栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2009/11/24 20:02:34|遠野に伝わる話
座敷童子が出て行った話 その後

座敷童子が出て行くと、そこの家は没落するという言い伝えがある。

遠野に伝わる座敷童子の話に出てくる山口の孫左衛門の屋敷跡の写真をやっと載せる事ができた。

バスの車窓から撮ったものだが、一番目の写真の中央の草むらの辺りに井戸が残っていると聴いた。

十三代とか、十四代とか続いた長者どんの家も、今は田んぼになってしまっいる。

 屋敷ん中にいる蛇っつものは殺すもんでねえ

 見たこともねえきのこは食うもんじゃねえ



  孫左衛門様ご一家に合掌







2009/10/05 19:09:37|遠野に伝わる話
座敷童子(ざしきわらし)の出る金田一温泉緑荘が全焼!


座敷童子が出る部屋があるという東北の温泉宿、金田一温泉緑風荘が火事になり、全焼してしまったというのを今朝の新聞で知った。なんとも残念なことである。

この宿に泊まり、座敷わらしを見ると幸せになるという評判の宿で、「えんじゅの間」にだけ現れるといわれ、そこに泊まって座敷わらしを見て幸せになった人かたのお礼の人形やぬいぐるみが床の間にあふれている写真を見たことがある。

実は私も、4年前に予約しようとした時、5年後まで予約でいっぱいで驚いた。次の予約はいついつからと書かれていたが、すっかり忘れていて、思い出してホームページを見たらその日を過ぎていた。
 
 過去、台風でりんごが落ちて甚大な被害を被った、青森県のりんご農家の組合がみんなで再起を願って、ここに泊まったことがあるという位、知名度と福を呼ぶ実績のある宿らしい。


 座敷童子は、旧家の奥座敷に住む子どものことである。子どもの姿をした神様と言ってもいい。この座敷童子が住む家は栄えるという言い伝えがあるのでお膳を供える家もあるそうだ。また、座敷童子が出て行った家は、没落するという。  誰もいない座敷で、ほうきで掃く音や、糸車をまわす音や、洟をかむ音がするが、見に行くとだれもいない。  座敷童子は、子どもには見えるが大人には見えない。   柳田國男の遠野物語18話には、長者の家から、住みついていた座敷童子が出て行った話がある。

 遠野の伝承の語りを標準語にして、簡略化すると、こんな話だ。

 むかし、あったずもな。遠野の土淵村の山口に、孫左衛門とう長者がいた。
近所のじい様が町に買い物に行った帰り、村はずれの橋の上で、見慣れないおなご童子二人と会う。どこから来たかとたずねると、孫左衛門の所から来たと言う。どこへ行くのかと聞くと、隣村の金持ちではないが正直な人の名を告げる。
近所のじい様は、あれは座敷童子で、それが出ていったからには、孫左衛門どんの家も長い事はないと思うが、黙っていた。
 このことがあってから、孫左衛門の 家では不思議なことがたくさんおきた。干草を干していた。その中から蛇が出てきた。奉公人が殺そうとしたのを孫左衛門が止めたが、聞かずに殺した。すると、次々に蛇が現れ、殺す度にまた現れ、山ほど殺してそれを蛇塚を作って埋めた。
 ある時、庭の梨の木の根に見たこともない様なきのこが生えたので、奉公人が食べようとした。孫左衛門は止めたが、おがらを焼いた灰汁でアク抜きすれば食べられると言った人の話を信じて、アク抜きして、きのこ汁を作ってみんなで食べた。うまかたた、うまかった、本当にうまかった。だが、これを食べた主人夫婦、年寄り、奉公人、みんな死んでしまった。たったひとり、七つになる女の子が隣の家に遊びに行っていて助かった。
 だが、その後、親戚など色々な人がやって来て、「これは俺が貸していた」とか「もらうことになっていた」とか言って、みんな持て行ってしまった。
 今、井戸の穴、一つ残すだけになってしまって、かま返してしまった。孫左衛門どんは、自分なりに占いなどもやっていたが、自分のことは分からなかった。 どんとはれ。


 今から20年位前に亡くなった、偉大な語り部「鈴木サツ」さんのCDでこれを聞いたとき、筋は分かったが、あまりに、きつい方言で最初は細部まで聞き取れなかった。それでも、いや、それだからこそ、異空間に連れ去られた気がした。


 座敷童子の不思議。
最後の方の(カマケエシテ)かま返してが、(カマケシテ)かま消してに聞こえた。だが、釜か竈が無くなって家が潰れたことを意味するのだけは分かった。


 「家の中にいる蛇を殺すな」ということを伝承したかったのか?

