栃木の語り部  栃木語り部の会

昔むかしの話を語る、栃木の語り部。 語り伝えたい話があります。昔ばなし、伝説、言い伝え・・・学校への語りの出前は60校を超えました。児童館、育成会、公民館、作業所、グループホーム、イベントなど声が掛かればどこへでも語りに出かけています。語りながら話も集めています。これからも出会いを求て語り続けていきます・・・
 
2013/04/28 12:54:00|その他
山姥と私
 毎週火曜日、國學院栃木短期大學の野村敬子先生の口承文芸学の授業に参加して、学生達に昔話を語っている。

 今年は巳年なので、蛇の話をここ2回連続で語ってきた。
 「春を待つ蛇の話」「おりや」 
 「蛇婿入り 蛙の婆蓑」「朝茶一杯」 

 30日には、5月5日の節句も近いので、
 「蓬と菖蒲を立てるいわれ」 下都賀郡の話
 「喰わず女房」 
 この二つを語る予定だ。 

 喰わず女房に出てくる「山んば」、山姥と私について書いてみた。

                                             私は幼い頃、祖父母と母から昔話を聴いて育った。祖父が話してくれた話の中で一番のお気に入りは「山んば」の話。旅の女が山の中で道に迷い、一軒家に泊めてもらうがそこに住んでいたのは山姥。隣の部屋で出刃包丁を研いでいるのを隙見した女が逃げるのを山姥が追う。女が髪に挿していた櫛を投げると山になり、帯を解いて投げると川になって山姥の前に立ちはだかり命びろいするという話であった。この話が好きで何度も何度も聴いた。祖父の大げさな身振り手振りが私の想像力をかき立てた。また、安達ヶ原の鬼婆の話も、茫々たる芒野原とともに鮮明に私の幼心に焼きついた。この経験から私は山姥や鬼婆の出てくる話を語るのが好きだ。 子どもが小さい頃、電気を消した暗い蚊帳の中で「三枚のお札」を語った。娘と息子を両脇に寝かせ、上を向いて語るのだが、やまんばが小僧さんを追いかける場面で、手を上に伸ばしながら、「小僧待てえ、小僧まてえ。」と語ると、息子が、「ママ、手が怖いからやめてよ。」と言った。これがもとで、息子は、「うちのママはやまんばよりこわいんだよ。」と友達に言ったりしたため、子育て仲間から、「やまんばより怖いっていうから、どんな人かと思ったわ!」とからかわれたりした。鬼より怖いとか鬼のようだといえば単に比喩だと思うが、やまんばというとそれ以上の何かを連想させるものがあったのだろう。 子育て中のことを考えると、夢中で子供を守り育てていこうという必死さがあった。母性の中に山姥に通じる根源的な強さと攻撃性を感じるのだ。母となった時点で持つ原罪の様なものか。さて、「三枚のお札」「喰わず女房」を小学校や図書館や児童館などでよく語るが、山姥となって人を追いかけている場面を語るときには、もうすっかり自分が山姥になっているのだ。怖そうに聞いている子どもたちを見ると益々興がのって語ってしまう。怖い話もそうだ。これを話したら、「子どもを脅して楽しんでいるなんて、お母さん、趣味悪いよ。」と、中学生だった頃の娘に言われたが、本当だからしょうがない。山姥や鬼婆を語るのは自分の精神の開放にもなっている。 山に棲む山姥。家も、財産も、家族も、何もかも所有していない山姥。夢も希望も無いが、見栄も虚飾も無い。ただ本能の赴くままに生きている山姥。女を棄てている、女を忘れている、女から脱却している、だからこそ強い山姥。そんなところがちょっと小気味よくも感じられる山姥。『馬方(牛方)やまんば』の山んばは、大動物まで喰らい尽くして人を追ってくるのに、囲炉裏端で居眠りしている間に、自分の家の梁の上に隠れている男に、餅を食べられ、甘酒を飲まれてしまうという、おおらかさや間抜けさも合わせ持っている。 昨年の夏、「怪を語る」と題した語りの会を開いた。その中で、どうしても「安達ヶ原の鬼婆」を語ってみようと思い立って練習し、安達ヶ原と黒塚に向った。栃木から東北自動車道栃木インターから車で約二時間、福島県二本松で下り、それほど遠くない場所に黒塚と岩屋はあった。黒塚を指し示す案内板の近くにはセブンイレブンがあり、岩屋の脇に建てられた寺のすぐ傍には、町おこしの施設「ふるさと村」があった。おみやげ屋も兼ねたその建物に入ると、出迎えてくれたのは鬼婆のゆるキャラ「ばっぴーちゃん」・・・。振り乱しているのは黄色の髪の毛。かわいい顔だが一応牙があり、フェルトでできた出刃包丁も持っていた。お土産の包み紙にもこのキャラクターが印刷されていた。鬼婆すら町おこしに利用してしまう現代。行けども行けども続く芒の原はすでに聞くものの心の中にしか存在しないのだ。鬼婆も住みづらい世の中になってしまった。 四年程前、栃木の茂木町の山奥に行ったことがある。軽自動車一台がやっと登れる細い里山沿いに、小さな家があった。家というより小屋といった方が適当かもしれない建物の開け放たれた上がり端の座敷に、野良着のまま倒れ込む様に寝ているおばあさんがいた。暑くなりかける頃だったが、エアコンも扇風機もなく、網戸もない。こんな山奥では大した収穫もないであろう畑を耕して暮らしているのだろう。シンプルな生き様。このおばあさんの姿を見た時、昔はこうだったのであろう老人の姿を見た気がした。 よく老人福祉施設に語りに行くが、衛生的で十分に行き届いたケアがされている中で皆時を過ごしているが、根っこを失った様に思えることがある。 社会との繋がりが消えたり、繋がりを自ら断ち切ったりして、社会と一線を画して、山の中で生きる女は存在したのだろう。婚家に馴染めず、実家にも戻れない女が更に奥山に分け入って生きたこともあったろうし、映画「デンデラ」ではないが、姥捨てにあってその後もたくましく生き延びた女もいただろう。その成れの果ての姿を里人が見て山姥と思ったりもしたと思った。 私は超異常現象などあまり信じないが、山姥が人を追っている所を語っている時に、恒ならぬことがあった。一つ目は地震。学校の図書室だったが不安になって語りを中断し、おさまってから続きを語った。二つ目は熊ん蜂。学校の体育館で語っていると子供たちの頭がまるでウエーブの様に上下する。どうしたことかと思ったら大きな熊ん蜂が子供たちの頭の上を旋回していた。先生が戸を開けるとしばらくして出て行ったので続きを語った。三つ目は救急車。蔵座敷の二階でおやこ劇場の子ども達に語っていたら、救急車が通った。子供たちは窓に殺到して成り行きを見て、救急車がいってしまうのを見届けると安心したようにもとの場所に戻って、何事もなかったかのように山姥の話に聞き入った。 長く語っていればいろいろなことがあるものだが、よりにもよってこの場面を語っている時にいろいろな体験をしたので書いてしまった。







