフェアー、フリーマーケット、田澤智さんのコンサートなど盛りだくさんの楽しいお祭りです。







2009/05/10 22:10:57|西方町に伝わる話
八百比丘尼公園を訪ねて

 
 西方町真名子にある八百比丘尼公園を訪ねた。
山ふところの静かな公園で、ゆったりとした時の流れがあった。

  
    八百比丘尼伝説


 むかし、京の都から下り真名子に住んでいた、朝日長者がいた。この長者のひとり娘、八重姫は、不老不死の貝の肉を食べてしまい、十八歳の美しい姿のまま八百年生きた。里人も移り変わるのに、自分だけ年を取らない。山すその池に映ったいつに変わらぬ自らの姿を見て悲しみ、世を儚んで出家した。妙栄と名乗り、旅を続けて福井の小浜にたどり着くと、小さな庵を結んで暮らしたが、ついには海に入水して果てたという。
 八重姫は小浜で二体の像を彫り、一体を真名子に送ったと伝えられ、それが八百比丘尼堂に安置されている。八重姫が姿を映した「鏡池」も公園内にある。



 この先はもう道がなくなるのではないかという奥に公園は位置しており、整備された池には放流して繁殖したメダカが群れ泳いでいた。あずま屋の近くの木にはオトシブミが生息しているらしく、くるくると丸まってちぎれた葉っぱが沢山地面に落ちていた。八百比丘尼堂前の川にはつがいのうぐいすが遊んでいた。せせらぎの音、うぐいすの声、蛙の合唱。おだやかな里山の音の風景があった。

 堂でお参りしようとしたら、賽銭箱に張り紙がしてあり、ミツバチをそっとしておいて欲しいとのこと。確かに周りにはミツバチが飛んでいた。賽銭箱の中に入っていくものもいた。そういえば、日本ミツバチが巣を作って、地域の人が引越ししたという新聞記事を読んだのを思い出した。ミツバチもお賽銭のつもりで蜜をプレゼントしたのだろうか。不老不死は貝ではなくて、プロポリスのおかげなのではないか。など、勝手なことを思いながら、お賽銭をあげ祈った。

 18歳に戻りたい、不老不死にあやかりたいなどと願ったわけではない。不老不死で生き続けなければならなかった八重姫の苦悩を思った。何度も恋したり好きになった人もいただろうが、皆年老いて先立ってしまうのを見送っているのは苦しみに満ちた時間だったのではないか・・・

「鏡池」の暗い水面を恐る恐る覗いてみた。そこには、朝、洗面所の鏡に映っていたのと同じ自分の姿があった。ああ、やっぱり・・・でも、良かった・・・今の自分の姿に妙に納得してその場を去った。







2009/05/10 0:41:09|大平町に伝わる話
大平町の磯山に残る天狗の足跡

  大平町の磯山 天狗の足跡

 大平中学校近くの磯山の山頂に大岩がある。そこに、「天狗の足跡」が残っている。
いや、「天狗の足跡」だという言い伝えのある、岩の窪みがある。

「天狗は、筑波山に右足をついて、次に、磯山に左足をついて、その次に、太平山に右足をついた」

 と、昔、母から聞いた。



今から四十数年前、従姉に連れられてこの山に登って、この天狗の足跡を見た。その時は、松の枝が岩の上に覆いかぶさっており、薄暗く、岩の上に沢山の松葉が落ちていた記憶があった。

諏訪神社の参道から、緩やかに登ったほうがよかったのかもしれないが、大岩の下から、北側の斜面を落ち葉を踏みしめて登って行った。雨上がりの木々の匂いがすがすがしい。

大岩の隣には、古びたコンクリート製の円筒形の水道タンクが、昔のままの姿で立っていた。

周りの木が刈り払われていて、大岩は陽を浴びた明るい場所に鎮座しており、その向こうは眺望が開け、北側の田園風景と遠くに太平山が望めた。大平中学校も見えて、部活動に励む運動部員の明るい掛け声も響いていた。

果たして、天狗の足跡は今も残っているのだろうか・・・・
近づいてみると、あった!あったのだ!
降り続いた雨のお陰か、そこだけ水がたまって、自らの場所を示しているかのごとく、大岩の上に横たわっていたのだった。

確かに、足の形の様にも見えた。だが、言い伝えの話からすると、もっと大きいはずだが・・・
子どもの時にはもっと大きく見えたが、自分が成長してしまったということか・・・

この、天狗の足跡の話は大平町でどれくらい伝承されているのだろうか?
残してもらいたいの願いから、ここに記して電子の波に浮かべたい。











2009/05/09 19:26:35|栃木市に伝わる話
錦着山は巾着山? いでんぼうの足跡

   いでん坊の足あと

 むかし、いでん坊とかダイダラボウシとかいうたいした大男がいた。なにしろでっかくて、富士山に腰掛けて、琵琶湖の水を飲んだっていうからな。ある時、その大男が栃木を通りかかったんだと。太平山に腰掛けて一休みして昼飯を食ったと。その時、かったっぽうの足は、川原田の前野について、もう片っ方は、葛生の常盤村について、今もその足跡が残ってんだと。食べ終わって、腰に下げた巾着袋のゴミをたたいて落ちたのが錦着山だというから、たまげたはなしだべ。


 大男の伝説は何とスケールの大きいことか!
ケーブルテレビでその名の通り「錦を着たよに」花で彩られた、錦着山の様子を見て、行ってみた。

 降り続いた雨で、花の盛りは過ぎていたが、南側から東側の麓の斜面に赤いつつじが新しく植えられていて、華やかさが増していた。

 この山の山頂にある護国神社の塔に、むかしは夜になると灯がともっていて、「死んだ兵隊さんを弔っているんだよ」と祖母から聴かされたものだ。

 そういえば、教員時代、ここに遠足に来て、クラスの女の子がブランコから落ちて、随分心配した・・・そんな思い出も蘇った。

 花より団子とばかりに、東側からの参道の上り口にある「うえき屋」さんに寄った。ここの名物は、やわらかい糸きり団子と、いも串だ。
 おいしいおみやげを持って帰路に着いた。
 







2009/05/09 9:21:47|太平山に伝わる話
あじさい坂の不思議な洞窟
 
  あじさい坂の窟神社

 太平山のあじさい坂を登っていく時、右手の奥まったところに、窟神社がある。

 この神社の中に、小さな洞窟があるのだが、この窟は出流山まで続いていると伝えられている。

 なんとも不思議な窟。奥に向って大声で叫んだら、出流山まで届くのだろうか・・・

 水脈がつながっているとだけ伝えたかったのだろうか。小さな、弁天様に聞いてみたが、知らぬ素振りで琵琶をひいておられた。

 あじさいの季節にはまだ間があるが、随身門まで新緑で目を楽しませながら歩いてみた。