 「見たこともないきのこは食べるな」という戒めの伝承としていつの時代かに作られた話かと思っていた。

 ところがその後、本で、孫左衛門の屋敷跡が、今も遠野に残っているを知った時、ぞっとしてしまった。この話を覚えて、何度も語っていたからである。怪異譚を語るという姿勢でこれを語っていた安易な自分が悔やまれた。

 遠野へ行ったとき、バスの窓から、孫左衛門どんの屋敷跡を見た。今は田んぼになっていたが、草の生えている辺りに井戸があるとガイドさんが教えてくれた。
 心の中で手を合わせ、あわててシャッターを切った。


 ものの本で、土淵小学校に座敷童子が出たと書いてあったので、10年前に行った時、タクシーの運転手さんに聞いてみたら、一笑に伏されてしまった。その後、この学校が鶴瓶の家族に乾杯に出ていて、子供たちが「豆腐とこんにゃく」という昔話を声をそろえて語っていて、かわいらしかったが、綺麗な新しい学校で、座敷わらしの気配はなかった。

 さて、金田一温泉緑風荘にいた、座敷わらしはどうしているのだろう。私は、火事前に引越ししたのではないかと思う。そう、朝食の時主人に話したら、建物と運命を供にしたのではないかという・・・
 いや、そんなことは無い。間違いなく引越ししたのだ!
これから後、福々しくなっていく正直で人に信頼されている人の家があったら、そこがきっと、座敷わらしの引っ越し先なのだ。

 
 







2009/09/25 15:42:49|その他
「出没!アド街ック天国」で栃木は大にぎわい
シルバーウイークに放映された「出没!アド街ック天国」の効果で栃木市は大にぎわいでした。

小山市に住む親戚も一家揃って、栃木の町歩きを楽しんだとのこと。
「やっぱり歴史のある街は違うわね」
というお褒め言葉をいただき栃木市民として嬉しく思いました。

富士家さんの自慢焼(今川焼)と、大豆生田商店のジャガイモ入り焼きそばに長蛇の列が出来ていて、○十年栃木に住んでいる私も初めて見る光景でした。

 出没!アド街ック天国 を見逃した方は、この番組のホームページでランキングと紹介が見られます。アドレスは下記です。
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/090919/index.html


リンクがつけられないので、「出没!アド街ック天国」
で検索して下さい。
この番組のトップページに「9月19日放送分の栃木」
をクリックすると見られます。

更に今なら、「出没 栃木」の方が、名所の地図やのらっせ号の情報まで載っているところが見つかります。

 これを見て、是非、栃木市にいらして下さい。









2009/07/01 20:44:09|しもつかれ広め隊の活動
創作昔ばなし 「しもつかれのはなし」

 今年度、市民協働まちづくりファンド助成事業に
「しもつかれ広め隊」として応募した。6月28日(日)に市役所で行われた、公開プレゼンテーションに参加した。
 不慣れというより、公衆の面前でやる初めてのパワーポイント操作に、語りでと違う緊張感を味わってしまった。結果はどうなることやら・・・

 ともかく、「しもつかれ」を広める活動の一歩を踏み出そうと思い、今年の初午に完成した、栃木の語り部初めての創作むかしばなし「しもつかれのはなし」をアップしてみようと思う。
  