2013/03/13 23:10:02|イベント
春の民話語りの会 IN 重要伝統的建造物群保存地区 嘉右衛門町
春の民話語りの会 〜箏の調べにのせて〜
IN重要伝統的建造物群保存地区嘉右衛門町 

 
 日時 4月6日(土) 14:00〜15:30
 場所 油伝味噌奥座敷(栃木市嘉右衛門町5−27)
 第2回目の春語りの会です。
昨年、重要伝統的建造物群保存地区になった、
栃木の嘉右ヱ門町の油伝味噌の
水琴窟が縁側にある奥座敷をお借りしての会です。

お箏の演奏もあります。
終了後にお店で田楽セットを召し上がっていただきます。
是非、お越し下さい。







2012/05/14 20:21:01|昔ばなし
5月の話 喰わず女房

   軒に刺した蓬と菖蒲


 


 端午の節句は、旧暦でいうと6月の初め。すっかり草丈が伸びた蓬や菖蒲を束ねて軒先に挿したり、菖蒲湯に入ったりする習わしがある。蓬と菖蒲にまつわる話をひとつ。  


            喰わず女房  


 昔むかしの話だ。あるとこに、けちんぼな男がいて、「おら、嫁なんかいらねえ。嫁もらったら、飯食うからおらちの蔵の米が減る。もし、飯食わねえ嫁でもいればもらうがな。」なんて言ってたんだと。


 ある日、山仕事に行った帰り道、美しい娘が立っていて、「おら、飯くわねえ女だ。嫁っこにしてくれ。」って言うんだと。飯食わねえって聞いて男は喜んで家に連れて帰って嫁っこにしたと。


  嫁っこは、三日経ち、四日経ち、五日経っても、一粒の飯も食わねんだと。初めは喜んでた男も、だんだん首をかしげるようになった。男が、米蔵開けて見たれば、米がごっそり減っているんだと。


 次の日、男は山仕事に行ったふりをして、こっそり梁の上からて下の様子を覗いていたと。


 嫁っこは、米蔵から米俵をかついでくるとドツッと置いた。米を大釜にザザザザーとあけると、ザックザック、ザックザックと磨いだ。そして、下からボンボンボンボンと火を焚いて大釜一杯に飯を炊き上げると、表の戸板を外してきて、その上に子供の頭ほどもある握り飯を握ってずらりと並べた。支度が出来ると、嫁っこは髪を結っている糸をプツリと解いた。すると、髪がザンバランとたれて、頭のてっぺんに大きな口がバクリと開いた。嫁っこは、握り飯をボンボン放ると、頭の口で受けて、


「うんめえ、うんめえ。」とみんな平らげてしまったと。


 食べ終わると、髪を元通りにきれいに結いなおして元の嫁っこに戻ったと。


 この様子を梁の上から震えながら見ていた男は、夕方になって下に降りると、


「今日、山の神様のお告げがあった。すまねえが、里さ帰ってくれ。」と言った。すると嫁っこは、「山の神様のお告げならば仕方ねえ、だけどみやげに大きい桶くれろ。」と言ったと。


 男が風呂桶ほどもある大きな桶を持ってくると、嫁っこは男を桶の中に放り込むと、たちまち山んばの姿になって、桶を頭の上に乗せてグワラグワラと山へ上がって行ったんだと。


 途中、山んばが休んだすきに男は桶から逃げ出したと。男が振り返って見ると、山んばが追ってきたと。


 ちょうど目の前に菖蒲の原があったから、そん中に突っ伏して隠れた。すぐに山んばがやってきたけど菖蒲の葉で目を突いて見えなくなってしまったと。その間に男は逃げ出して蓬の原に隠れた。山んばは、蓬の汁が体に付くとそこから体がとけて、とうとう死んでしまったと。


 男はお陰で命拾いして家に帰ることができたんだと。


 それが、ちょうど五月五日の節句のことだったから、今でも五月の節句には、軒先に蓬と菖蒲を挿したり、菖蒲湯に入ったりして魔除にするんだとさ。


 おしまい。








2012/05/13 22:22:44|小山市に伝わる話
「鰻を食べない里」の話の舞台へ
  うなぎを食べない里 


 むかし、野木の星の宮神社にある池には、たくさんのうなぎがいた。ある日、この神社の近くの家の男の子が大うなぎをつかまえて、焼いて食べてしまった。次の日、この子の目は真っ赤にはれあがり、終いには見えなくなってしまった。村人たちは、うなぎは星の宮神社の神様のお使いで、うなぎを食べると神様のたたりがあるという話が広まって、村のものは、うなぎを食べなくなったという。


 今日は五月晴れという言葉が似合う、穏やかで清々しい天気だった。

 栃木テレビでテレビ民話を放送しているが、昨日、前回録音してきた「千駄塚」が放映された。次回、野木町の民話をリクエストされたので、午後、野木町潤島の星宮神社に行ってきた。

 野木町史の地図とカーナビをたよりに探したら、東北線沿いの、麦畑の中に緑豊かな森があってその中に神社は鎮座していた。

 境内には力石が置かれていたり、稲荷神社の祠もあったが、さて、問題の池はどこにあるのだろうと探したら、本殿の奥の西側にあった。転落防止のためか、金網の柵で覆われていて鍵がかかっていて中には入れない。水は暗く澱んでいて、底の方に大ウナギがひそんでいるかもしれないと思わせる雰囲気があった。