  
  創作昔ばなし

 しもつかれのはなし

       2009年2月6日 初午 原稿完成

 むかし、下野のある村にお稲荷さまの神社があった。そのそばに、根性のいい、じい様と、ばあ様が住んでおった。
ある寒い晩のこと、二人は、囲炉裏にあたりながら湯飲んでたと。そしたらじい様が、
「ばあさんや、もうすぐ初午で、お稲荷さまの祭りだ。今年も豊作お願いしなくちゃならねえなあ」
「でも、じいさん、お供えするカワリモノのご馳走ねえぞ」
「そだなあ、おらちには大根ぐれえしかねえなあ」
「んじゃあ、村のたいにも声かけて、みんなしてお供えするご馳走作ることにすんべ」
つぎの日、じい様は、隣のくされ根性のじいさんところへ行ったと。
「じい様、じい様」
「ん〜なんだ」
「じい様、初午に、一緒にご馳走作らねえかい」
「ん〜、初午だあ、そんなことおらの知ったことか」
というと、戸をビシャッと閉めて、奥へ引っ込んでったと。
「まあ、しょうがねえ、しょうがねえ、ほかをまわるべ」
じい様は、村中に声掛けてまわった。だがなあ、二月の初め(今の暦で3月)のことだ、どこの家も秋にとって、埋けておいたものも残り少なくなっておったと。
初午の日、じいさんとばあさんがお稲荷様に大根持っていって待ってたら、村のもんが、ぽつりぽつりと集まって来たと。上の家のじい様が、
「おらちには、節分にまいた炒り豆がちいっと残ってた。厄除けの福豆だからよかんべ」と、炒り豆の袋ぶら下げて来た。下の家のばあ様も、
「嫁にやった娘が暮れに持ってきた塩引きの頭、だしくらい出んべ」
と、軒先に吊るしてあった塩引きの頭を持って来た。東の家のじい様も、
「ちいっと、しなびってっけど、だいじだべ」
と、にんじん持ってきた。西の家のばあ様も、
「お神酒はねえけど、杜氏に行ってた息子がみやげに持ってきた酒粕ならあるど」
と、酒粕持ってきた。
「ありがてえ、ありがてえ、こんだけあれば何かできるべ」
さっそく、みんなでご馳走こしゃえにかかったと。
「大根はすが空いてるから煮しめもできねえし、豆も、塩引きの頭も固い。どうしたらよかんべなあ」
「みんな、細かくして、ごった煮にするしかねえべ」
「そうだ、そうだ」
ということになって、おにおろしっていう竹でできた大きなおろしで大根やにんじんをゴリゴリゴリゴリすりおろして、塩引きの頭だのなんだのは細かく切って、大釜でグッツグッツグッツグッツ煮たと。出来上がると、さっそく、お稲荷様にお供えして、よおく、その年の豊作お願いしたんだと。
「どれ、おらたちも、よばれるべ」といって、出来上がったの食ってみたれば、うめえのうまくねえのってほっぺた落ちるくらいだったと。
「これが、みんな残りもんで出来てるなんて思えねえな、お稲荷様も喜ぶべ」
「よおく味がしみてつかってる」
「これ、しみづかりって呼ぶべ」
「んだ、シモツカレだ」
といいいながら食ったと。大釜に残ったシモツカレはみんなで分けて持って帰った。
じいさんとばあさんが、つぎの日の朝飯に食ってみた。冷たくなって凍みるくらいだったのに、出来立ての熱いのよりうめえくらいだったと。
 その後も雪は降る、からっ風は吹くして寒い日が続いたのに、このシモツカレを食べたもんは風邪ひとつ引かねえ、寝たきりのばあ様までこれ食って元気になったと。秋には米はどっさりとれるし、畑のもんもたあんと採れて、これまでにない豊作だったと。村のもんは、
「こりゃあ、シモツカレのご利益だべか」と、喜んだと。
 ところが、あのくされ根性の隣のじい様の家は、米は採れねえ、つまんねえところでおっ転がって怪我するして、この年、えれえ難儀してたと。みんな、
「罰があったったんだべ」なんて噂したが、そんでも気の毒がって、見舞いに行ったり、食べ物持っててやったりしたと。
 さて、次の年のことだ、また村のもんが初午にシモツカレ作りにお稲荷様に集まってた。大根とにんじんをおにおろしでゴリゴリゴリゴリすりおろして、塩引きの頭だのなんだのは細かく切って、大釜でグッツグッツグッツグッツ煮ていたと。そしたら、隣のくっされ根性のじい様が来たんだと。
「お稲荷様のお使いの、お狐様も喜ぶべ」
と、油あげを差し出したと。
「そうかい、そうかい」
じい様が受け取って、それもきざんで入れたら前の年よりもっとうまいシモツカレができたと。
秋には、隣のじい様の家も豊作、村中大豊作で、それから、じい様とばあ様は、幸せにくらしたということだ。

 これが評判になって、あっちの村でも、こっちの村でも作る様になったと。ある時、川向こうの村で、
「こうだうめえもん、初午まで待てねえ」って、正月過ぎに作って食ったら、周りの村はみんな豊作だっちゅうのに、どうした訳か米一粒も採れねえ。
「お稲荷様にあげるカワリモノを普段に食べた罰があたった」といって、「シモツカレは初午にしか作るもんではない。とか、初午より先に作るものではない」といわれるようになったと。
 それから、みんな暮らし向きもよくなって、一軒一軒の家でシモツカレを作るようになった。同じもので作るのに不思議と家ごとに味が違う。「七軒食べ歩くと中気にならない」とか、「シモツカレを食べると疫病かからない」とかいう言い伝えもある。
 みんな、シモツカレ食べて、豊に達者にくらすべや、な。







2009/06/07 23:31:39|雑感
We have only today.

朝の散歩から帰って、庭のカラーの花を見たら、カエルが花の中に入っていた。眠っているのか、カメラを近づけて何度シャッターを切っても動かなかった。よほど居心地がいいのだろう。

家の庭には、たくさんのカエルがいる。カエルはその時々でいろいろな表情を見せてくれるが、居心地の良い花があるらしい。

数日前には、枯れたカラーの花の中に夜まで入っていたカエルを見た。

あやめの花の上に乗っているカエル。大輪のバラの真ん中で毎日日向ぼっこしていたカエル。ところが、ある日、バラは首からポッキリと折れて落ちてしまった。そのカエルはその後花の傍のブロック塀の上にずっと座っていた。花が散ったのを悲しんでいるようで、「星の王子さま」とバラを思い出させた。

さて、近頃、ふとした瞬間に頭に浮かんでくる言葉がある。少し前にテレビから流れてきたマザーテレサの公演の一節、その中の言葉だ。

  
 We have only today.

この言葉が私の背中を押す。日の暮れないうちにやらなくては。
 

  マザーテレサの言葉

Yesterday is gone.
Tomorrow has not yet come.
We have only today.
Let us begin.

昨日は過ぎ去りました。
明日はまだ来ていません。
わたしたちにあるのは今日だけです。
さあ、始めましょう。