 熱心にお参りしているご婦人がいたので何か話が聞けるかと思い声をかけた。
「小山から一時間かけて歩いてきたんですよ。神社の詳しい事はわかりませんけど、この神社は大変ご利益があるから大事な試合の前には必ずおまいりするんです。今週また、あと二回お願いに来ます。」
とのことだった。

 その後、近くの旧家の御当主と奥様に話を伺うことができた。これを基に、6月号のモダンタイムスの原稿と、栃木テレビに提出する原稿を書こうと思う。







2012/05/13 0:05:38|小山市に伝わる話
千駄塚の由来
    千駄塚の由来

昔、むかしの話だ。
安房神社のそばに、牧の長者という大したお大尽様がいた。広い屋敷にはいくつもの蔵がずらりと立ち並んでおったと。
ある時、陸奥の国から来た商人(あきんど)がここを通りかかった。珍しい蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を馬に積んで鎌倉に向かう途中だったが、日が暮れてしまったのでこの長者の屋敷に泊めてもらったと。
その夜、長者と商人は酒を酌み交わしながら話しに花が咲いた。はじめは商人の旅の話を聞いていたが、そのうちに長者が自慢話を始めたと。
「わしの家には、白い鶏の掛け軸があって、毎朝コケコッコーと、時を告げるんだ」
「嘘つくんじゃねえ。絵に描いた鶏が鳴くわけねえ」
「嘘じゃねえ、本当のこった」
「いや、嘘だ」
いい争っているうちにむきになった商人は、
「絵に描いた鶏が鳴くなんてことある訳ねえ。明日(あした)の朝、鶏が本当に鳴いたら、馬に積んできた千駄の荷物、全部くれてやる」
と、馬千頭に積んできた蜜蝋や漆を賭けてしまったと。
その夜、床の間には、宝物の絵が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。
次の朝のことだ。
「コケコッコー」という鶏の鳴き声に、商人は、たまげて目えさました。
ねむい目こすりこすり床の間見ると、白い鶏が生きているみてえに、うすっくらい中に浮かび上がっていて、もう一声「コケコッコー」と鳴いたと。
 商人はすっかり恐れ入って、約束どおり、千駄の荷物を置いて、空馬引いてとぼとぼ帰って行ったと。

 さて、その次の年、商人がまた、馬に千駄の荷物を積んで長者の屋敷にやってきた。商人は長者に、
「昨年はいいものを見せてもらった。だけんど、里へ帰ってから誰に話しても相手にされねえ。夢でもみたんじゃねえかって思って・・・。すまねえが、もう一度見せてくれねえか。もし、掛け軸の絵の鶏がほんとうに鳴いたら、持ってきた千駄の荷物をまた置いていこう。でも、もし鳴かなかったら、去年の荷物の蜜蝋や漆を、全部返してくれろ」
と言ったと。
「ああ、分かった、分かった。何度でも見せてやろう」
長者は承知した。
 その夜、床の間には、宝物の掛け軸が掛けられ、長者と商人は枕を並べて寝たと。次の朝、遠くで、コケコッコーと他の家の鶏が鳴くのが聞こえたのに、どうしたことか、掛け軸の鶏は、明るくなっても鳴かなかった。
「やっぱり、鳴かなかったでねえか」と言うと、商人は約束どおり、昨年置いていった蜜蝋や漆の入った千駄の荷物を取り返して馬に積むと、
「今年持って来た荷物はしばらく預かってといとくれ」
と言って、馬引いて笑いながら帰っていったと。
 後で長者が宝物の絵をよく見てみると、鶏の首のところに針を刺した穴が開いていたんだと。してやられたと思ったがあとのまつり。商人はそれっきり、二度と長者の屋敷に来ることはなかったと。商人が残していった荷物を長者が開けてみると、中は籾殻や瓦っかけばっかりたんだと。
 長者はこの荷物を埋めて塚を築いた。これが今に伝わる千駄塚なんだとさ。         おしまい。